第119話 寮の生徒たち


 見取り図に描かれていたとおり、二○六号室はアルフェたちの二○一号室よりも広い設計になっていた。大きく設けられた窓は出窓になっており、景色も良好だ。


「なかなか快適そうだね」

「ベッドの大きさが異なるのが少々気になりますが、それ以外はマスターがお過ごしになる部屋として申し分ございません」


 感想を述べる僕に、ホムも頷く。ホムの言うように、出窓に近い方のベッドは妙に大きかった。恐らく、従者がホムンクルスであると伝えたことで、大柄の生徒だと間違われたようだ。


「まあ、大きい分にはいいんじゃないかな。部屋を圧迫しているわけでもないし」


 大きなベッドと小さなベッドが窓際に並んでいる他には、書き物用の机と椅子が二つずつ、その他に衣類などをしまっておく整理箪笥チェストが置かれている。


「確かに……。この大きさでしたら、アルフェ様も一緒に眠れそうですね」

「そうだね。部屋同士の交流が出来るなら、たまにこっちの部屋で過ごしてもらうことができるかもしれない」


 提案に頷くと、ホムは自分のことのように嬉しそうに頬を緩めた。


「きっとお喜びになります」

「だろうね。先にウルおばさんに相談しておこう」


 寮という共同生活を送るからには、ある程度の規律が存在しているだろう。極力目立ちたくないので、その辺りはきちんと確認しておかなければな。


「さて、約束の時間までに荷ほどきをしておこう」

「かしこまりました、マスター」


 ホムが頷き、運んできたトランク二つを自分のベッドに広げる。ホムの荷物はごく少なく、ほとんどは僕のものばかりだ。


「こちらはマスターが保管ください」


 ホムが一番上に置いていた真なる叡智の書アルス・マグナを手渡してくれる。


「ありがとう、ホム」


 僕以外には単なる白紙の本に見えるとはいえ、誰かの手に渡るのは避けなければならないので、ひとまず鍵のかかる机の引き出しに収めた。鍵をかけ、紛失防止のために用意されていた真新しい革紐を鍵に通して首からかける。これで、ひとまずは安心だ。


 ホムは、その間に持ってきた衣類や本などを手際良く仕分けている。誕生までの僕の記憶を共有しているとはいえ、誕生後に増えたものもきちんと僕好みに仕分けられているのはさすがだな。


「ここはお任せを。マスターはおやすみください」


 学習能力の高さを改めて実感していると、視線に気づいたホムが僕をベッドに促した。


「いや、僕も手伝うよ。怠け者のマスターにはなりたくないからね」

「マスターに限ってそのようなことはございません」


 僕が苦笑を浮かべて荷物を運び始めると、ホムが大真面目な顔で反論した。


「それなら良かった。ホムにとって良い規範であるよう努めるよ」


 生みの親である自負もあるし、なにより僕たちは家族だ。それを思うと、本当に、僕たちを脅威から守る駒としてしか見ていなかった自分には嫌気がさすな。両親からあれだけの愛情を受けて育ってきたのに、前世の自分グラスの呪縛からまだ抜け出せていなかったとは。


 荷解きをして、新たな生活の中に配置していく時間は、なぜだかこれまでの想い出がたくさん浮かんでくる。トランクの奥底から、念のため持ってきていたアルフェの角膜接触レンズコンタクト用の道具を取り出しながら、やはりアルフェに新しいものを作っておこうとぼんやりと考えた。



   * * *



 トランクに詰め込んだ荷物を取り出し、すぐに使えるような状態に整えるには、それなりの時間を要した。


「マスター、この音はなんの合図でしょう?」


 不意に響き始めた鐘の音に、ホムが素早く立ち上がって耳を澄ませている。


「どうやら隣の貴族寮からのようだね」


 確か屋根に鐘が取り付けられていたはずだ。恐らく時刻を告げるものなのだろうと思いながら、備え付けの壁掛け時計を見ると、時計の針は午後六時を示していた。


「六時か。もう夕食の時間のようだね」

「食堂でアルフェ様とファラ様と待ち合わせでしたね」


 ホムが空になったトランクを閉め、部屋の端に移動させる。荷解きが全て終わったわけではないが、切り上げなければ遅れてしまうな。


「ああ、急ごうか」



 寮の一階に位置する食堂は、階段を降りて奥の廊下を突き当たりまで進んだ先にあるらしい。ホムと共に早足で進んでいると、曲がり角の向こうから騒々しい足音が響いてきた。


「あー、腹減った! メシメシ! ……って、うぉ!?」

「……っ!」


 相手の位置を確認する間もなく、疾風のように現れた人物と激突する。咄嗟にホムが庇ってくれたので、尻餅をつくくらいで済んだが、相手はかなりの勢いで突っ込んできたようだ。


「わりぃ、大丈夫か?」


 そう言いながら手を差し伸べてきたのは、ぴんと伸びた兎耳が特徴の兎耳族ヴァニーの生徒だ。


「大丈夫だ」


 差し出された手を取らずに、ホムの助けを借りて起き上がる。兎耳族の生徒は、それに赤い目を瞬かせながら、長く伸びた亜麻色の髪を後ろに撥ね除けた。


「なんだ? 迷子か? 初等部の寮は向こうだぞ」


 兎耳族の生徒が、自分が走ってきた方を指差す。涼しい風が吹き込んでくるところを見ると、外に通じているようだ。


「ウルおばさんの話だと、毎年出るらしいんだよ、迷子。はぁーそれにしても、ちっちぇのに寮暮らしとか偉いなぁ」


 そう言いながら、妙に馴れ馴れしい兎耳族の生徒は僕の頭をぽんぽんと叩いた。


「いや、僕は高等部の生徒だ。ここで合ってる」


 母の帽子に触れる手を撥ね除け、誤解を解こうとしたが、彼女は僕の発言などまるで信じていないように大笑いをはじめた。


「はははははっ! もうちっとマシな嘘にするんだな。こんなちんちくりんの高校生がいるかよ」


 まあ、この生徒に比べれば僕は随分と小さいわけだが、ここまで話を信じない相手がいるとは。


「まあ、今無理して大人ぶらなくても、歳を取りゃぁいつか高校生になれるからよ」

「やめ――」

「無礼です。マスターへの謝罪を求めます」


 頭をわしわしと乱雑に撫でられるのを避けようとする僕よりも早く、ホムの手が兎耳族の生徒の腕を掴んで止めた。


「ちっ! 馬鹿力め」


 ホムがかなりの力を込めたのだろう。払い退けられた生徒の腕に、赤い痕が残っている。


「文句があるなら、てめぇで言いやがれ!」


 噛みつくような敵意を向けられたので、さすがに言い返すことにした。


「……それならば言わせてもらうが、あまり人を見かけで判断しない方がいい」

「スカしやがって! 調子に乗るなよ、クソガキ!」


 素行が悪いのか、随分と言葉遣いが荒いな。まともに相手をしない方がよさそうだ。


「マスターへのこれ以上の侮辱は許しません」

「ああん? なにガンくれてんだ、テメェ」


 これ以上は無視すべきだと思ったが、ホムはかなり腹に据えかねている様子だ。僕のことになるとかなりの防衛反応が出るのは良いことなのだが、こうした口喧嘩程度だと後々面倒なことになるかもしれないな。早いうちにホムに言い聞かせて、対策をしておいた方が良さそうだ。


「ホム、もういい――」


 これ以上関わるのは止めるようにと言いかけたその刹那。


「ベル~、ごはんの時間だよ~。なにしてるの~?」


 食堂の方から間延びした声が響いた。


「おう、ヌメ。悪ぃ悪ぃ」


 兎耳族の生徒が、すぐに笑顔になって反応する。どうやらベルというのが名前のようだ。


「今日の限定ディナーのミルクチキンは確保できたか?」

「ばっちり~。この人は、お友達~?」


 ヌメと呼ばれた方の生徒は、ピンク色の長い髪が粘液のようなもので覆われている。動きに合わせて流動する粘液が、てらてらと光っている姿につい目がいってしまう。


「はぁ!? なんでこんなちんちくりんと!?」

「こちらとしても願い下げです」


 ホムと兎耳族の生徒がまだ言い合っているが、このヌメという生徒がいる分には丸く収まりそうだ。それにしても、珍しい頭髪だな。おそらく彼女は蝓蝓族つゆつゆぞくと呼ばれる種族なのだろう。蝓蝓族というのは、ナメクジやカタツムリの遺伝子をもつ亜人で、魚人族の亜種という位置付けがされているが、実物を見るのは初めてだ。


「なんだよ、ヌメのこと、じろじろ見やがって」

「きっとヌメが珍しいんだよ~。ね~」

「ああ、すまない」


 視線に気づいた上で鷹揚に微笑まれると、さすがにまじまじと観察するのは気が引けるな。だが、この距離だと髪の毛が粘液状でジェルのような質感を持っているという特徴がよく分かる。遠目だと、髪が濡れているように見えたのだが、頭髪部がいわゆる髪の形をした粘液で構成されているのがはっきりと観察できた。


「見世モンじゃねぇよ。行くぞ、ヌメ」

「あ~い」


 兎耳族の生徒に腕を引かれ、蝓蝓族の生徒が僕たちに背を向ける。


「……大丈夫ですか、マスター?」


 二人が食堂の方に遠ざかってから、ホムが遠慮がちに声をかけた。


「ああ、平気だ。一流の教育機関と聞いていたが、ああいうのも入れるとはな」

「あぁん!? 聞こえてるぞ!」


 溜息混じりに呟くと、食堂に入りかけていた兎耳族の生徒が、睨みながら振り返ってきた。


「ああいうのっていうのは、補欠で入った素行の悪ぃ野良犬みたいなヤツってことかぁ!?」

「そこまで言っていないが、随分丁寧な自己紹介をするんだな」

「まあまあ。落ち着いて~」


 吠える兎耳族の生徒を蝓蝓族の生徒が慣れた様子で宥め、食堂へと消えていく。


 やれやれ。僕たちもこれから食事だというのに、面倒なことにならないといいのだが。


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