第112話 黒石病抑制剤の錬成


 父のレーヴェに牽引してもらい、トーチ・タウンに到着した後、ホムは黒竜灯火診療院へと運ばれた。


 真なる叡智の書アルス・マグナがあるので、本来であれば治癒魔法で完治できるのだが、父に怪我の状態を見られている以上、僕が実力以上の魔法を行使できると知られるのは避けたかった。


 ホムの怪我は、全身の打撲に肋骨二箇所の骨折があるものの、アルフェの初期治癒魔法が効いているのと、元々の回復能力の高さで一週間も経たずに退院出来るだろうとのことだった。


 その間、僕は採取してきたアルモリア草を使い、液体培地で培養して、培養液を作るところから始めた。数日かけて培養液を集めた後、それを濾過ろかして、アルモリア草の清澄液である濾液ろえきを作る。この作業に徹している間に、一週間が過ぎ、ホムも病院から戻ってきた。


 ホムに母上の体細胞の採取を託していたが、母上は皮膚を用意してくれた。元々黒石病の検査で、穿刺せんし吸引細胞診が行われているので、その際に余剰に取ってもらったものらしい。先生の腕が良いので、希望していた健常部分の皮膚片が新鮮な状態で手に入った。


 これで、全ての材料が揃ったので、黒石病抑制剤の錬成に入ることが出来る。アルモリア草の濾液ろえきと母の皮膚片を混ぜてベース薬剤を作ることから開始する。グラスの考案した、黒石病抑制剤はアルモリア濾液ろえきで複製した患者の健康な体細胞を疾患部に定着させ、元の健康な細胞を復元することで黒石病の進行を止める効果を発揮する。


 原理としては簡単なのだが、このアルモリア濾液ろえきで復元させた細胞を人体に定着させるのが、かなり困難なのだ。グラスは、38625通りの実験を行い、アルモリア濾液ろえきが人体に馴染むための、人間の身体の構成物質に近い人体模造液の錬成に成功した。それが、前世の僕グラスと、今の若き研究者との大きな差だ。


 こればかりは、グラスが実際に黒石病に冒されていたことが大きい。切羽詰まった状況ながらも、最も可能性があるものを模索した結果、酸素六十五%、炭素十八%、水素十%、窒素三%、カルシウム一.五%、リン一%、少量元素〇.九%、微量元素〇.六%を基礎とした人間の細胞構成要素に良く似た液体を火、水、風、土、雷、の魔石粉末を調合して錬成して見せたのだから。


 この調合手順やそれぞれの粉末の分量は非常に複雑で、式学錬金コードアルケミーで実験結果を数式化することで、漸く再現性の高いものに落とし込むことが出来ている。


 数式で実験手順を管理しているので、細かな手順は真なる叡智の書アルス・マグナを見ながらではないとこの人体模造液の錬成は難しい。前世の僕を唯一褒めるとすれば、その手順を残していた一点だろうな。贅沢を言えば、やはり後進の錬金術師や医学者のために共有してほしかったところだが。


 とはいえ、無事に黒石病抑制剤の錬成に成功したので、セント・サライアス中学校でリオネル先生らの簡易検証実験を受けた後、黒竜灯火診療院へと持ち込む運びとなった。


 治療法として確立されていない新規のものであるということ、その副作用及び後遺症には一切の責任を負わないという書類に父と母が署名し、所定の手続きを終えた後、いよいよ母の疾患部に注射することになった。


 注射自体は、僕には資格がないため、主治医の先生が代行して行うことになったが、母は僕以上にリラックスして投与を受けてくれた。


「リーフ、見て……」


 投与の後、一時間の安静期間ののち、母との面会が許された。ベッドから降りて立ち上がった母が見せたのは、黒石病特有の斑点が消えた自らの腕だった。


「母上……」


 初期の症状だとわかっていたとはいえ、予想以上の効果だった。腕から黒石病の反応が消えたのみならず、恐らく長く身体を蝕んでいたはずの倦怠感からも解放された母の姿がそこにあった。


「ありがとう、リーフ。ずっとあなたを信じていたわ。無事で居てくれて、本当にありがとう……」

「僕もです、母上……」


 母の腕に抱き締められると、込み上げてくるものを感じる。アルモリア草の採取では、かなり危険な目に遭ったが、またこうしていられるのは、なんて幸運なんだろう。


「ホムちゃんも、ありがとう」

「マスターのためですから」


 母の労いに、ホムがゆっくりと頭を垂れる。その表情は僕の気のせいかもしれないが、どこか嬉しそうに見えた。


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