第113話 家族

 窓の外を、粉雪がちらついている。セント・サライアス中学校に入り、二度目の冬がやってきた。


 母に投与した黒石病抑制剤の効果はその後も良好で、退院の目処が立ったこともあり、僕たちの生活はかつてのものに戻りつつある。


 特別措置で休学を認められた分の勉強の遅れも取り戻し、僕はアルフェとともに、高等学校進学のための特別講習に参加している。


 特別講習には、共通科目と選択科目の二つの授業があり、共通科目として機兵操縦を習う。これはアルカディア帝国の高等学校では一般的なもので、アーケシウスの操縦に慣れている僕と、その記憶を受け継いでいるホムは難なくクリアした。アルフェも、普段からアーケシウスを見ていたせいか、コツを掴むのが早く、驚くほどの速さで機兵操縦をマスターした。


 選択科目は、僕は錬金術、アルフェは魔法学、ホムは軍事教養を勉強している。


 アルフェは魔法学の道に進むが、僕と同じカナルフォード高等教育学校を目指すそうだ。ホムは、基礎知識を僕の記憶から受け継いでいるせいか、思いの外勉強について行ってくれている。これならば、従者としてではなく、一生徒としての入学も可能だろう。そのため、特待生の枠を狙うべく、僕たちと専攻が被らず、かつグラスの知識にはない軍事教養を選択してもらうことにした。


 今のところ知識や機兵操縦に不安はないが、高等学校からは軍事教練として機兵操縦のみならず、軍事訓練も共通科目に加わるので、身体能力に一抹の不安を覚えるな。


 エーテル過剰症候群のおかげで、疲れにくい身体になっているとはいえ、そもそも成長しないのだから、同年代の一般的な身体能力についていけるかはかなり怪しい。


 まあ、見た目の成長が小学生の頃で止まっているし、医師の診断もついているから、免除も視野に入れて先生に相談しておいても良いかもしれないな。タオ・ラン老師が言っていたように、僕はその分、頭を使えば良いのだから。


   * * *


 母の退院は、冬休みの初日に決まった。新年を迎える前に退院出来るとあり、母も父もかなりの喜び様だった。


 退院を待ちわびていた僕とホムは、早朝から家の隅々まで掃除し、母のための料理の買い出しや下ごしらえに勤しんだ。


 それにしても、家族全員揃っての食事が久しぶりで、どれだけの量を準備したら良いかわからなくなりそうだ。多く作ったところで、父が娘の手料理は残さず全て食べると豪語しているので問題なさそうだが。


 父が張り切って仕入れてきたシャトーラビットの肉は、下味をつけて冷蔵魔導器に保管してある。かなりの高級食材だが、脂肪分も少ないし、母も喜ぶだろう。


 一口食べるだけで天にも昇るような気分になり、幸せの絶頂に至ると言われているらしいが、僕の腕でどれだけその旨味を出せるかも楽しみだ。こういう『食』の幸せというものも、グラスの頃の僕には考えられなかったな。誰かのために作る食事というのは、やはり良いものだ。僕と両親、それからホムの四人分の食材を調理出来ることが、今はただただ嬉しい。


 冷蔵魔導器に準備したサラダをしまい、奥に入れて置いたチーズケーキを確認する。これは、僕がホムのために昨夜密かに仕込んでおいたものだ。


「……そういえば、ホム。結局、お前のためのお祝いはなにも出来なかったな」

「いいえ、マスター。この靴をプレゼントして頂きましたので、充分です」


 それは単なるプレゼントであり、それもアルモリア草採取の際に渡しただけだ。お祝いというにはほど遠い。


「……僕は充分だとは思わない。お前には、『幸せ』をもっと知ってもらう必要がありそうだな、ホム」

「もう充分に存じ上げているつもりですが、違うのですか?」


 ホムが言っているのは、僕の『記憶』のことだろう。それは確かに幸せな記憶だが、ホム自身のものではない。それに、僕もまだ本当の幸せというものを教えられるほど知っているわけではない。


「半分正解で、半分違う。『幸せ』については、僕もまだ知りはじめたばかりだからね」


 幸せの種は、生活のあちこちに散らばっている。ときにそれは、大きな花を咲かせ、満たされた気持ちで心を温かく包み込むのだ。


「……だから、一緒に知ってほしい。これからも」

「……仰せのとおりに」

「よし。じゃあ、早速だけど母上の退院祝いにホムの誕生祝いも加えよう。断っても無駄だぞ、僕がそうしたいんだからな」


 そう言って僕がチーズケーキを取り出すと、ホムは驚いたように目を丸くし、深く頭を下げた。


「アルフェのケーキじゃないけれど、レシピを聞いて僕が作っておいた。これを一緒に飾り付けよう」

「……ありがとうございます、マスター」


 ホムに生クリームを泡立ててもらい、木苺や赤く小さな実が可愛らしい冬苺をトッピングしていく。


 こうしていると、小さい頃に母と一緒に誕生日ケーキのトッピングをしたことを思い出すな。あの時は、なぜこんなに簡単なことをお願いするのだろうと思ったが、いざ自分がやってもらうと案外楽しい。もしかすると、あの時の母は自分に対してこういうふうに感じていたのかも知れないな。


「これで良いでしょうか、マスター」

「ありがとう。丁寧な仕事だな、ホム」


 中央を広く開けたトッピングの真ん中に、ホムの誕生を祝う文言を書き添えていく。心を込めて、一文字ずつ書くうちに、ホムの誕生と、これからの幸せを願う気持ちが僕のなかに止めどなく湧いてくるのを感じる。


 涙が出そうになるのを堪えて、文字を書ききると、僕はそれにあらかじめ用意しておいたガラス製のカバーをつけて冷蔵魔導器に戻した。冷蔵魔導器いっぱいのご馳走とケーキは、見ていて圧巻だ。


「……他になにかお手伝いすることはありませんか、マスター?」


 問いかけるホムに、僕はゆっくりと両手を広げて見せる。


「おいで、ホム」


 ホムが僕に歩み寄り、僕の胸の中に収まる。僕よりも背の高いホムを抱き締めると、その温もりがしっかりと伝わってきた。


「君は、僕の自慢の娘だよ。ありがとう」

「マスター……?」


 僕の腕の中で、ホムが戸惑っているのがわかる。僕はホムを抱き締める腕に力を込め、目を閉じた。


「僕はずっと勘違いしていた。僕たちは家族だ」

「家族……」


 ホムが僕の言葉をゆっくりと繰り返す。そう、僕たちは家族だ。ホムを娘と言うのは、少し語弊があるかもしれないけれど、僕はホムを生み出したマスターであり、ホムは紛れもない僕の家族だ。


「ああ。そうだよ、ホム」


 頷きながら、抱擁を解き、ホムの顔を見つめる。ホムも僕の目を真っ直ぐに見つめ返した。


「……マスターが先ほど仰っていたことの意味が、少しわかりました」


 ホムの目に薄く涙が滲んでいる。生理的反応以外で、ホムが泣いているのを、僕は初めて目の当たりにしたかもしれない。


「ホムは……、ホムは今、とても幸せでございます」


 ホムの顔が柔らかに解れ、頬の緊張が緩む。


「そうか……」


 ――ああ、これがホムの笑顔か。


 そう思うと、僕の顔も綻んだ。


「それはよかった。……おいで」


 再びホムを引き寄せて抱き締める。今度はホムも僕を抱き締め返してくれた。


 僕がいつものように頭を撫でると、胸の中のホムが、甘えるように鼻を鳴らした。





――――――――――


読了ありがとうございます。

アルスタ第二章これにて完結でございます。

お楽しみ頂けましたら、大変うれしく思います。

己の過去と向き合い、ホムを家族と認めたことで、またひとつ『幸せとはなにか』を理解したのではないでしょうか。


第三章からは高校生になったリーフたちの物語をお届け予定です。

もし作品を気に入って頂けましたら☆評価やレビューを頂けると大変励みになります。


作品の公式wikiを作りました。

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