第105話 ホムへのプレゼント

「帰っていたんですね、父上」


 帰宅すると、父が戻ってきていた。仕事着である軍服を着ているところを見るに、どうやらこれから仕事に向かわなくてはならなくなったようだ。


「ああ。ナタルの容態も落ち着いているし、職務を全うすべきだと諭されてしまってね」


 そう語る父の表情は複雑そうだ。僕を心配させまいとそう言っているのだろうな、ということがなんとなく想像出来てしまったが、なにも言わずに相槌を打つ。


「……ところでリーフ、学校はどうだった?」


 少し間が空いたのを気まずく思ったのか、父がすぐに次の話題に切り替えた。


「先生たちから惜しみない協力を得られて、黒石病抑制剤の錬成準備を進めています。明日にでも材料の採取に、街の北東にあるアルモリア草の群生地に――」

「どうしても行くのか?」


 僕の言葉を遮ってまで聞いたのは、それだけ街の北東が危険であるという認識を持っているからだろう。


「……近くの廃墟に、物騒な輩が集まっているという噂があるそうですね」


 すかさず魔法屋で仕入れた情報を父に向けてみる。父は頷き、僕の目線に合わせて身体を屈めた。


「そうだ。しかも、その組織はホムンクルスの密売に関わっているとされている。護身術を習わせたとはいえ、ホムを連れて行くのも危険だ」


 予想していた答えだった。そして、その答えから、父が僕に付き添うことが困難であることも窺えた。父としても、僕に任せなければならない状況というのは歯痒いに違いない。だが、黒石病抑制剤の効果を最大限に発揮させるためには、一刻を争う。


「アーケシウスがいます。それに、アルフェが協力してくるので、明るいうちに手早く戻るつもりです。僕は、一日でも早く、母上の病気の進行を止めたいんです」

「…………」


 父はすぐに返事をしなかった。僕はただ、父が了承してくれるのを待った。説得するためには、相手が考えをまとめるための時間、落ち着くための時間も必要なのだ。


「……お前の考えは、良くわかった。父としても夫としても、先頭に立てないことを歯痒く思っている……だが、それはこちらの都合だ。今はお前を頼るのが最善と考える。くれぐれも無理はしないでくれ。ナタルがこういう状況の今、お前にまでなにかあったら――」

「大丈夫ですよ、父上。そのためにホムがいます。アーケシウスも整備して、いつでも動けるようにしています」


 今の幸せを守りたい。だが、そのために自分を犠牲にするつもりはない。


 それによって悲しむ人がいることを僕は知っているし、その人たちには、笑顔でいてほしいと願っている。


「予備の液体エーテルを積んで行ってくれ。それから、救援信号を持つように。軍の支給品を用意しよう。これがあれば、パパがすぐにでも助けに行ける」

「ありがとうございます、父上」


 緊急時にしか使わないものとはいえ、軍の支給品は本来であれば僕のような子供に持たせるものではないはずだ。とはいえ、緊急時に父が駆けつけて助けてくれるとなると、かなり心強い。父が率いる小隊は軍の中でもかなり優秀な精鋭部隊なのだ。


 そこまで父と話してから、ホムが姿を見せないことにようやく気がついた。


「……ところで、ホムを見ませんでしたか?」

「戻りました、ルドラ様」


 父に尋ねたところで、液体エーテルの予備タンクを抱えたホムが戻って来た。


「ちょうど良かった。このタンクを二つ、アーケシウスの背に積もう」

「……どこかに出かけられるのですか、マスター?」


 アーケシウスの名から、ホムは直感的に壁の外に出ることを悟ったようだ。記憶を共有しているせいで説明が省けるのは、こういうときに便利だ。だが、隠しごとが通用しないのは、少し問題かもしれないな。


「ああ。黒石病抑制剤の材料になるアルモリア草の採取にね」

「わたくしもご一緒します」


 ホムの返事は予想通りのものだった。



   * * *



「いってらっしゃいませ、父上」


 出勤する父を見送り、ホムとともに明日の準備に取りかかる。アーケシウスに液体エーテルの予備タンクを積み込み、念のため起動させて異常がないことを確認した。


「……明日は早い。夕食を食べたら、今日はもう休もう」

「はい、マスター」


 一通りの準備と点検を終えただけで、すっかり日が暮れてしまった。気を抜くと、今日の夕食もまた適当なものになりそうだな。凝ったものは作れないけれど、少しぐらいは手間をかけたい。ホムも気に入ってくれているようだし、タオ・ランから教えてもらった炒飯にでもしようか。


 こういう時だからこそ、料理に時間をかけるのは重要だ。気も紛れるし、食べてくれる人のことを考える時間が出来る。炒飯にかける手間は限られているけれど、野菜を細かく刻んで入れれば、ここ数日の食生活の乱れも改善できるだろう。


 なにより、母が元気になったときに、僕一人でもきちんと出来ることを証明して安心させたい。そうすれば、これまで以上に母の助けになれるはずだ。


 アトリエを出ようとしたところで、ふと棚に置きっぱなしの包みに気がついた。


 ああ、そういえばホムの奥義修得祝いを中止にしたんだったな。


「どうしたのですか、マスター?」

「ホムに渡しそびれていたプレゼントだ。今、渡してもいいかな?」


 椅子に乗り、棚から包みを下ろしながらホムに問いかける。


「ありがとうございます、マスター」


 ホムはごく自然な動きで椅子を支えながら頷くと、僕が渡したプレゼントの包みを受け取った。


「こんなに立派な包みを、ありがとうございます」

「ただの包みだよ。僕が贈りたいのは、その中身だ」


 苦笑を浮かべながら、包装に施した開封オープンの簡易術式にホムの手をかざさせる。ホムのエーテルに反応し、包みが開くと、中から特製の長靴ブーツが現れた。


「この靴底には、ウィンド・フローの簡易術式が描きこんである。これで、宙に浮いたり、風を生み出して高速で移動出来るはずだ」

「試してみてもよろしいでしょうか?」


 頷いて許可を出すと、ホムは長靴に履き替え、目を閉じた。ホムが操るエーテルに合わせて、靴底の簡易術式が反応して発光し、ホムの身体が浮き上がったり、宙を滑らかに滑るように移動する。


「うん、見事だ。コツを掴んでいるね、ホム」

「マスターのおかげです。ありがとうございます」


 ホムは深々と頭を下げ、改まって僕に礼を言った。


「いいんだ。これは僕がしたくてやったこと――頑張ったホムへのプレゼントだ」


 僕がこれまで両親や周囲の大人、アルフェからそうしてもらったように、ホムにもなにかを贈りたい。ホムのこれからの人生の中で、彼女の好みを見つけ、喜ばせてやりたい。僕が幸せを与えるなんて考えはおこがましいのかもしれないけれど、この世にホムを生み出した以上、そうさせてやるのがマスターとしての務めのはずだ。

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