第48話 街の外

 アーケシウスで街の外に出ると、予想以上に緑化が進んでいることがわかった。


 グラスだった頃の僕が知るこの世界の街の外は、かなり凄惨な状況だったので、こうして緑化が進んでいるのを目の当たりにすると、感慨深さのようなものがある。


 アルフェは先日ポルポースの街に出たばかりなので、普段のようにお喋りを続けている。浮遊魔法が使えるとはいえ、三メートルある従機の頭の上に座っていてリラックスできているのが不思議だ。


「……怖くないの、アルフェ?」


 アルフェとの通話用に取り付けた拡声器を通じて話しかけてみる。アーケシウスの頭部に搭載されている集音機から、すぐにアルフェの声が返ってきた。


「楽しいよ、リーフと一緒だから」


 笑顔のアルフェの顔が、僕の目の前の映像盤に映し出される。声の感じでもわかるけれど、本当に楽しいのだろうな。アルフェが僕と一緒ならなんでも楽しいと言ってくれるのが、未だに不思議でならないけれど。


「それは何より」


 アルフェの状態が確認できたので、改めて周辺の状況を探る。アルフェがポルポースの街の帰りに通ったと思われる森の前を、都市間連絡船が横切っていくのが遠くに見えた。


 森の手前は荒れ地ではあるが、比較的緑化が進んでいる。僕がグラスだった頃は、魔族らの攻撃によって、毒の沼地と化したり、焼き尽くされて不毛の大地になったりする土地も多かった。そのたびにアトリエを移転せざるを得なかったが、もしかするとアーケシウスを手に入れた今ならば、グラスのアトリエを訪ねることができるかもしれないな。


 あの毒に侵食された街が三百年ぐらいで元に戻るとは思えないけれど。


 アルフェは僕への配慮なのか、お喋りを止めて鼻歌を歌っている。セントサライアス小学校の基礎教養の授業で習った歌に似ているような気もするけれど、僕には違いがわからない。歌を歌うことはもちろん、歌を聴くような趣味もなかったが、邪魔だとは思わなかった。


 今まで、どうしてこんなに他人は歌が好きなのだろうと疑問にしか思わなかったが、今日はそれを感じない。実際、こうしてアルフェの鼻歌を耳にしていると、変に周囲の音に集中するよりも気が紛れて、操縦に集中できている気がする。もしかすると、歌や音楽を聴くことで、作業効率が良くなるのかもしれないな。


 荒れ地から低木地帯に入り、さらに森へとアーケシウスを歩ませる。さきほど遠くに見えた都市間連絡船はポルポースの街の方へ進み、砂埃の向こうに消えていく。幸いなことに魔獣などの姿は見える範囲にはなく、森の傍までは安全に移動することができた。


 いざとなったら、戦闘用のドリルなども準備してきたわけだし、この辺りは父上たちも警邏けいらに回っているという話だから、勝ち目がないほど大型の魔獣が出る可能性は極めて低い。だけど、森に入れば魔獣の巣があるので、遭遇の危険性は必然的に高まってくる。


「アルフェ。そろそろ森に入るけど、本当に大丈夫?」

「うん。なにがあってもリーフがワタシを守ってくれるから」


 なにかあればアルフェには浮遊魔法で高いところに逃れてもらい、僕が戦うということにしているけど、そういう解釈なんだな。


「もちろん。僕が責任を持ってアルフェを守るよ」

「えへへ。リーフ、王子様みたい」

「王子様……」


 いやいや、前世のグラスは確かに男だけど、リーフは女の子だぞ。さすがにちょっと気になったので、アルフェに聞いてみることにした。


「……女の子でも、王子様って言うのかな?」

「……うーん」


 そこまで深く考えての発言ではなかったらしく、アルフェが真面目に考え始める。


「……王子様は生まれとかも関係あるし、確かに違うかも……。あっ、ワタシにとってのリーフは、いつだって英雄ヒーローだから、英雄の方がいいかな?」


 グラスは死後に英雄として認められたんだったな。この偶然は面白い。


「それは面白いね」


 適当な相槌を打とうと思っていたのに、つい本音が口を突いて出た。アルフェは僕の答えを聞いて、満面の笑みを浮かべた。


「ふふふっ、やったぁ。リーフはいつまでも、ワタシだけの英雄ヒーローでいてね」

「アルフェが望む限り、そうさせてもらうよ」

「ずっと一緒だよ、リーフ」


 うっとりとした声で返したアルフェが、アーケシウスの頭上で足を揺らしている。この仕草をしているということは、凄く嬉しいということなんだろうな。僕のなにがそんなにいいのかわからないけれど、アルフェのその気持ちは僕の胸を温かくする。僕がグラスだった頃、こういう気持ちを知っていれば、また違う人生があったのだろう。皮肉なことに女神に『処刑』されたことで、今それができているのだけれど。


 ――女神。


 ふと脳裏を過った女神らの姿に思いを馳せたその刹那。


「……あっ!」


 アルフェがアーケシウスの頭上で立ち上がり、大きな声を上げた。


「どうしたの、アルフェ?」

「あそこに吹きだまりが見えるよ。反物質がありそう! あっち。あの枯れた木のところ」


 アルフェの指示に従い、アーケシウスを移動させる。


「アルフェ、念のため手袋とゴーグルをつけて」

「はーい」


 アルフェはアーケシウスの頭上に置いていた荷物を解き、手袋とゴーグルを装着する。束ねた髪にゴーグルを着けると、エルフの血を思わせるアルフェの少し尖った耳が露わになった。


 隠さなくてもよいものを隠さなければならない苦労はあるだろうが、僕にとってアルフェはやはりアルフェだ。浄眼も耳も、素直に素敵だと思う。その話を今するべきではないのはわかっているけれど、ついアルフェを見てしまうな。


 アルフェのように反物質を見ることができれば、どんなにいいだろうか――。


「リーフ!」


 そんなことを考えながらアーケシウスを歩ませていると、アルフェの鋭い声が飛んだ。


「どうしたの、アルフェ?」

「なにか来る……」


 僕には何一つ見えないけれど、アルフェは多分エーテルの動きを捕らえている。『来る』と表現されたからには、恐らく魔獣だろう。


 アーケシウスの歩みを止め、目標地点である森の中の枯れ木を遠目に見守る。寸刻のうちに木々が揺れて木の葉が散り、目の前に小型の魔獣が現れた。


「ブラッドテイルか……」


 ブラッドテイルというのは、頭部の鶏冠とさかに似た発声器官を特徴とする二足歩行の小型魔獣のことだ。血のような赤黒い鱗と脚部の鋭い鉤爪が特徴で、五頭ほどの群れで生活する。体長二メートル弱のこの個体は、恐らく群れのボスだろう。


「ギャッ! ギャアッ!」


 縄張りの範囲に踏み込んだらしく、ブラッドテイルが独特の鳴き声で威嚇する。こいつがいるということは近くに反物質の溜まり場がある。アルフェが見ているものは反物質で間違いないな。


「アルフェ、上に逃げて」

「うん」


 アルフェが浮遊魔法で浮かび上がる。


「ギャギャッ!」


 ブラッドテイルが驚きを表しているような声を上げ、アルフェに注目する。僕はその間にアーケシウスの右腕部の脱着ボタンを押して地面に落とすと、左腕で背部のバックパックからドリルアームを取り出して装着した。

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