第33話 昼食の時間

 悪意を避けるのは簡単だが、子供の世界ではそれは『負け』を表すことになる。


 少し迷ったが、昼食はいつものように食堂で摂ることにした。食堂では、作りたての温かな食事を購入することもできるし、持参した弁当を食べることもできる。その他に購買と呼ばれる行商の食べ物屋が昼食時にだけ校内に現れ、生徒たちは自由に好きなものを好きな場所で食べられるようになっている。


 僕とアルフェは、いつものように母の作った弁当を向かい合わせで食べた。


 定番のサンドイッチの具は、アンチョビポテトサラダとフルーツ。アルフェのサンドイッチはハムとチーズと野菜で、アルフェは一口食べてから少しだけ顔をしかめた。


 多分嫌いな野菜が入っていたんだろうということは、表情から容易に想像がつく。ジュディさんはアルフェに野菜を食べさせようと、ハムとチーズの間に巧みに野菜を隠す傾向があるのだ。今日入っていた野菜は、ズッキーニと呼ばれる野菜を輪切りにしたものだった。特にこれといった味の特徴はなかった気がするので、葉野菜が食べられるならば大丈夫そうなものだが……。


「すっぱーい」


 どうやら暖かくなってきたので酢漬けにされているようだ。子供の舌には酸味は少し強いだろうな。僕はあまり気にならないが、子供の舌は大人のものに比べるとかなり敏感で、特に苦みや酸味を強く感じる傾向がある。これは多分生物としての本質的なもので、毒や腐敗したものを摂取しないようにということなのだろう。


 僕がまだグラスという名を与えられる前、ストリートチルドレンとしてゴミを漁っていた頃、そうした舌の機能には随分と助けられたものだ。とはいえ、空腹に負けて分かっていながら腹に押し込むなんて真似も数え切れないほどしてきたけれど。


「……僕のと交換する?」

「うん!」


 授業中にかなりの嫉妬の視線を受けていたから、昼食の時間くらいはリラックスして過ごした方がいいだろう。そう思って交換を申し出ると、アルフェが目を輝かせて大きく頷いた。


「あ、でも……」

「食べかけでも構わないよ。それともその野菜と新しい方をもらったほうがいいかな?」

「……うん」


 そういえばもう一つのサンドイッチにも野菜が入っているんだったな。アルフェの反応を待って、食べかけのサンドイッチからフォークでズッキーニを抜き取って、新しいサンドイッチの上に載せる。アルフェには、僕のアンチョビポテトサラダのサンドイッチを代わりに渡した。


「これも少し酸っぱいけど、平気?」


 そういえば、こっちにも少し酢は入っているけれど、アルフェはこの味が好きらしい。量の問題なのだろうか。


「こっちはリーフが好きな味だから、アルフェも好き」


 なるほど、母といいアルフェといい、これが僕の好物という認識なのだな。確かに美味しいとは思うけれど、これが特別好きと話した覚えはないのに。


 考えごとをしながら食べ進めていたら、あっという間にフルーツを残すだけになってしまった。


「ゆっくり食べていいからね」


 念のためアルフェに言い添えて、フルーツを食べる前に水を飲む。大分慣れて来たが、気を抜くとかなり早いペースで食べてしまうのは気をつけた方がいいな。とはいえ、急いで食べなくても誰にも食事を取られる心配がないというのは、平和なものだ。平気で食べ物を残す連中には、目眩がするが……。


 食堂では好きなものを好きなだけ頼み、飽きたら残すというような生徒も少なからず存在する。子供だから自分の食べられる量をわかっていないということもあるのかもしれないが、それを咎められることがないのはかなり引っかかる。他人の言動を変えるなんて面倒な真似はしないけれど、見ていて気分の良いものではないのは確かだ。


「リーフ?」

「ああ、ごめん……」


 そんなどうでもいい連中よりも、目の前のアルフェに目を向けた方が良いに決まっている。アルフェは小食だけど、ゆっくり楽しそうに食べるのが見ていて気持ちがいい。


「美味しい、アルフェ?」

「うん。アンチョビのしょっぱいの、好き」

「そっか」


 やはりアルフェが嬉しそうに食べているのを見るのはいいな。変に気を遣わなくてもいいし、傍に居るだけでいいわけだから。


「……ほら、いるぜ。また二人いっしょでさ」


 あちこちでお喋りしている声の中に、アルフェの悪口や噂話も混ざっているみたいだが、なるべく聞こえないようにしておこう。


「やっぱりあれはおかしいよ。親戚の浄眼持ちだって、エーテルが見える以外は普通なんだぜ」

「…………」


 アルフェがぴくりと反応し、不安そうに宙を見つめている。こんなにざわざわしている中で、自分の名前が呼ばれた時と同じくらいの反応を見せるのは、『浄眼』という言葉が自分を指すとわかっているからだろうな。


「……アルフェ、変なのかな?」


 聞こえているのに聞こえないふりをしていたのか、アルフェがぽつりと呟く。こんなことでアルフェの豊かな才能が潰されるのは嫌だな。どの程度の影響かはわからないが、ちゃんと僕の意見も伝えておこう。


「……僕はそうは思わない。みんな、アルフェが羨ましいだけだよ」

「うらやましい?」

「そう。みんなにはないものを持ってるから」


 なるべくクラスメイトの声が入らないように留意しながら、アルフェの注意をこちらに向ける。


「みんなにないもの……」


 呟くアルフェの浄眼を見つめて頷く。金色に輝くアルフェの目は、本当に綺麗だ。

 ただ、この浄眼と高すぎる魔力を妬んで悪く言うクラスメイトの一派がいるのが顕在化したのは厄介だな


「アナイス先生も話してたように、その能力に見合う教育を受けさせるのがこの学校の方針なんだ。下なんて見なくていい」

「……仲良く……しなくていいのかな?」


 大多数の生徒は――普通の子供は、友達が多い方が良いという考えで動いている。でも、そんなのは、僕に言わせれば偽善だし、必要のないことだ。


 そもそも悪意を持って接してくる人間に対して、こちらが譲歩する理由なんてどこにもない。でも、そんなことをアルフェに言っても混乱させてしまうだけかもしれないな。


「……僕がいるよ、アルフェ。僕とだけ仲良くしてたっていいんだよ。同じ班になったんだし」

「……リーフは、他の子と仲良くしなくていいの?」

「僕にはアルフェがいるからね。その必要性は感じないな」


 元々そう思っていたので、本心を伝える。アルフェは僕の言葉を聞いた後、頬を押さえて僕をじっと見つめた。


「アルフェも……アルフェもリーフがいるから……。他の子なんていらない」


 喋り方が少し昔に戻っているのは、きっと不安の表れなんだろう。本当はみんなと仲良くしたいのかもしれないし、どうにか出来ると良いのだけれど。


 でも、アナイス先生はもうこうした悪意や嫉妬を察知していて、足を引っ張らないように振り分けた可能性すらあるのか。改めて凄い先生だな。


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