第32話 渦巻く嫉妬

 アルフェに触発されたのか、本気で簡易術式に取り組みたい気持ちが湧いた。


 帰宅後、母から白紙の術式基盤と魔墨まぼくを借りて、簡易術式を書いてみることにした。


 誰に見せるわけでもないから、自分が知る最も強い生物が良さそうだ。僕でも想像しやすいところで、黒竜教の主神、黒竜神ハーディアあたりが適当だろうな。


 あれなら、僕がグラスだった頃に遠目ではあるけれど実際に見たことがある。人魔大戦の際に、黒竜神が魔族と戦っていたのだから。


 ゼロから想像するのではなく、実際にこの目で見た記憶を頼りに想像できるのなら、かなり完成度の高いものを生み出すことができるだろう。そう思うと好奇心が強く疼いた。


 もしも実際に召喚してみたくなったとしても、黒竜神の奇跡だとかなんとか言えば誤魔化せるだろうし。

 そう考えて、黒竜神ハーディアの簡易術式を作成することに決めた。


 この国では黒竜教が信仰されているので、黒竜神を表した新字が既に作られているらしい。竜、黒、神の意味を持つルーン文字が重ねられたこの新字は、黒竜教の神事の際にも用いられるらしく、かなり一般的に知られている文字のようだ。


 試しにそれだけで召喚してみると、想像よりも遙かに小さい黒竜神が生み出された。手のひらほどの大きさの黒竜神は、神事に使うには便利かもしれないけれど、思っていたのとはちょっと違うな。


 どうもむやみやたらに召喚できないように、リミッターが施されているようだ。まずは、それを外す必要があるな。思ったより厄介だが、それがまた面白い。


 記憶を頼りに、黒竜神の特徴を列挙していく。鋭い角があり、空を翔る翼があり、その全身は鎧のような鱗に覆われている。体表は艶やかな漆黒で、二本の足で立ち、四肢には鋭い爪を備えている――そんなところか。


 あとは、人魔大戦では口から煉獄の炎を出して魔族を薙ぎ払っていたので、試しにそれも採用してみたいな。

 目的は自分の簡易術式の知識を現代の技術に適合させることだし、ついでだから、召喚札への複数魔法の機能を実験的に入れてみるか。


 新字のルーン文字を僕の持つ知識と組み合わせてみる。


『汝の身は竜。始原の炎より生まれし、アルカディアの神。昏き空より来たり、我らの脅威を退けたまえ』


 術式の綴りは少々古風だが、まあ、授業で見せるわけではないしこんなところだろう。これに攻撃魔法を入れておくには、詠唱に反応して術式を起動させるようにするのがいいな。


『千の牙を以てその身に絶望を刻み、赫灼はこの世全てを灰塵に帰す』


 これで、炎魔法フレイムピラーの詠唱に反応して黒竜神の口から、炎の柱が発せられるようになるはずだ。


 実際に書いてみると意外とあっけないものだな。新字もコツを掴んでしまえば、前世の知識を持つ僕には、取るに足らないようだ。



◇◇◇



 入学から二週間後――。


 アナイス先生の魔法学の授業で、班分けが行われることになった。アナイス先生によると、レベルが同じくらいの生徒を組ませて向上心を高めるという狙いがあるらしい。確かに適切な学習計画のためには、クラス分けだけではなく、さらに細分化された班分けのような区分が必要だろう。そのくらいアルフェの魔力がずば抜けて高いことは、他のクラスメイトも薄々感じるところではあった。


「アルフェはリーフと組んで、その能力を存分に発揮してくださいね」

「はいっ」


 アナイス先生が僕とアルフェに微笑みかける。比較的わかりにくい言葉で褒められたが、アルフェは僕とペアになれたことの方が嬉しいようだ。


 ――確かに他の生徒のやっかみは面倒くさいな。


 班分けの間も、一部の生徒がこちらを妬ましく見つめている視線を感じる。こういう視線は僕がグラスの時も錬金学会からさんざん受けたので覚えがある。子供のうちはそうでもないかもしれないが、かなり厄介なものだ。アルフェに危害が及ばないといいのだけれど……。


「……以上で班分けは終わりです。今後は班ごとに課題を与えますので、そのつもりで」

「先生、その課題はみんな同じですか?」

「必要に応じて――つまり、みなさんの実力に応じて変更します」

「それって、魔力が高い人が『ひいき』されるってことなんじゃないですかぁ?」


 あからさまな不満が持ち上がり、教室内の視線がアルフェの方に向いた。アルフェは敵意のこもった視線を突然向けられて戸惑い、僕の影に隠れるような仕草を見せた。


「高い能力を持つ人が、そうではない人に合わせるのは合理的ではありません。また、自身の能力に合わない課題は皆を不幸にします」


 アナイス先生が落ち着いた口調で説明する。そのはっきりとした合理性を求める姿勢に偽りはなかった。


 僕とアルフェは、特待生になることが決まった付属幼稚園の頃から、一貫してその能力を活かすことだけに集中できる環境を用意されてきたのだから。


 だから、今、能力の差が顕在化してきた段階でその方針を強く打ち出そうという考えには、僕も同意する。だが、子供に対してその理屈が通じるかどうかと言えば、違うような気もする。


「……魔族女……」


 クラスメイトの中で、最も体格の良い男の子がアルフェを睨んで呟いた。


「え……」


 その低い呟きはアルフェの耳にも届き、アルフェは驚愕に目を見開いて耳を押さえた。


「ははっ! 図星なんだろ? その変な目が証拠なんだよな、まーぞくおーんな!」


 男の子の言葉に全身の毛が逆立つような怒りが湧いた。アルフェの浄眼は魔族由来のものでは断じてないし、こんなに良い子が魔族な訳がない。本物の魔族も見たこともないくせに、信じられない侮辱の言葉を浴びせてくるんだな、子供っていうのは。


「……っ」


 怒りに突き動かされるように、思わず立ち上がった。立ち上がった僕の服の裾を、アルフェが震える手で掴んでいる。


「リーフ、だめ……」


 僕が怒っているのがわかったのだろう。アルフェが首を横に振っている。でも、なぜかはわからないけれど、僕の怒りは収まらなかった。


「……撤回なさい」


 僕を正気に戻したのは、アナイス先生の静かな声だった。それなのに、僕よりも怒っているということが伝わってくる恐ろしい響きの声だった。


「……先生、なんでですか? 子供の冗談ですよ?」


 アナイス先生の怒りが伝わっていないのか、それともわかっていて弁明しようとしているのか、男の子が言い返す。アナイス先生は毅然とした態度で生徒と対峙し、決して譲らなかった。


「それは許す側が言う言葉です。あなたがそれを盾に誰かを貶める発言をすることは、許されません」

「……っ、す……すみませんでした」


 ズボンがくしゃくしゃになるほど強く掴んで、男の子が謝罪の言葉を述べる。けれど、俯いたその顔がアルフェの方を向くことはなかった。


 形だけの謝罪だったが、アナイス先生はその場を一旦は収め、授業が再開される。


 それでも、授業の合間合間で、アルフェの浄眼に対するクラスメイトたちの噂話は囁かれ続けた。渦巻く嫉妬が悪意に変わるのも時間の問題だろうな。アルフェを守らなくては。

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