第24話 初めての魔法学

 自己紹介が終わった後、短い休憩を挟んで授業が開始された。


 最初の授業は、魔法学の授業だった。階段状に連なっている机の上には人数分のガラスのコップが置かれている。コップの中は空だった。


「はじめまして。これから一年間、魔法学を担当しますアナイスです。私の授業では、知識よりも創造性――つまり実践を重視します。みなさんの豊かな想像力を活かして、是非その力を発揮してください。楽しみにしています」


 アナイスと名乗ったシルバーグレーの髪の婦人が品良く微笑む。教壇に立つアナイス先生は柔らかで優しい口調ではあったが、クラスの皆は神妙な面持ちで一語一句聞き逃すまいというように耳と目を使っているのがわかった。


「それではみなさん、目の前にコップがありますね。今日はこれを使って水魔法の実践を行います」


 魔法は苦手だけど、僕のレベルでもこの年齢ならまだ通用するだろうか。


 アナイス先生は和やかに全員を見渡すと、黒板に向けて光る杖を振るった。板上に、『水よ』という文字が浮かび上がる。水魔法の基本である、クリエイト・ウォーターの式句だ。


「では、コップに水を注ぐことから始めてみましょう。皆さんの魔法適性能力が高いことは入学前試験で実証済みです。初めてでも恐れずに、想像してみてください」


 先生の合図を受け、教室のあちこちから「水よ」の式句を唱える声が上がる。隣を見ると、アルフェも真剣な面持ちでコップに手を翳し、水を生み出そうとしているところだった。


「水よ……」


 皆にならい、僕もクリエイト・ウォーターの式句を唱える。難なく成功し、コップの半分ほどを水で満たすことができた。


「素晴らしい、上出来です」


 全員が成功したのだろう。アナイス先生が手を叩いた。


 先生の拍手で安堵したのか、教室のあちこちからクラスメイトたちの声が上がる。ざわざわとざわめくようにそれは大きくなり、教室全体が少し賑やかになった。


 ただ、初めてということもあり、水を生み出すことには全員が成功しているが、その制御が上手く行っているわけではないこともわかる。


 見回してみると、教室のあちこちが水浸しになっていて、机だけでなく、真新しい教科書にも水がかかったりしているのが散見された。


 アルフェのコップからも水が溢れている。ただ、アルフェはかなり集中しているのか、自分が濡れていることはおろか、周囲のざわめきにさえ気づいていない。


 こうした状況がよくあることなのか、アナイス先生は全く気にしていない様子で次の指示を出した。


「さあ、みなさん。いいですか? 次のステップに進みますよ」


 明るい声とともに一度だけ手を叩き、アナイス先生が生徒たちを見渡す。先生の言葉に、教室のざわめきが止まった。


「次は応用です。『創造せよ』と唱え、思い描いた形に水を変化させてください。これは誰もが成功するとは限りません。大切なのは、想像することです。より具体的に、より強く具現化させることを念じるのですよ」


 アナイス先生に注がれていたクラスメイトらの視線が、コップの中の水へと移る。僕の隣に座るアルフェも例外ではなく、目を閉じてコップを包むように両の手を添えた。


 開け放たれた教室の窓から、涼しい風が舞い込んでくる。それはアルフェの薄紫色の髪を柔らかく持ち上げたかと思うと、僕の頬を撫でるように流れていく。


「……創造せよ」


 凛とした声が、教室内に静かに響いた。アルフェが手を添えたコップに淡く柔らかな光が宿ったかと思うと、それは種子となり若芽となって成長を続け、美しく光り輝く一輪の透明な花が現れた。


「わぁ……」


 アルフェの創造に気づいたクラスメイトから次々に驚嘆の声があがる。


「とても素晴らしい。アルフェ・クリフォート」


 アナイス先生はアルフェの元へと真っ直ぐに歩み寄ると、穏やかな視線をアルフェが生み出した花に注いだ。


「あなたの心に咲く花とは、このようなものなのですね」

「……あ、ありがとうございます……」


 先生に褒められたアルフェは、恐縮したように俯いている。


 ――心に咲く花。


 いい喩えだと思った。確かにアルフェの心には、こうした綺麗な花が沢山咲いていそうだ。


「……あなたはどうですか、リーフ・ナーガ・リュージュナ」

「僕は想像が苦手で、上手く行きませんでした」


 こうしたことは苦手なので、試すまでもない。失敗を告白してその場を濁そうとしたが、アナイス先生は穏やかな口調で僕を促した。


「得手不得手は誰にでもあります。大切なのは、可能性を信じることです」


 グラスとしての前世でもそうだったが、可能性や希望という曖昧なものを信じるのが苦手だ。そもそも水の形を変化させるという意図が僕にはわからない。


「質問があるのならば、受け付けましょう」


 視線から心の中を読み取られたかのような返答だった。僕は、苦笑するのを堪えながら授業に役立ちそうな質問を選んだ。


「生み出した水の形を魔法で変えるのには、どんな意図がありますか?」

「面白い質問ですね」


 想定していた質問とは少し違ったようだ。アナイス先生の目が興味を持って僕を見つめている。


「水は、流動性の高いものです。いわば決まった形を持たないもの。その形をひとつに留め置くことには、高度な想像力と魔法技術を要します。この課題では、みなさんの秘めたる可能性を測っているのですよ」


 要するにアルフェのような高度な適性を探っているということなのだろう。だが、アナイス先生の話はそこで終わりではなかった。


「あなたにとって水とはなんですか、リーフ?」

「……僕にとって、水は水でしかありません。飲み物であり、生活の中で使うものです」


 正直に答えた。僕が想像を苦手とするのは、日常的な水の用途以外の価値を上手く見いだせないからだ。例えば水で剣を作れたとしても、それはあくまで形を模しているだけに過ぎない。金属などを材料とする剣とは本質的に劣るのだ。


「……それではこうしましょう」


 アナイス先生は僕の考えを聞くと、微笑んで続けた。


「その水を、容れ物もなく運搬できるとしたら便利ではありませんか?」

「なるほど」


 呈示された視点は興味深いものだった。その姿ならば、僕にも想像が容易だ。


「こういうことでしょうか? ――創造せよ」


 水の入ったコップに手をかざして唱える。アルフェのように光が宿るといった変化は起きず、見た目にもほとんど変化は起きなかった。ほんの僅か、その容積が変わったこと以外は。


「……できました」


 手応えを感じ、コップを逆さまにする。中を満たしていた水は、そのままするりと滑り、僕の手のひらの上に落ちた。


「リーフ、すごい!」


 ぷるぷるとした半固形状になった水が、手のひらの上で揺れている。アルフェが感動した様子で声を上げてはしゃぎ、僕に抱きつくように寄り添った。


「よくできましたね。それが想像というものです。あなたらしい想像を伸ばしましょう」


 アナイス先生が満足げに頷いて踵を返す。僕も頷いて、半固形状の水を少し囓ってからコップに戻した。


「おいしい?」

「うーん。別に味はしないけど、口の中で水に戻る感じは悪くないかな」


 これなら、水入れがなくて困った時にでも、便利に運ぶことができそうだ。野宿する時に役立つかもしれない。


 小学校だと思って油断していたが、グラスの時代から三百年後ということを考えると、教育方法もかなり進化していて侮れない。魔法が苦手というのはグラスと変わらないが、この先生の元で学ぶのは面白いなと、興味を持った。


 アナイス先生は、その後も教室をゆっくりと巡り、ひとりひとりに丁寧に創造の仕方を説いて回った。気づきを得たクラスメイトたちが、次々に創造を成功させていく。初めての魔法学の授業は、想像していたよりもずっと面白かった。


「それでは、時間になりました。教室を片付けて終わりにしましょう」


 授業時間終了の鐘が鳴る中、アナイス先生が静かに手を掲げる。


「集結せよ」


 アナイス先生がそう唱えると、あちこちを濡らし、床や机に水たまりを作っていた教室中の水という水が吸い上げられるように宙に浮き、先生が掲げた手の上に集まり始めた。


「すごい……」


 アルフェの服を濡らしていた水も吸い上げられて、水滴がキラキラと宙を舞うように移動していく。アナイス先生の掲げた手の上で、集結した水は巨大な水球へと変化していった。


「魔法とは想像であり空想です。想像力を鍛えることです」


 集められた水は見る間に形を変え、今度は細かな霧になって窓の外へと流れて行く。


 アナイス先生の指導で魔法学にちょっと希望を持ったが、こんな想像は僕には無理だな。レベルの違いを見せつけられたようで、思わず苦笑を浮かべてしまう。僕の隣のアルフェはというと、アナイス先生の見事な魔法に目をキラキラとさせて拍手を送っていた。



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