第25話 アルフェの『お願い』
昼休みを挟んで明日からの授業計画の周知がなされ、一年生は他学年よりも早く放課後の時間を迎えた。
初日の授業は終わったが、まだやるべきことはある。
錬金術の教科書にあったグラス=ディメリアの功績の件が気になり、僕はアルフェの誘いを断って図書館へと向かった。
アルフェは校舎の探検に行くというクラスメイトに手を引かれ、僕をしきりに気にしながらも別行動を受け入れていた。この調子で他の子供たちとも仲良くしてくれると、一人の時間が増えて助かるのだけれど。
◇◇◇
図書館に足を踏み入れると、インクと紙の懐かしい匂いがした。僕がグラスだった頃、部屋を満たしていたものと同じ匂いだ。
図書館の分類規則に従って整然と並べられた本棚は、天井まで届くほどの高さがあり、吹き抜けになっている三階までびっしりと本で埋まっているのが見て取れた。吹き抜けの中心には各階を繋ぐ螺旋階段があり、それは地下にも続いていた。
館内を闇雲に歩いていても目当ての本は見つからないのはわかっていたので、螺旋階段の傍に設置された蔵書検索用の魔導器を使うことにした。
紫色の魔法石に手を
教科書に名前は載っているが、僕について執筆された本があるわけではないようだ。
――そういえば、世の中に発表していない僕の研究に関する記録は、僕自身が死の間際に全て燃やしてしまったな。
思い出すと同時に、僕を『処刑』した
「お困りかしら?」
驚いて振り向けば、柔和な笑顔を浮かべた前掛け姿の女性がこちらを見下ろしている。白い前掛けには『司書』と記されていた。どうやらこの図書館を管理している職員らしい。
「あ、その……」
面倒なので断ろうかと思ったが、考えを改めた。
「この人のことを調べたくて……」
入学して間もない生徒ならばこう訊ねるだろうと言葉を選ぶ。司書の女性は空間投影の画面を
「少し古い年代だから、別館の方にあるわよ。単著ではなくて、錬金学会がまとめたものになるのだけれど、いいかしら?」
「はい、大丈夫です」
一年生には難しいと断られるかと思ったが、想像以上にスムーズに案内された。司書の女性によると、図書館の裏手にある旧図書館が現在別館と呼ばれている建物らしく、自由に出入りできる場所ではないらしい。
窓が閉ざされた別館の中は、埃っぽく、古い紙とインクから出る独特な匂いで満たされていた。
「
「ありがとうございます。大丈夫です」
丁寧な説明を受けた上に謝られたが、元々家に持ち帰るつもりもなかったので頭を振る。
「ここで待っていてね」
閲覧用の机に僕を案内し、司書の女性は細い階段を降りていった。
一人になった僕は、改めて別館の書架をぐるりと見渡した。僕の死後に蓄積された膨大な知識が、この別館と本館にある。そう思うと、忘れかけていた研究に対する情熱のようなものが湧いてくる。少なくともここに居れば退屈せずに済みそうだし、一人で過ごせそうだ。
「閉館までまだ時間があるから、ゆっくり読んでね」
程なくして戻って来た司書の女性は、
手渡された二冊の本には、僕にとっては苦くも懐かしい研究の記録が詳細に記されていた。
もう二度と関わりたくないと決別した錬金学会が、僕の功績をまとめて後世に残しているというのはなんとも皮肉なものだ。だが、どうやら教科書に書かれていた内容は確からしい。記憶の中にある理論や研究結果、論文の内容に齟齬がないことから、記録されているのは間違いなく僕の功績のようだ。それを確かめた僕には、新たな疑問が湧いた。
二冊の本の発行年次は、いずれも僕の死から数年後となっている。僕の研究を我が物とした錬金学会が、わざわざ僕の名でこうして記録を残すのには、どんな理由があるのだろう。
考えたところで、この本に携わった全員が没した今となっては、やはり知る由もないのだが。
――もしかして、僕の転生と関係が……?
ふと脳裏を過った可能性に気づいたその刹那。
「……リーフ、リーフ!」
外から僕を呼ぶアルフェの声が聞こえてきた。声の感じからすると、今にも泣き出しそうな時の響きに似ているな。なにかあったのかもしれない。
「あら、お友達?」
僕の反応に気づいた司書の女性が、受付台を離れて別館入り口の扉を開く。アルフェにグラス=ディメリアのことを知られたくなかったので、僕も本を閉じて司書の女性に続いた。
「あら、もういいの?」
「はい。ありがとうございます」
「どういたしまして。また、いつでもいらっしゃい」
司書の女性に見送られて別館を出たところで、半泣きのアルフェが駆け寄ってくるのが見えた。
「リーフ……っ!」
目にいっぱいの涙を浮かべたアルフェが、僕の胸に飛び込んでくる。
「みんなと一緒じゃなかったの?」
落ち着かせようと背中を撫でてやると、アルフェは首を横に振りながら大きく息を吐いた。
「リーフがいないと、ワタシ……」
「……アルフェは、僕だけじゃなくて他に友達を作った方がいいよ」
赤ちゃんの頃から一緒だったが、アルフェもそろそろ子供ならではの社会生活に馴染む時が来ているはずだ。少なくともアルフェは、僕に左右されずにアルフェの人生を謳歌すべきなのだから。
「リーフは、アルフェとじゃ……いや……?」
「そういうことを話してるんじゃないよ。わかるでしょ?」
宥めながら言ったが、アルフェは激しく首を横に振った。
「リーフがいいの。リーフがいれば、友達なんていらない」
「君はそれでいいの、アルフェ? 僕がずっと君の傍にいるとは限らないのに」
「……え?」
僕の言葉に、アルフェは驚いたように目を丸くして顔を上げた。夕陽の輝きを受けたアルフェの浄眼が、いつにも増して不思議な光を湛えている。
「ねえ、リーフ。……今あの『お願い』、使ってもいい?」
「使う……?」
アルフェのことだから、大事にとっていそうだと思っていたけれど、思いの外、早く使うんだな。そんなことを考えていた僕の手を、アルフェがそっと取り、祈るように繋いだ。
「リーフはずっとワタシの傍にいて」
「ずっと……?」
子供らしいというか、漠然とした期日だった。なるほど、そうきたか……。
「ずっとは『ずっと』だよ、リーフ」
アルフェの手に、きゅっと力がこもる。俯いたアルフェが微かに震えているのがわかった。
「……その……リーフが、ワタシのこと……きっ、嫌いになったり……したら……あきらめ……る、けど……」
――ああ、この子は本当に想像力が豊かなんだな。
他人のことなんて興味がなかったはずの僕が、いつの間にかアルフェを理解している。僕に嫌われたらと想像しただけで号泣するなんて、アルフェの『すき』は一体どうなっているのだろう。
「……ならないよ」
反対に、アルフェが僕のことを嫌いになる可能性はありそうだけれど。
多分アルフェは、僕の嫌がることはしない。一緒に過ごした歳月でそれはもうわかっていた。
「ほんとうに……?」
顔を上げたアルフェは、涙でぐしゃぐしゃになった顔で僕をじっと見つめた。どうして想像だけでそんなに泣けるのかは、僕にはわからない。でも、それがアルフェらしいといえばそうだと思う。
でも、さすがにそろそろ泣き止んでもらわないと、泣き腫らした目で帰宅したらジュディさんも心配するだろうに。
「アルフェは、僕が信じられない?」
少し意地悪な質問だとわかっていてぶつけると、アルフェははっとしたように目を見開いて、ぶんぶんと首を横に振って、僕に抱きついた。
「リーフ、だいすき!」
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