第2話 死の宣告

「……お前は、誰だ……?」

「お初にお目にかかります。カシウスと申します」


 カシウスと名乗った青年が、僕の目を真っ直ぐに見つめながら頭を垂れる。


「禁忌を犯す者の処刑が、私の務め。どうかお許しください」


 いかなる隙も与えるつもりはないのだろう。ひとときも視線を外さない彼の目が、僕の処刑が揺るぎないことを物語っていた。


 存在に気づいた瞬間から、人間ではないことはわかっていた。ならば、宣告された『処刑』は女神の決定なのだろう。


神人カムト……」


 わかっていることを敢えて口にする。カシウスは意外そうに眉を動かし、すぐに微笑みをたたえた目で僕を見つめ返した。


「そうです。正しくは、破局の衛士カシウスと申します」


 カシウスという名は初めて耳にしたが、破局の衛士という座名には覚えがあった。

 戦って勝てる相手ではないことは理解できた。だが、理由もわからずに処刑されるわけにはいかない。


 逃げることも戦うこともままならないこの身体で、今できることは頭を使うことだけだ。


「破局の衛士とは久しいな。人魔大戦末期以来か」

「神人があなたの元を訪れたという意味では、そうなります」


 抑揚なくカシウスが答えた。


 人魔大戦とは、10年ほど前に終結した人と魔族の戦争のことだ。魔神デウスーラの眷属である魔族の軍団、及びその魔神に操られた魔獣の大軍の進軍により、女神の眷属である人類は滅亡の危機にさらされた。


 僕も例外ではなく、アトリエのあった学術都市アルゴンは魔族の襲撃を受けて、毒沼に沈んだ。


 多くの人々や土地が魔族に蹂躙じゅうりんされていく中、女神は人類の存亡をかけて多数の神人カムトを戦地に送り込んだ。


 戦況を打破すべく、新たな武器の開発も進められた。僕は破局の衛士を名乗る神人に依頼され、多くの武器を女神の使いである神人に供与した。その甲斐あって人類は勝利を掴み取り、今に到るのだ。


「……処刑には、その刀を使うつもりか?」


 人魔大戦末期に製造を依頼された刀――神刀青銅の蛇ネフシュタンもその一つだ。僕の錬金術における最高傑作は、僕の予測と制御の範囲を超え、三度の奇跡と百回の偶然が重なって誕生した。


 その青銅の蛇ネフシュタンは、予想どおり、カシウスによって帯刀されていた。


「随分と冷静なのですね。死を宣告されたというのに」


 カシウスが僕の問いかけに反応した。会話を続ければ、少しぐらいは時間を稼ぐことができそうだ。その隙に考えるしかない。自分の命を守るには、それ以外に方法はないのだ。


「質問に答えてくれ。その刀を処刑に使うつもりか?」

「そのつもりです」


 二度目の問いかけにカシウスは優美に微笑んだ。


「……皮肉なものだな。自らが製造した刀で命を絶たれるというのは」

「この青銅の蛇ネフシュタンのことですか?」


 思い出したかのようにカシウスが柄に手をかける。

 冷たい汗が背を伝うのがわかった。この刀を抜かせてはならない。


「ああ、なるほど……。これもあなたの功績でしたか」


 カシウスは柄を指先で撫で、静かに下ろした。


「そう緊張せずとも、今すぐ処刑を執行したりはしませんよ」


 僕の緊張を見透かしたようにカシウスが目を細める。


「わかっているならば、物騒な真似は止めてくれ」

「これは失礼。配慮に欠けていましたね。これを抜けばどうなるか、あなたが一番良く知っているというのに」


 謝罪の言葉を口にし、カシウスが半歩後ろに下がった。今すぐ斬るつもりがないという意思を示そうとしたのだろうが、それが意味をなさないことは僕にはよくわかっていた。


 単に心理的な意味でのまやかしなのだ。

 何故なら、刀という名を持ってはいるが青銅の蛇ネフシュタンには刃が存在せず、鞘には鍔と柄が刺さっているだけなのだ。


青銅の蛇ネフシュタンの、『切断』の能力は問答無用で空間を切断する。君が抜いた瞬間に僕は絶命を免れない」

「その通りです。とはいえ、切断する空間を選べば、即死は免れられることでしょう」


 カシウスが部屋を眺めるように見渡しながら述べる。


「笑えない冗談だ。ところで、それをどこで手に入れた?」

「先代から譲っていただきました」


 カシウスの表情から笑みが消えた。


「……そうか」


 人魔大戦の最中で命を落としたか、否か。少なくとも僕の知る神人の名を出して、話を引き延ばせないことだけは理解できた。


 ――このままでは、話が尽きたところで処刑が執行されてしまう。


「……処刑と言ったが、罪状を知りたい。罪も知らせず罰だけを下すのが神人のやり方ではないだろう? 禁忌の領域とはなんだ?」

「……それを知る必要がどこに? いずれにせよ、あなたの死は変わらない」


 怪訝に眉を寄せたカシウスが右の手指を動かしている。そこにはない柄を握るような動きだ。


「罪を悔いることで、得られるものもあるはずだ。必要とあらば、神に懺悔しよう」

「いいえ。罪を悔いる必要はありません」


 カシウスが冷たく拒絶する。右手の拳がかたく握られるのがわかった。


「既に禁忌の領域に踏み込んだ以上、赦されることはないのですから」


 時間を稼ぎたい。どこかに助かる術があるはずなのだ。


「あなたを世界から抹殺する。それが私に与えられた使命です」


 だが話は途切れ、カシウスが再び柄に手を触れた。


「…………」


 部屋に自分の心臓の音が響いているような感覚があった。迫りくる死から逃れろと、頭の中では絶えず警鐘が鳴り響いている。


 だが、逃げようにもカシウスには隙がない。黒石病で身体が思うように動かせないが、たとえそれがなかったとしても、逃げられないであろうことは、本能が理解していた。


「……これは僕の人生であり、僕の命だ。それに、禁忌の領域を知らなければ、同じ罪を犯すだろう」


 助かる方法は――、突破口はないのだろうか。

 何か、何か……。


 焦りを感じ始めていた僕の耳に、カシウスが薄く笑う音が響いた。


「転生の際には、念入りに記憶を消さなくてはなりませんね」


 ――転生? この僕が?


 処刑されたとしても、新たな生命として生まれ変わることができる、ということだろうか?


「……噂には聞いていたが、どうやら僕も転生出来るようだな」

「女神は全ての魂に、等しく機会を与えてくださいます」

「それが『処刑』に対する罪滅ぼしか?」

「いえ、この世の生命に与えられたことわりです」


 さも当然のことのようにカシウスが淡々と述べた。


「それは慈悲深いことだ。願わくば、今世よりまともな人生を送らせてもらいたいものだがな」


 心からの皮肉だったが、カシウスは同情を示すように眉を下げた。


「それがあなたの望みですか?」

「……っ」


 問いかけに、言葉が詰まった。何故答えることができなかったのか、自分でもわからなかった。


「今世をあなたは、幸福には生きていない。その自覚があるのならば、未練も断たれることでしょう」


 カシウスが柄にかけた手に力を込めるのがわかった。もう、猶予はないのだと告げられたのだ。


「僕が追い求めた真理はどうなる? 人魔大戦での功績は神人も認めるところではなかったのか?」

「功績は認めています。高く評価しましょう。ですが、あなたの罪を見逃す理由にはなりません」

「だが、僕には錬金術しかない。まだ真理に辿り着けてもいない! 未練というならば、これこそが僕の未練だ。残された命で、それをどうして追求させない?」


 焦りが苛立ちを呼び、声が荒くなる。同時に込み上げてきた咳が喉を突き上げ、血混じりの痰が咄嗟に口を押さえた手のひらに散った。


「……何故そこまでして、錬金術にこだわるのですか?」


 カシウスの手が、柄から離れた。


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