第3話 生への執着

「命を賭けて成し遂げたいことは、己の知を満たすことだけでしょう? 錬金学会からも去り、たった一人で続けてきたあなたの今の研究は誰にも知られることはないでしょう」


 話を続ける猶予はまだあるのだろうか。わからないが、続ける以外に道はない。


「お前になにがわかる?」

「わかりません。ですから、共感することもできません。自ら孤独を選び、世間から隔絶されたこの場所でたった一人で生きてきたあなたにも、それがわかっているのではありませんか?」

「だが、僕の錬金術の研究は――」

「生まれ落とされたまま孤児となり、養父フェイル・ディメリアに拾われた後の安息も束の間――自分がホムンクルスの『材料』だと知らされたあなたは、養父を殺して生き延びた。あなたと錬金術を繋ぐ縁は、この程度です」


 カシウスは僕の話を遮り、誰にも知られることのなかった子どもの頃の罪を淡々と暴いた。

 この神人は、全てを知っているのだ。


「……死にたくなかった。生き延びるために、仕方なかった……」


 信じていた養父に『材料』だと告げられ、絶望を知ったあの日の恐怖が蘇る。頭の中からその記憶を追い出そうと首を振る僕の頭に、カシウスの手が置かれた。


「咎めているわけではありません。あなたが追い求める真理とは、元を正せば養父の跡を辿っているに過ぎません」


 カシウスに触れられているせいなのか、養父との『幸せ』だと感じていた頃の記憶が残酷な末路を塗り替えていく。


「僕は、ただ……認められたかった……」


 才能があると言われ、死と隣り合わせのストリートチルドレンの生活から救い出された。

 屋根のある家、温かなベッド、温かな食事――。寝食が保証されていることが幸福なのだと知った。


「昔のように? 褒めてくれる養父はあなたが殺したというのに?」


 それが絶望を運んでくるとは、思いもよらなかった。


「僕はただ……僕を僕として……、必要とされたかった。その手段が錬金術で、なにが悪い?」

「悪くはありません。先代はあなたに感謝していました。人魔大戦での活躍は称賛に値します」


 慰めるようにカシウスが告げる。その言葉に僕は力なく首を横に振った。


「錬金術がなければ、それもなかった。僕には、錬金術しかない……。僕の錬金術を称賛に値すると言うならば、なぜ処刑を言い渡す? 僕は錬金術しか――」

「その錬金術で、あなたはなにを求めているのですか?」

「真理だ。……さっきも言ったはずだ。真理を追い続けている。今もだ。……だから、僕の研究で、新しい身体を手に入れてその続きを――」


 言い終わる前に、カシウスが手を叩いた。単調な拍手の音が、酷く冷たく部屋に響く。


「なるほど……。そういう理屈であなたは動いていたのですね。では、己の罪を最期に知るというのも、悪くはないでしょう」

「温情に感謝しよう」

「心にもないことを」


 見透かすような冷たい声が、カシウスの唇を震わせた。


「グラス=ディメリア。あなたの罪は、ホムンクルスの研究にあります」


 告げられた罪状は、あまりにも理不尽なものだった。


「……僕以外にも研究者はいるが?」

「完成度が全く異なります。あなたが完成させた理論は、既に神の領域に踏み込んでいます。魂を受け入れる器としてのホムンクルス――その存在は、世界に大いなる災いをもたらすでしょう」


 僕の反論に、カシウスは眉一つ動かさずに続けた。研究の完成度という意味で、誰にも到達できていない域に来ていることは、これで明らかになった。それが仇となって、処刑を言い渡されたことも。


「……では、そのホムンクルスの研究を破棄すれば良いことでは?」

「一理あります。全ての研究を破棄するならば、考えを改めましょう」

「……わかった」


 活路は、突然開けた。

 僕は暖炉の火に、ホムンクルスの研究書をひとつひとつ焼べ始めた。


 時間をかけてゆっくりと火に焼べる間、カシウスは黙って扉にもたれて目を閉じていた。何を考えているのかはわからなかったが、僕は研究の全てを燃やし続けた。


 それで既に完成しているホムンクルスを守ることができれば、僕は生き延びることができる。


 暖炉の火だけでは足りず、簡易術式の魔法陣を使って火を呼び出して火力を上げた。膨大な灰は別の魔法陣を使って風の魔法を起こし、煙突を通じて外へと吐き出させた。

 そうして僕は、ホムンクルスに限らず、全ての研究書を燃やし続けた。


「……それで全てですか?」


 研究室の棚が空になった頃、カシウスが目を開いた。


「……そうだ」


 研究成果が一つ、壁の隠し扉の向こうにある研究室に残されているが嘘を吐いた。


「わかりました」


 カシウスは頷き、僕に背を向けた。


 ――これで終わりだ。


 あのホムンクルス本体だけが残れば、目的は達成される。


「残念です。グラス=ディメリア」


 だが、その低い声と同時に振り返ったカシウスが青銅の蛇を抜いた。


「!!」


 次の瞬間、背後の壁が吹き飛び、巨大なガラス容器の中に収まっているホムンクルスの姿が露わにされた。


「神人相手に、そのような小細工が通用するとでも思っていたのですか?」

「……っ!」


 氷のような冷たい視線が向けられる。

 袖に隠していた巻物の魔法陣を発動させようと手を触れようとしたが、間に合わなかった。


 目の前を鋭い風が抜けたと同時に、腕が床に落ちた。


「あ……あ……」


 肩口から切り離された腕の付け根から、血がぼたぼたと落ちている。それを認識した瞬間から恐ろしい激痛に襲われた。


「あぁああああああっ!」


 絶叫を上げながら、床に転げた。水のようなもので濡れた床が瞬く間に血で染まり、転げ回る身体に何かが突き刺さる。それが何かわからずに目を彷徨わせていると、若い頃の自分と生き写しの生首が目の前に転がされた。


「……あぁ……、あ……」


 ガラス容器ごとばらばらに切り裂かれたホムンクルスだと理解するまでに、そう時間はかからなかった。


「これで全て『処分』しました」


 目の前の絶望を知らしめるように、カシウスが微笑んで言った。


「……ああ、もうひとつだけ残っていますが、まあいいでしょう」


 独り言のように呟き、カシウスが青銅の蛇ネフシュタンの柄に手をかける。


「さて、あなたにご提案を頂いた件ですが――」


 カシウスはそう言うと、僕の傍に屈んだ。


「二度とホムンクルスを研究しないと誓うのであれば、考えを改めましょう」

「……腕もなく、研究が出来るとでも?」


 失血のせいか、焦点が定まらない。


「傷を治療して助けるくらいは出来ます」


 事も無げに言うカシウスの声に続いて、鍔と鞘を鳴らすような音が聞こえたような気がした。


 青銅の蛇ネフシュタンには、二つの能力がある。ひとつは『切断』、そしてもうひとつは『接合』の能力だ。


 切断されたものは、青銅の蛇ネフシュタンの所有者が触れることで『接合』することができる。カシウスはその能力を知っているのだろう。


 だが、それが何になるというのだ。


「……黒石病も治さなければ、意味がない」

「それは私の責任ではなく、あなたの運命によるもの。受け容れるべきです」

「病で苦しむ時間を延ばして何になる?」


 全ての研究はもう僕の頭の中にしかない。道具も場所も切り裂かれた。


「それはあなたが考えることです」

「残されているのは、絶望だけだ……」


 頼りのホムンクルスを失った僕に、最早希望はない。


「生きている限り、希望は失われません」

「その最後の希望は、たった今奪われ……。お前……が――」


 慰めにしても酷い言い様だと思った。自分で希望を奪っておいて、なぜそんなことが言えるのかと思うほどの。

 けれど怒りを露わにするよりも前に、意識の混濁が始まった。


「続きがあるのならば、止血を施しましょう」

「結構だ。もう、いい……僕は疲れた」


 目が霞んで、視界が白く染まっている。酷く寒かった。


「残された人生に光はない。希望のないこの世に興味もない」


 物心ついたとき、初めて味わった極寒の冬の日を思い出す。あれから三十七年は生き延びたはずなのに、死の絶望からは結局逃れることはできなかった。


「……終わらせてくれ」

「わかりました。あなたを『処刑』します」


 それが僕が最期に聞いた声だった。

 神人としての最期の慈悲か、痛みはなかった。

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