アルケミスト・スタートオーバー ~誰にも愛されず孤独に死んだ天才錬金術師は幼女に転生して人生をやりなおす~

エルトリア

第一章 輪廻のアルケミスト

第1話 生と死


 僕の身体はあたたかい水の中を漂っている。

 ふわりふわりと、優しく揺れる水の中は、天然のゆりかごのようだ。

 これまでに感じたことのない、心地良い眠りだった。

 目は見えないが、辺りが薄い闇に囲まれている感覚がある。


 ――このままずっと眠っていたい……。


 そう思えるほどの奇妙な安心感があった。


 あれほど僕をさいなんでいた孤独は、もうここにはない。

 これが死後の世界だというのなら、死もそう悪くない。


 そう思っていた矢先に、猛烈な変化に襲われた。

 水が波打ち、僕の身体を包んでいた空間が急激に狭まりだした。


 あたたかな水は嵩を減らし、圧迫感が身体を包み込む。

 藻掻こうにも手足が上手く動かせない。

 口を動かしたが、ごぽりと濁った音を立てて何かが溢れただけだった。

 苦しくてたまらない。


(誰か、助けてくれ……)


 救いを求めて叫ぼうとしたが、声にならない。

 闇が迫り、頭が締め付けられる。

 押し潰されそうなほどの痛みに全身が悲鳴を上げている。


 光が見えたと思った矢先、何者かに掴まれ、身体が宙に浮いた。



「あああー、ああー、ああー……」


 情けない声だ。

 これではまるで、赤子の泣き声じゃないか。

 咳き込みながら、声を振り絞るが変わらなかった。

 強烈な光に薄く目を開くと、巨人がこちらを見ているのに気づいた。

 男と女、二人の巨人……。


「おめでとうございます。かわいらしい女の子ですよ」


 僕を掴んだ何者かが、そう言って僕の身体を女の方に差し出した。


(女の子? この僕が……?)



   * * *



 黒石病こくせきびょうという病がある。

 初期の兆候は、身体に浮かぶ黒い点だ。四肢――特に利き手に浮かび上がった黒子ほくろのようなものは、日を追うごとに増加してまだらに広がり、やがて肌を黒く埋め尽くす。


 病巣である黒い点は、皮膚の表面のみならず骨に根を下ろすように身体の内部にも広がり、細胞を壊死させる。結果として黒化した肌は石のように固くなり、それらはじわじわと身体を蝕み、全身に広がっていく。


 致死率は百パーセント。

 僕の身体の大半は、既にこの黒石病が進行しており、その影響は『交換』の利かない内臓に及んでいる。


「……っ、は……。はぁ……」


 発症に気づいてすぐに始めた治療薬の研究は、僕の錬金術の理論を実現する技術が得られずに断念した。苦し紛れに飲む抑制剤も、もうほとんど役目を果たしていない。


 鉛のように重くなった左手で錠剤を口に含んで、テーブルの上の水差しに手を伸ばす。だが、僕の意志は鋼鉄製の義手には届かず、重い音を立ててテーブルに落ちた。


「……ここまでか……」


 とうに黒化してしまった右腕を切り落とし、義手を取り付けていたが、腕の神経にまで黒化が進んでしまったようだ。苛立ちを込めて僕は錠剤を噛み砕き、喘鳴を押し殺して飲み下した。


 テーブルに伏して、荒く息を吐く。どれだけ呼吸をしても、息苦しさは治まらない。肺への黒化の進行は、これから訪れる緩やかな死を意味していた。


「僕は……死ぬのか……?」


 ――この世界の真理を解き明かしてもいないのに。


 稀代の天才錬金術師と呼ばれながら、黒石病の治療さえ出来ない無力感が、重く身体を包む。理論上は完成しているはずの治療薬を、現実のものとして具現することが出来ないもどかしさに呻きながら、僕は自身の身体の限界を感じていた。


 余命はもう幾ばくも残されてはいない。

 新たな身体を手に入れない限り、僕は――死ぬ。


 唯一自由に動かすことの出来る視線を、書棚の奥へと向ける。

 隠し扉の向こうには、僕の血液に遺伝子情報を馴染ませたものをベースにした、完全素体のホムンクルスが眠っている。

 今の僕よりも二十年ほど若い、青年の頃の姿をしたホムンクルスだ。


「限界だ。身体を……身体ごと、『交換』する……」


 決意を口にしたというのに、呻くような音が漏れただけだった。ほとんど言葉にもなっていなかったと言うのに、僕の発した声に反応する者があった。


「グラス=ディメリア、その先は禁忌の領域です」


 凛とした声が、ただ静かにそう告げた。唯一、不自由なく動かせる視線を巡らせると、部屋の片隅に黒髪の若い男の姿があった。


「誰――」


 いつの間に入り込んでいたのだろうか。全く気づかなかった。


 僕は目を瞠るばかりで、それ以上の言葉を紡ぐことができなかった。言い知れない圧のようなものを感じる。男は微笑んでいるのに、その表情は微笑みとはどこか遠い場所にいるようだった。

 黒と青を基調とした衣服は、まるで喪に伏す衣のようでもある。彼には死のイメージがつきまとっているような予感があった。


「あなたは、踏み込んではならない領域に足を踏み入れました」


 微笑みを続けながら、男はゆっくりと歩みを進めて僕との距離を詰めてくる。


「…………」


 違和感の正体を僕は知っている気がした。同時に、頭の中で警鐘が鳴り響き始めた。


 今すぐ逃げなければならない。だが、逃げようにも、扉は男の背後だ。彼の隙を突いて逃げるような真似は、黒石病に蝕まれた今の僕には不可能だ。


「残念ながら、あなたを処刑しなければなりません」


 柔らかに唇の端を持ち上げ、優美な笑みを見せながら男は僕の処刑を宣告した。

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