神外し 3


 ただ、開いた円形の空間。その中心に立つ、特段の変哲のない鳥居。その鳥居と空間をまとめて、『手合いの鳥居』と呼ぶ。一説によれば、その場所は、ノイギィとマヅラが対峙し、幾度もの闘争を起こした場所であるという。しかし。

「車……ばっかりだね」

 私は感想を漏らした。烏瓜村にはほとんど車がない。少なくとも、走行している車を見たことは、一度もなかった。あるとしたら、かつての残滓とばかりに、そこここに乗り捨てられた廃車。そんなものでしか『車』を見たことがなかった私だから、それらを車だと認識するのにほんのわずかだけ、時間を要した。

「見ての通り、車でいま通ってきた道に乗り入れることはできないからね。車を持っている村人は、基本的にここに停めてるの」

 つっても、ここにあるのもほとんどは廃車だけどね。そう、照花ちゃんは言って、ニケケ、と、笑った。この場所にまで来て、少しは緊張感が解けたのかも知れなかった。なぜなら、

「あの鳥居が、実質の、烏瓜村と外界との境界。もっかい、一応言っとくけど。引き返すならここが、本当に最後のタイミングだよ」

 照花ちゃんは言った。しかし、私の心変わりをわずかも期待していないような口振りだった。ただ、注意事項を伝えただけ、みたいな。まあ、私も当然と、引き返す気など、なかったのだけれど。

「大丈夫。行こう」

 私は答えて、照花ちゃんの手を改めて、握った。『手合いの鳥居』という開けた空間に出てからは、照花ちゃんの方から握ってくれていた手は解かれていたから、改めて、だ。照花ちゃんも特別にそれを嫌がったりはせず、私の好きなようにさせてくれていた。私たちは手と手を取り合い、車の隙間を縫って、進んだ。

 と、その車たちに紛れて見えなかった鳥居の足元に、誰かがることに、私たちは近付くにつれて、気が付いていったのである。


        *


「行くんだね」

 彼女は、そう言った。鳥居の足元に、その、ぎりぎり村側――つまるところが、ぎりぎり烏瓜村から出ない位置に立って、定子ちゃんが・・・・・・、そう、言ったのだ。巫女服……のような服装だったけれど、その実、『清観きよみの儀』で着ていたような、ただの真っ白い装束姿だった。

「定子……」

 照花ちゃんが、彼女の名を呼ぶ。警戒するように距離を隔てた位置で、少しだけぎゅっと、私の手をそれ以前よりも、強く握って。

「おまえたちはもとより、我が村にとってはイレギュラーな存在。村を出ると言うなら、それもよかろう」

 明らかに、普段の定子ちゃんらしからぬ口調と、どこか超越的な態度で、そのように、言った。まるで、自分こそが村を統べる、ノイギィ自身であるかのごとく。

 そして、言葉とは裏腹に、まるで道を遮るかのごとく、鳥居の真ん中に立ち尽くしている。もちろん厳密に、その鳥居を潜らずとも、村を出ることはできる。だが、私たちは、定子ちゃんとも最後の別れを交わすように、その鳥居に、一歩一歩、進んだのだった。

「定子ちゃん」

 友達に対する、いつもの距離感にまで近付いて、私は彼女の名を、呼んだ。なにをどう言えばいいかは解らなかったけれど、なにかを言うために。

「……ありがとう。……さよなら」

 簡潔に、それだけを、伝える。というより、うまく言葉が出なかった。学校制度がない烏瓜村では、出会いも、別れも、そう頻繁な出来事ではなかったから。そういうとき、なにを言うべきか、解らなかったのだ。

「……寂しく、なるな」

 さきほどの超越的な表情から一変、いつも通りの困ったような笑顔になって、定子ちゃんはそう、言ってくれた。そして、そこでようやく、彼女は体を引き、鳥居を通るための、道を開けてくれる。彼女がどくと、途端にその鳥居は、大きく感じられた。異世界へ開いた扉のように。あるいは、異世界から出るための、道筋のように。

 私と照花ちゃんは、互いにまた、互いの手を強く握って、それを合図にする。先へ――未来へ進むための、一歩を踏み出したのだ。

「振り返らぬことだ。ここでの出来事は、忘れてしまうのが、おまえたちのためになる」

 そう、背中から声がした。だからというわけではまったくないのだけれど、私たちは振り返らずに歩いた。『手合いの鳥居』。その、円形に森がくり抜かれた空間を過ぎるまで、一心不乱に、進んだ。

 そこからの道のりは、実のところあまり覚えていない。まるで化かされたように私たちは、もしかしたら最初からここに住んでいたみたいに街にいて、で、いまもこうして、女子大生をやっているわけである。

 まるで本当にあの村での生活が、物語だったかのように。


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