神外し 2


 逃げるような駆け足で待ち合わせ場所へ向かった。陽が傾き、これから一気に暗くなる、そんな時刻だった。

「照花ちゃん!」

 目印となる石仏以前に、彼女の、くすんでしまってはいても十分に目を引く赤い甚平が目に留まって、私は声を上げた。

「……早かったね、頼子」

 照花ちゃんは言った。むしろ彼女の方が、一度私の家に寄り、それから自身の家に帰っていろいろ準備をしてきたのだから、余計に手間がかかっていたはずなのに先に到着している。つまり、私なんかよりよっぽど『早い』はずなのだが、そのように言った。まあ、彼女の懸念はむしろ、

「おにーさんとのお別れに時間がかかると思ってた」

 ということだったのだが。

 言われてみればその通りで、私も、どうしてあそこまで淡白に、あるいは今生の別れともなる瞬間を流してこれたのかは疑問だったけれど、やはり、気が動転していたのだろう。だけども、なぜだかいまだに、その点に関する後悔はない。あれだけ過保護に可愛がってくれたお兄ちゃんに、さほどの愛着もなかった……というよりは、むしろ離れていようがなんだろうが、やっぱり家族は家族なんだと、見えない絆があるのだと、心のどこかで信じているから、なのだと思う。そう、思いたい。

「なんだか、勢いのまま準備しちゃったけど、いいの? 頼子」

 その場はまだ、村の中だ。あまり悠長にしている余裕はない。そう思っていた私に、悠長に照花ちゃんは尋ねた。

「なにが?」

 だから私は、疑問を呈する。

「いや、なんだかんだで村を出るには、あたいたちはまだ、ただの子どもだし。苦労も多いだろうし。もしかしたら、野垂れ死ぬかも。……それでも本当に、村を出る?」

 確かに、あのまま村に残る選択肢も多分にあっただろう。あの公民館で見た光景が、なんらかの見間違いや勘違いだという可能性は、正直、ほとんどないと思う。いま思い返しても、あの光景は鮮明だ。そしてリアルに、怖ろしいものだった。だから、その儀式自体が本当はなかった、などという前提は、とりあえずない。が、しかし、それを前提として、そんなことがあったとはいえ、少なくとも表面上、私たちはあの村で幸せに生きていた。だったら、あの儀式のことは知らなかった――見なかったふりをして、生きていくこともできたはずなのだ。あんな、無理をしてまで逃げ出すようなことをしなくても、臭いものには蓋をして、怖いものなど見なかったことにして、まだあと数ヶ月、あそこで過ごしてもよかったはずなのだ。

「……大丈夫」

 だけども私は、そう決断した。それは決して、行き当たりばったりで適当な、思い付きの判断ではなかった。と、そう、信じている。

 烏瓜村は、やっぱり変だった。特段の意味もなく、過去からの因習で、マヅラを嫌うノイギィ派。屈辱的な儀式。それにまつわる、やはり過去から連綿と続く、しきたり。ときには殺人をも正当化する、その考え方。死者を冒涜するまでに高まった、怨念。どれもが吐き気を催すほどに気持ちの悪い、私の心に相容れない慣習だった。だから、一刻も早く、離れたかった。きっとあのままあそこに居続けたら、私は、いつかその嫌悪感に慣れてしまっていただろう。それこそがなによりも、怖かったのだ。

 私は私が、本当の意味でのノイギィになることが、とても怖かったのだ。

「そっか……解った」

 照花ちゃんも決心したように、そう言った。もしかしたら先の問いは、それを問うた照花ちゃん自身を、諦めさせるためのものだったのかもしれない。進むにも、戻るにも。どちらにしたところで、選ばれなかったもうひとつの選択肢を、諦めさせるための、最後の、確認。

「じゃあ、行こ。着いてきて。道は、あたいが知ってるから」

 ご両親に連れられ、何度も烏瓜村を出たことがある照花ちゃんに手を引かれ、私は、とうとう烏瓜村を、旅立った。


        *


 そこからの道順は、特別入り組んでもおらず、一本道だった。村の南西部にある石仏から、さらに南西へ。そのあたりにはほとんど、脇に逸れる道がなく、まるで何度も何度も踏み締められたかのように、しっかりとした道ができていた。あくまで舗装などない、獣道ではあったけれど。

「村に出入りする人間は稀だからね。この、村の出入り口とも言える南西部は、逆に誰も近付かない。あたいとか、外との関係を保っている村人以外はね」

 森に入ると、さらに暗くなり、その静寂をかき消すように、照花ちゃんは話してくれた。

「道は一本だけど、万一見失ったらそれこそ、戻ってくるのが困難だから、気を付けてね」

 そう言う。しかし、私は照花ちゃんに手を引かれているので、道を踏み外しようもなかった。ゆえに、その点に対する恐怖はなかったと言っていい。

 だから、もしかしたらそれは、いつか烏瓜村に帰るときの注意だったのかもしれない。そうだ。いきなりこっそり逃げ出してきたとはいえ、別に決して、帰れない場所でもないのだ。ほとぼりが冷めて、立派な大人になったら、いつか、帰ってみるのもいいのかもしれない。……いまはまだ、全然無理だけれど。

 そうこう歩いてまず、到着したのは、森の中でひとつ、開けた空間。そうだ、そここそが、『六間伝説ろくまでんせつ』のひとつ、『手合いの鳥居』だったのである。


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