第八話 神外し

神外し 1


 急いで――というわけではなかったけれど、私たちは私の家に帰った。思えば、できるだけ急いで帰るのが本来だった。急いで帰り、急いで荷物をまとめ、すぐに村を出る。そうでないと、逃げるように村を出ることを、誰かに邪魔されたかもしれない。だが、照花てるかちゃんの気持ちは解らないが、私は、なぜだか誰にも見付からずに村を出れるという謎の確信を抱いていた。あるいは、誰かにバレてもいいと思っていたのか。どちらにしたところであと数ヶ月もすれば順当に、大学に行くために村は出る予定だったのだ。少しくらい早まっても文句は出ないだろう。そういう気持ちだったのかもしれない。

 しかし、考えてみれば危ない橋だったかもしれない。ただ無知な私たちが大学進学を機に村を出ることには容認がされたけれど、あの、おぞましい儀式を見てしまったことがバレたなら、口封じのために村に軟禁されたかもしれない。そういう意味では、あのとき即断即決に村を飛び出したのはいい決断だったとも言える。あそこで冷静になっていたら、あと数ヶ月でどうせ出るのだし、それまで穏便に過ごそう、とか、考えていたかもしれないから。前述の通り、そうこう悠長に構えていたら、儀式を覗き見たことがバレ、街に出ることを止められていたかもしれない。

 照花ちゃんは、自身の荷物を手早くまとめて、すぐにいったん、私の家を出た。「帰って他の荷物もまとめてくる」ということらしい。まあ、当然だ。照花ちゃんは私の家に勉強に来ていただけだったし、荷物も勉強道具くらいしか持っていない。他に持っていくべき荷物が彼女の家にあるのだろう。

「お金の心配はいらないから。大学入ったら必要になる生活費、もうある程度まとまって入ってる口座がある」

 ぶっちゃけ、お金などまったくやり取りされない烏瓜村だ。口座、という単語すら、私は初耳だった。けれど、なんとなくで理解する。

 ちなみに、私も実は、少しくらいお金は持っていた。お正月にお年玉を貰う、という文化は烏瓜村にもあって、村では使う機会はないけれど、毎年お金自体は貰っていたのだ。当然、使い道のないそのお金は、すべてがまるまる残っていた。確かあのとき持ち出した金額は、30万円を越えていたと思う。まあ、いきなり着の身着のまま飛び出して、縁もゆかりもない街で暮らし始めるには少なすぎる金額だが、住む場所はちょうどその日、照花ちゃんが用意してくれていたし、照花ちゃんが思った以上に大金をもってきてくれていたので、なんとかこれまでやってこれている。いまでも生活はぎりぎりで、バイト三昧だけれど。

 ともあれ、とにかくそのときは夢中で、荷造りをしていた。といっても、やはり持っていくようなものなどほとんどなかったけれど。着替えとお金くらいだ。そうして準備を済ませ、玄関へ。照花ちゃんとは村の南西方面にある、ちょっとした目印になる石仏のところで待ち合わせとなっていた。だからひとりで靴を履き、玄関の扉を、開ける。

「また出かけるんか? 頼子よりこ

 そこでそう、声をかけられた。振り向くと、そこにはお兄ちゃんがいた。

「うん。ちょっと――」

「どこ行くんや? 今日はあんまりフラフラしたらあかん」

 強い口調で、お兄ちゃんは言う。その日、学校にお兄ちゃんが迎えに来たのも、たぶん、あの儀式を万が一にも見せないように、だったのだろう。お兄ちゃんは私と照花ちゃんを見張って、公民館に近付けさせまいとしていたのだ。

「照花ちゃん待たせてるから。すぐ帰るし」

「そんな荷物でか?」

 決して家を――村を出るほどの大荷物ではなかったと思う。事実、あまり持っていくものなどなかったのだし。それは、普段勉強に行くときにも使っていたリュックサックだ。しかし、確かに『すぐ帰る』なら、不要な荷物にも見えたのだろう。

「照花ちゃんが、お菓子たくさんあって、くれるって言うから、貰いに行くだけ。勉強のとき食べるの」

 とっさの嘘で誤魔化してみる。お菓子を運ぶのにリュックサックは必要で、向かう先も照花ちゃんの家ならば、ルート的にもあの公民館にはほど遠い。きっとお兄ちゃんもそう心配しないだろうという判断だった。

「……ほうか、解った」

 少し考えたようだったが、お兄ちゃんはそう言った。だから私は、外へ、一歩を、踏み出す。

「早う帰って来いな。気を付けて、行っておいで」

 もしかしたらお兄ちゃんはすべてを知っていたのかもしれない。そういうふうに、聞こえた。

 私は振り返って、笑顔を見せる。

「行ってきます」

 こうして私は、十八年に別れを告げた。いとも簡単に、大好きな家族と、慣れ親しんだ家に。


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