夜明かし 5


 ふ、と、夜中に目が覚めた。私の部屋には時計もなかったし、はたしてそれが何時だったのかは解らないけれど、まったく微塵も闇は薄れていなかったので、まごうことなき夜中だったのだろうことは確実だ。

 すぐに二度寝できそうな眠気だった。やはり疲れてはいたのだろう。しかし、なんだかすぐに眠る気にはなれず、なんとなく隣を見た。真っ暗な部屋の中、眠る以前の記憶を手繰る。隣に、布団がもう一式。そうだ、照花ちゃんが泊まっているのだ。そう、思い起こす。

「照花ちゃん?」

 だからこそ、異変に気付く。掛け布団をめくり上げるまでもなく、それはそもそもめくれ上がっていて、照花ちゃんがいないと解った。なんなら、眠る前には閉まっていたはずの私の部屋の扉も開きっぱなしだったし、まず間違いない。

 とはいえ、なんのことはない。きっとお手洗いにでも行ったか、場合によっては喉でも乾いてお水でも飲みに行っているのかもしれない。なんとなく目が冴えてしまって、ちょっと夜空でも見上げに行ったということも、なくはないだろう。とすれば、別段気に止めることもなく、私は睡魔に負けて眠るべきだ。そういう判断を下すべきだったのかも知れないけれど、そのときの私は寝惚けていたのか、妙な胸騒ぎでも覚えたのか、いまとなってはちょっと判然としないけれども、行動として、結果として、彼女を探しに行くこととしたのだった。

 開きっぱなしの襖戸から、廊下へ、出る。


        *


 静寂の中には、ぼーーーーっという、不思議なノイズが感じられる。極限まで物音が消えたときの、地球の鼓動みたいな、潜在的なノイズ。

 廊下に出て、左右、それぞれに二回ずつ、じっくり先まで眺めた。まだ、寝惚け眼を擦りながら。闇に目を慣らして、焦点を合わせながら。ちなみに、ほんとに前時代的なのだが、烏瓜村には電気も通っていない。一部の家々では自家発電をしていたらしいけれど、我が家ではそんな設備は導入していなかったし、普通に蝋燭とか、まあ裸のまま使うには火事の危険が大きかったしあまり使わなかったけれど、ランプとかも使っていた。まあ、電池くらいはちょくちょく調達していたようで――そういえば我が家の家族は私の知る限り一度も村から出たことがないのに、いつ、どこから調達していたのかはいまとなっては完全な謎なのだけれど――懐中電灯を用いるのが基本的だった。ともあれそういう事情で、廊下を照らす電灯などない。なんなら部屋に戻って懐中電灯を持ってきてもよかったのだけれど、そういう家庭に育ったからか、暗闇には割合目が利く方だし、それに勝手知ったる我が家である、私はそのまま、暗闇の中を進んだ。

 もはやどういうルートで照花ちゃんを探したのかも覚えていない。だが、本来真っ先に探すべきお手洗いにも、居間や台所にも向かわず、なんとなく自分自身の目でも覚まそうかと、玄関からいったん外に出たのを覚えている。で、出た瞬間、あれなにやってんだ私、みたいな馬鹿らしさを覚えて、少し空を見上げて、玄関の戸を閉めた。初夏ではあれど、夜中となれば涼しいもので――おそらく烏瓜村のあった場所は標高もそこそこ高かったのだろう――目も覚めた。自分が馬鹿みたいなことをしているような気持ちにもなったので、部屋に戻ることにしたのだ。

 でも、まあ、せっかく起きたのだから、特段もよおしてはいなかったけれども、ついでにお手洗いにでも行ってこうと私はふと、ルートを変えた。で、お手洗いに到達すると、どこかから、なにか、聞こえた。

「――いいの?」

 それはお手洗いの中から――ではない。どうやら外から聞こえる。そう気付いて、近くにあった窓を、静かに開け、背伸びをして外を覗いたのだ。

「どうすればいいの?」

 照花ちゃんだった。照花ちゃんは外に出ていたのだ。

 しかし、奇妙である。外にいながら、我が家の内側へ向けて、なにかを問うているようなのだ。「どうすればいいの?」。私が寝惚けていたのでなければ、彼女はそう、延々と問うていた。誰かに。それに、どうやら裸足だ。別にサンダルを履くくらいのことはできただろうに、なぜだか裸足だった。そして、眠る前に着ていた寝巻き姿ではなく、いつもの大きすぎる甚平を纏っていた。上半身はそれで完全に隠れているから判然としないが、下半身はその甚平でも、半分くらいしか隠せていない。その下半身には――まあ、寝惚けていたという要因を無視しても暗がりであったし、絶対とは言い切れないのだが、生足だった。つまり、眠る前の寝巻きを、少なくとも下半身に関しては着ていないように、私には見えたのだ。ちなみに元着ていた寝巻きというのは、普通の上下セパレート式の長袖長ズボンというデザインだったはずである。

 これはいったい、どうしたことか。私は照花ちゃんに気付かれないうちに、そっと窓を閉め、早歩きで、かつ、物音を最小限に、自室へ向かった。戻った。襖戸は開けっ放しのまま、私が目覚めたときと同じ状況のまま、自らの布団に潜り込む。見てはいけないものを見た、と思った。なにがどう悪いのかは解らない、しかし、見るべきものではなかった。あれは、なんだったのだろう? イマジナリーフレンドとでも会話していたのか? なにか憑物にでも取り憑かれていたのか? 霊的なものと会話でもしていたのだろうか? その日に経験して、あるいは見聞きしたことも起因しているのだろうが、そのような、どこかオカルトじみた妄想ばかりが頭を駆け巡った。

 ややあって――一時間ほどして、だろうか――照花ちゃんは戻ってきた。私は起きていたけれど、狸寝入りを決め込んでいた。襖戸が静かに閉まり、衣擦れ。数分の静寂。のち、また衣擦れ。

「頼子」

 小さく、私を呼ぶ、照花ちゃんの声。その声は、これまでに聞いたどの声よりも、怒気を孕んでいるように、聞こえてしまう。

「見たよね?」

 少しだけこちらへ近付いてくる、衣擦れの音。私は震えていた、と思う。せめて眠っておくべきだった。しかし、どちらにしたところで思考が巡って、眠れやしなかったのだろうけれども。

「…………なわけないか」

 そう呟くと、衣擦れの音も最小限に、どうやら照花ちゃんも、安息した。

「おやすみ、頼子」

 だいぶ遅ればせていたが、照花ちゃんはようやっと、そう言った。


        *


  翌朝。いつの間に眠れていたのかは解らないけれど、気付いたら朝だった。そして、照花ちゃんはすでに起きていた。私の寝間着はもう脱いで、綺麗に畳まれている。こちらも綺麗に三つ折りに畳まれた布団の上に、置かれていた。

「おはよう、頼子」

 ニケケ。と、目を大きく見開いて、まだ生え変わらない空洞の空いた歯を剥き出して、笑う。いつも通りにいつも通りだ。ただの照花ちゃんだ。端倉照花だ。だから私は、昨夜のことが夢なのだと、ちょっと思い込んでいた。

「ちょっと来て」

 だからその誘いに、無警戒で着いて行く。外へ出て、昨夜『白紋灯』を――その正体を見た、森の中へ。森の先へ。

 そこでいくつか話をした。その多くは他愛のない雑談だったけれど、最後に、マヅラの話もしたのだ。それから急に照花ちゃんは駆け出して、私を置き去りにしようとした。いや、だからそれは被害妄想だし、仮にそれが彼女の本意だったとしても、私は甘んじてそれを受け入れただろうけれど。

 なんとか彼女を追い、逸れずに戻って来て、互いに息を切らしていると、ふと、最後に照花ちゃんは、こう言った。

「マヅラを『マヅラ様』とか呼んでたやつ、いなかったよ」

 私は理解が遅れて、首を傾げた。

 その隙に、彼女は言葉を続ける。


「もしいたら、ちゃんとあたいが殺してやるから」


 照花ちゃんは笑って、そう言った。

 だから安心しな、頼子。手を差し伸ばすから、私はそれを掴む。


 ――それは、約束だった。あまりに無防備で無意識、そして、一方的な、約束だったのだ――


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