夜明かし 3
お兄ちゃんを先頭に、みんなを各お家にまで送り届け、私は自宅へ帰った。私たちは――私とお兄ちゃんと、そして照花ちゃんは。
帰ると、家の中がいつもよりあったかく感じられて、ちょっと涙が出た。泣く、というほどでもなかったけれど、あくびを漏らしたくらいの涙が、自然と。
「ただいま」
そう言って居間に入ると、夕食の準備が整っていた。ふたりぶん。私と照花ちゃんの分が。お母さんは隣の台所でまだなにかを作っている風だったが、お父さんはいなかった。普段は居間でくつろいでいるころかと思ったのだけれど、たぶん照花ちゃんに気を遣って早めに寝室へ籠ってくれていたのだろう。居間には、おばあちゃんだけがいた。
「お邪魔します」
いつものにやけ顔を消して、照花ちゃんは礼儀正しく一礼した。おばあちゃんは黙っていた。黙っていたが、ややあって立ち上がり、口をモゴモゴさせながら居間を出て行った。そのモゴモゴのせいなのか、「ちっ」と、舌打ちのような音が聞こえた気がした。
「兄ちゃん風呂暖めとくから、ご飯食べときな」
後ろからお兄ちゃんがそう言ってくれた。だからようやっと私たちは、食卓についたのだ。
*
予定通りに、私たちは一緒に、お風呂に入った。
「熱くないかあ?」
七歳の私たちでも、立ち上がれば覗き見れる低い窓の外から、お兄ちゃんの声がした。
「熱いぃ」
私はぼうっとしながら適当に相槌を打っていた。
「そうかあ」
と、お兄ちゃんは答える。ちゃんとコミュニケーションは取れていた。ほんのわずかに、湯温は上がった気がした。
私は浴槽のふちに頭を預けて、半分眠っていたような気がする。疲れと、安堵と、温もりと、たぶんそのあたりが絶妙に絡み合って、ものすごい心地よさだったと、そういう印象がいまだに残っている。照花ちゃんは熱いのか立ち上がっていた。立ち上がって、開け放した窓の外を覗き込み、涼んでいるようだった。
「おにーさん。どうしてあの場所が解ったの」
かと思えば、どうやらお兄ちゃんと話しているようだった。このあと私も目覚めるのだけれど、このときはまだ夢見心地だったので、詳しくはなにを話していたのかは知らないが。たぶんこんな会話だった。
「適当に探してたらすぐ見つかったよ」
「それでもなんか目印くらいあったんじゃない?」
「ノクトが六間伝説について調べてたからな」
「行くとしたら北――『ノイギィの盃』の方だろう……ってこと?」
「そだなあ。あと、迷いやすいのも北側の方だと思ったからなあ」
「ふうん」
みたいな。その次に、
「今日はどんな冒険をしてきたんだ?」
と、お兄ちゃんは聞いてきた。その聞き方が、なんとなく照花ちゃんにじゃなくて、私に聞いているようなニュアンスだったので、私も覚醒し、湯冷しに立ち上がったのだ。照花ちゃんの横に、幼い体を引っ付けるように並んで、窓の外を見る。真っ暗な森と、足元には、お兄ちゃん。
「ガラが迷って大変だったんだよ。お兄ちゃん。ずっと歩いて、洞窟があって、定子ちゃんが泣いて、雨が降って――」
こんな、箇条書きみたいな話をやや興奮気味に、私は語った気がする。お兄ちゃんは笑って、うんうん楽しそうに頷きながら聞いてくれていた。だから私も自らの言葉の稚拙さには気もつかずに、楽しく話していたように思う。
ややあって、だいたいを話し終えた私に――私たちに、お兄ちゃんは言ったのだ。
「そりゃ『熊喰い』だなあ」
と。
*
「そりゃ」とはどれのことか、私は解らなかった。
「『熊喰い』ってのは、でっかい洞窟のことなんだあ。昔の人が夜中熊を追いかけてたら、ふっと消えちまったのを見て、一口に熊を飲み込む『熊喰い』ってのをでっち上げたんだなあ。その人はすぐ、洞窟の存在に気付いて、洞窟に熊が入って行ったって解ったのに、他の村人に面白おかしく『熊喰い』の噂を流しちゃったんだよ。でもまあ、みんなもその噂の真相についてはすぐに勘付いたもんだが、適当に話を合わせてたんだと。それが時間が経つにつれ、本当の話か嘘の話か解らんくなったのが『熊喰い』の伝説やねえ」
お兄ちゃんは語った。六間伝説のひとつを。その正体を。
「でもおにーさん。だったら、『熊喰い』のお話は六間伝説――六間屋敷が燃えちゃったこととは関係ないところで生まれたってこと?」
照花ちゃんが問う。私はその言葉の意味をすぐに理解できなかったけれど、話を聞いているうちに理解はしていった。確かに、『熊喰い』は六間伝説の一端であり、それは、ウマモノが住んでいたという六間屋敷の焼失に端を発する都市伝説であったはずだ。しかし、このときのお兄ちゃんの語りによれば、少なくとも『熊喰い』に関しては、六間屋敷の焼失と関わりない、どこぞの誰かのホラ吹きから生まれたこととなる。
「まあ『生まれ』はそうなるなあ。でもそもそも、六間伝説における『熊喰い』は洞窟じゃなくて、熊をも一飲みにするでっかい動物やろ? それは元の『熊喰い』としては嘘で、でっち上げの存在や。それが六間屋敷の焼失によって、嘘から真へ、現実になってしまったってこともあるかもなあ」
どちらにしたところで都市伝説だ。いまとなってはどちらの『熊喰い』も信憑性という点においては怪しいものだし、私も信じてはいないけれど、当時は少しだけ身震いした。やっぱり森は怖い。そんな、熊をも一飲みにする動物が、もしかしたらいるのかもしれないのだから。
「まあ、あの定子ちゃんがなにかを感じたんや。その洞窟にはもう、近付いたらあかんで」
最後にお兄ちゃんは、しごく真剣な顔で、まっすぐ私を見て、そう言った。
「最初に『熊喰い』のホラを吹いた人も、後日その洞窟で、骨だけになった熊の死骸を見付けたって、言っとったらしいからなあ」
その付け足しは、私に――私たちに危ない場所へ近付かせないためのとっさの思い付きだったのかもしれないけれど、やけに背筋が冷えたのを覚えている。
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