夜明かし 2


 午後八時を迎えようとしていた。私たちは一時間弱も、ずっと座り込んだままだった。夜は、とっぷりと暮れている。ホー、ホー、という、フクロウかなにかの鳴き声だけが静かに、やけに規則正しく時を刻んでいた。

 がさり。と、ふと物音がした。それに呼応し、隣の隣に、照花ちゃんを挟んで座っている定子ちゃんが、びくり、と、身を縮こまらせたような衣擦れが感じられた。

「やっぱり、帰り道、探してくる」

 しかし物音は、ノクトくんが立ち上がった音だった。私たちは瞬間、思考のために沈黙した。ケンシくんじゃない、ノクトくんなら、そうそう無茶もしないだろう。きっとひとりはぐれてしまうようなことにもならないはずだ。だったら、周囲を探索してきてもらえるのは正直ありがたい申し出だった。

 きっとみんな、そう思っていた。疲れたし、寒いし、暗くて怖いし、お腹も空いている。いち早く帰れる術があるなら、それには縋りたい。そのために誰かひとりがこうやって、立ち上がってくれるのは、申し訳ないのと同じくらいに、嬉しいことだったのだ。

「待てよ、お前が行くなら俺が行く」

 ケンシくんが立ち上がり、ノクトくんに言った。ちらりと女子たちを見た。私と、目が合う。もしかしたら私たち女子にいい格好を見せたかったのかもしれない。当時ですらそう、私は感じた。でも、正直お前は迷って戻って来れなくなるからやめろ、と、私ですら辛辣にそう考えてもいたけれど。

「ガラはここに残って、みんなを守ってよ」

 ノクトくんはそう、嗜めた。なかなかにいい文句だったろう。きっとノクトくんとしても、ケンシくんを行かせたら戻って来れなくなると考えての制止だったのだろうが、そんなことをストレートに言ったら、むしろ反発するに決まっている。ゆえに、ちゃんと役割をあげたのだ。そしてそれは、ケンシくんにとって満更でもない申し入れだったようで、「解ったよ」と、再度女子たちを見て、少し得意げな顔をしていた。

「あたいも行くよ」

 ニケケ、と、笑って、照花ちゃんが言った。それにノクトくんは戸惑ったようだ。「え、いや……」と、口籠る。彼女を留める理由を探すように、ノクトくんは少し視線を彷徨わせていた。

「じっとしてるの、飽きたから。少し動いた方があったかいだろうし」

 彼女にしてはやや頼りなさげに、少しその、長すぎる甚平の袖を両手で抱きながら、体をさすった。寒そうなジェスチャで。

「でも、危険だし」

 やはりノクトくんは彼女を置いて行きたいようだ。なんとか理由を探しては留めようとする。

「ならなおさら、ひとりじゃ危ないよ。マヅラにでも会ったらどうすんのさ」

 ぴくり、と、ノクトくんは反応した。当時の私でも知っていた。マヅラはひとりで森にいる者を狙ってくる。いま思えばそれは、私たち子どもに対する、ひとりで森に入らせないための教訓程度のものだったのだろうが、当時はちょっと信じていた。特にマヅラは、夜に森を徘徊する。ちなみにマヅラは森と同化し移動することができるので、かなり近付かないとその姿を視認できないという。ある種、透明で姿のない神だとかいう設定もあって、その見えないマヅラが歩いた跡が地面に残ったものが、六間伝説のひとつ、『マヅラの蹄』である。他の森に住む動物とは明らかに違う、妙な形をしているとか。

「いいよ、解った。……行こうか」

 不承不承とした様子で、ノクトくんは了解した。どこか強く決心したような表情だった。

 ガサガサ――!! そうして一歩を踏み出そうとした矢先に、大きく、そばの草陰が揺れた。私たちではない。確実に、そこになにか、いる!!

「お、やっと見付けた」

 眩しい懐中電灯の光で、私たちの目は潰れたけれど、少なくとも私には即、理解できた。

「お兄ちゃん!」

 私の、お兄ちゃんである。

 ちっ。と、舌打ちのようなものが、懐中電灯で潰された視界のどこかから、聞こえた気がした。


        *


 どうやら、かなり村の近くまでは帰り着いていたらしい。これならノクトくんが周囲の探索をしてくれていたら、それなりの確率で村まで帰れていただろう。それほどの、拍子抜けするような、どこか、狐に抓まれたような、距離感だった。

「あっはは。こんな近くで遭難してるなんてなあ。探検もいいけど、次からはいちおう、先に俺に言うんだぞ。準備も手伝うし」

 努めて明るく、まるで大した事件でもないと言わんばかりに、お兄ちゃんは言った。私の手を、引きながら。ちなみにお兄ちゃんは普段からこんなに明るいキャラではない。ので、やはり私たちを気遣って、そうしてくれていたのだろう。

「おにーさん。寒いからお風呂貸してよ」

 照花ちゃんが、私とは反対側で、お兄ちゃんの手を掴んで、そう言った。

「おー、照花。ちょうどな、ご両親が街に降りてってるみたいで、今夜はうちに泊まってくことになってるから」

「そうなの!?」

 お兄ちゃんの言葉にいち早く反応したのは私だ。確かに過去にも何度か、照花ちゃんはうちに泊まったことがあったけれど、ここまで唐突にその事実を聞かされたのは初めてだった。たいてい何日か前にはそういう話が伝わってきていたものだから。それにその日は、怒涛の一日だったから。とりわけ照花ちゃん大好きな私には、そのサプライズは、声を上げるほどに歓喜が強かったのだ。

「頼子と一緒に入りな。兄ちゃんが沸かすから」

 うちに限らずだけれど、烏瓜村にガス設備なんていう先進的なものはない。ゆえに、昔ながらの、薪の火で温めるタイプだ。いちおう浴槽は屋内にあったけれど、薪を燃やす部分――たぶんボイラーとかいう設備だろう。詳しくはないが――は外にあって、そこで誰かひとりは火の番をしながら入浴する感じである。……いま思うと、二十一世紀も直近に迫った現代に、よほど遅れた設備だったのだと、ちょっと恥ずかしくなる。まあ、あれはあれで楽しい生活だったけれど。

「……はーい」

 照花ちゃんがワンテンポ間を開けて、やや不服そうにそう言った。無理もない。外面は繕っても、私のことなど嫌いだったはずなのだから。一緒のお風呂なんて嫌だったのだろう。

 が、まあ、そんなことには当時の私には気付けるはずもなく、ともあれそんな話をしているうちに、私たちは無事、烏瓜村に帰還していた。



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