巡りの樹海 5
照花ちゃんの言う『なにか』とは、洞窟だった。というか、洞窟はともかくとして、問題はそこが、急な崖に阻まれている、ということだった。『そこ』というのは、そもそも私たちが、まっすぐ北へと進んでいると錯覚していた方向である。つまり、行き止まりだ。まだまっすぐ進んで来ていると勘違いしていた私たちは、正しく直進していたというのに、目的の場所に出ることも出来ず、行き止まってしまったのである。
まあ、そこに空いた大きな洞窟を除けば、だが。
「お、きっとあの先だ。あれが『ノイギィの盃』に行くための道なんだ、きっと」
まったくもってなにがどうなってそうなったのかは解らないが、ケンシくんはどうやらそう思ったらしく、意気揚々とその洞窟に向かった。
「ちょっと待ってよ。危ないかもしれないって」
ノクトくんが、無警戒なケンシくんの腕を掴んで制止する。
「なんだよノクト、怖いのかよ」
「はあ? 別に怖くないし」
男子達の間でときおり起きる、謎の意地の張り合いが始まった。
「暗くて危ないだろ。今日は懐中電灯、持ってきてないし」
ノクトくんが言う。私たちは子どもだったから、あまり夜に出歩くこともないが、それでも、過疎化した烏瓜村だ、おそらくみんなが想像する以上に、その夜は長く、そして暗い。街灯などもまったくないし、冬場なら、午後六時ごろにはもう、完全な暗闇に包まれ、懐中電灯が必要になってくる。とはいえ、それを見越して、たいていのご家庭では、午後五時には帰宅するように子どもたちに言いつけていたようで――当然うちもそう、だいぶ強く言いつけられていた――みんなそれまでにはしっかと帰宅していたから、よほど夜に出歩く予定でもない限り、懐中電灯など持ち歩かなかったのが常のことなのである。ともあれ、その日は、誰もが懐中電灯を持ってきてはいなかった。そうなるとたしかに、ノクトくんの言う通り、洞窟の探索など不可能であったろう。
「だいじょうぶだよ、ちょっと入り口のところ、覗くだけだから」
が、ケンシくんも譲らない。彼としてはノクトくんが日和った以上、なおのこと、自分は勇敢にもそれを成し遂げられることを示したかったのかもしれない。自らの腕を掴む、ノクトくんの手を振り払い、その手に持った木の枝を振りかざし、洞窟へ向けて一歩を踏み出してしまった。
「だめっ!!」
そこで、ふと甲高い声が上がる。そのまま、草むらがざわっと揺らぎ、わなないた。それは他の誰よりも私の身近で音を立てたから、私も少し「きゃっ!」と声を上げてしまう。ワンテンポ遅れてその声の主を辿ると、私の真横で、定子ちゃんが両耳を塞ぐようにして、身をかがめていた。
「定子ちゃん!?」
私はすぐに、彼女の背中をさすり、気遣った。両耳を塞ぐようにしているからか、何度か呼びかけても返答がなかった。ただ、「だめ。行っちゃだめ。怖い」と繰り返している。そんな友人の様子に、さすがのケンシくんも強行突入になど及ばず、私とともに定子ちゃんをなだめてくれた。
「だ、だいじょうぶだぞ、黄常。オレ、行かないからな!」
「定子ちゃん、だいじょうぶ! ガラ行かないって!」
むしろうろたえたのは私たちの方で、すぐに回復しない定子ちゃんが落ち着くまで、私たちも忙しなく、言葉を紡いでいた。
*
気を取り直して、私たちは進んだ。ここで『進んだ』のも危機管理がなっていない。定子ちゃんがあんなに取り乱したのだ、彼女の体調を気遣って、その日は引き返す、というのが、本来だろう。しかし、定子ちゃん自身が私たちに迷惑をかけたくなかったのか、「だいじょうぶ」と言ってくれたことで、探検は再開された。もう少し大人になっていれば、その言葉の裏の機微を読み解き、彼女をちゃんと思いやることも出来ただろうが、繰り返すように、私たちは当時七歳で、子どもだった。
結局、崖に行き当たったということは、道が間違っていたのだと、ようやく私たちは理解し始めた。といっても、基本的にはまっすぐ進んでいただろう、という勘違い――といっても、当時どれだけズレた行程を進んでしまっていたかは、いまとなっては厳密には解らないけれど――は継続していて、少し修正すれば問題ない、という認識が強かった。ゆえに、崖沿いに進めばほどよく軌道修正できる、という確信が、どうやら当時、あったらしい。そのうえ、崖伝いに進む、というのは、最悪道を間違えても、崖という目印を利用すれば引き返しやすい、という安全策でもあった。その崖に至るまでになんの安全策も擁していない、ということには、まったく気付きはしなかったけれども。
ともあれそういうことで、崖沿いを私たちは進んだ。定子ちゃんに、さっきのあれはなんだったのか? と、問うたけれども、返ってきた答えは「解らない」だった。これはもう少し大人になったころ、具体的には十五歳くらいのときに改めて聞いたときの答えなのだけれど、どうやら当時、定子ちゃんには不思議なイメージが見えていたのだという。『見えていた』というと視覚的だが、映像ではない。言葉でもない、『感覚』とでも言うしかないなにかが、あまりに強く頭に流れてきて、なんというか、あの洞窟の危うさを表現していたのだとか。それを七歳の定子ちゃんには、言語化して伝えることができず、「解らない」と言う他、なかったのだと。
まあ、あの洞窟の正体については、もう少ししたら時間軸が追いついて種明かしが行われるので、まだ少しだけ秘密にしておくとして、とにかく、行軍を続けよう。崖沿いに歩いた私たちだが、少し行くと、すぐに崖は途切れた。その途切れ目の先が、今度は絶壁の急傾斜――というほどではなかったが、少なくとも幼心にも、『あ、これは無理だ』と理解できる斜面だったので、いろいろと塞がってしまった。進む道は途切れ、戻る道も危うい。
そうなのだ、戻る道も危うい、と、ここでようやく、気付き始めたのだ。このとき、次はどちらへ舵を切ろうか、という話し合いが行われたのだが、その結果がふたつに分かれた。私と定子ちゃん、そしてノクトくんは、崖沿いに戻って、崖伝いに反対方向へ進むか、あるいは洞窟まで戻って、そのまま村へ帰るか、どちらにしたところでとりあえず、この目印になる崖から、まだ離れたくない、という意見を述べた。しかし、ケンシくんと照花ちゃんは、ここから急斜面に向かって直角に九十度折れて、森の中の獣道を南下――繰り返すが、方向感覚は怪しいものだが、当時の私たちの感覚における南下――しようと提案したのだ。ケンシくん的には、『ノイギィの盃』が見当たらなかったのは、もうとっくに通り過ぎてしまったからだ。つまり、北に行きすぎたので、南下すればまだ探せる。という感じだったらしい。照花ちゃんは、その意見も含めて、どちらにしたところで南下すれば村に帰れるんじゃね? わざわざ崖伝いに戻らなくてもこっちから行けるでしょ。みたいな言い分だった。
で、本来なら多数決の原理で崖を戻る意見が採用になりそうではあるのだが、そこは声の大きさの違いである。私や定子ちゃん、ノクトくんは自己主張が弱いタイプで、反対にケンシくんと照花ちゃんは自分を曲げないタイプだ。ゆえに、最終的には私たちが折れて、ケンシくんたちの案が採用された。
「そもそもさあ、洞窟まで戻ってもそっから村に戻る道なんか解んねえだろ?」
ケンシくんはなんでもないように言った。
「え、解らないの?」
私はつい声を上げて問うていた。
「いや、北に進んでたんだから、洞窟からでも南に進めば帰れるだろうけど、それならこっから南行っても同じだし」
と、ケンシくんは答える。
その言葉に、みんながなんとなく、「うん?」と首を捻っていて、で、たぶん薄ぼんやりと、ケンシくんがあまり確信を持っていないままに進んでいるのだということに気付いていたのだけれど。そしてそうなら、帰り道が危ういということにも気付き始めていたとも言えるのだけれど。でもそのときには、引き返せないとまでは言わないが、もう森の中に足を踏み入れてしまっていたし、話し合いも終えたばかりだから、やっぱり戻ろう、と、言えるような状態じゃなかった。
で、ようやっと半自覚的に、私たちは順当に、遭難したのである。
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