巡りの樹海 3


「じゃあ今日は、六間伝説のシンソーを暴きに行くぜ」

 という、鶴の一声から始まった。先にも情報は述べたが、時は十四年前。私たちが七歳のころ。おそらく初夏の、気温が上がり始めて、私もほぼ年中着ていたお気に入りのジャンパーを脱ごうかと思案し始める時期だった。なんの前触れもなく、いきなり言い出したのはケンシくん。彼の名前がどんな漢字で表記されるのかは忘れてしまったけれど、その名の通りに犬歯をきらりと光らせて、彼は言ったのだ。問答無用に。今日のテーマは六間伝説。異論は認めない。どころか、異論が上がることさえ思考の埒外に置いたような、確信的な溌剌さで。だいたいいつも持ち歩いている、長い木の枝を振りかざしながら。

「シンソーってなにさ?」

 ややズレた問いが投げかけられる。もうひとりの男子、ノクトくんである。大抵の場合、私たち女子は遠巻きに成り行きを見守る構えからスタートだ。まず、ケンシくんがその日の目的を発起する。それにノクトくんが突っ込む。そうして大雑把な目的を最適化しつつ、浮き彫りにしていくことで、その日の方針が定まっていくのだ。私たち女子が発言を始めるのは、それ以降。私や定子ちゃんが控えめな性格だという要因もあるけれど、正直馬鹿らしくて会話に入っていきづらいという感情が、ややあった。というか、少なくともそういう感情を持って発言しないでいることが多いと、照花ちゃんは当時、実際に私に愚痴っていたほどだ。

「シンソーはシンソーだろ? あの、合ってること……セイカイ!」

 ほら、馬鹿らしいだろ? ケンシくんの返答ももちろんだが、解っているくせにズレた質問を投げるノクトくんもたいがいだ。彼はけっこうな頻度でお兄ちゃんの私塾に顔を出していたので、私たちの中では一番の物知りさんだった。だから彼も、ケンシくんを馬鹿にするつもりであんなくだらない質問をいつもしていたのだと思う。まあ頭脳的なことはノクトくんがマウントを取り、肉体的な面ではケンシくんが威張り散らす。各々自分の長所短所を理解していて、互いにそれを尊重し合って……いたかは知らないけれど、それでもはたから見ていて、普通に仲良くしていたので、相性はいいふたりだったんだと思う。ちょっと、羨ましいほどに。

「あのさ。ちょっとあたい聞きたいんだけど、ガラはさ、六間伝説をどこまで知ってるの?」

 馬鹿らしいやりとりが男子の間で二、三往復ほど繰り返されたあと、ため息を挟んで照花ちゃんが割って入った。さすがに話を前に進めようという判断だったのだろう。

「それは――」

「とりあえず六つの言い伝え、言ってみてよ」

「『ノイギィの盃』だろ。あと、『マヅラの足あと』――」

「正確には『マヅラの蹄』な。足あとじゃない」

 ノクトくんが訂正する。私がこのとき考えていたのは、果たして約二年か三年前、私が彼らと初めて集団で遊び始めた四歳か五歳だったとき、あの日にマヅラを『マヅラ様』と呼んだのは、いったい誰だったか、ということだった。あの一回以降、その人物は二度と、マヅラを『マヅラ様』と呼ぶことがなくなったが、ふとしたきっかけで思い出してしまう。この中には、マヅラを『マヅラ様』と呼ぶ者が紛れている。だからといって、その誰かが判明したとしても、その子と距離を取ろうとか、そういったことを考えていたわけではない。ただ、ちょっとした興味というか、『そういえばそんな子がいたなあ』と、ことあるごとにあの日のことを回想してしまうだけなのだ。

「そうそれ! なんか『ひずめ』って言葉を、よく忘れちゃうんだよ」

 言い訳のようにケンシくんは言った。いまならともかく、確かに当時七歳の子どもだった私たちにはやや難しい語彙だったろうから、彼の言い分も解らないでもない。

「あと、『熊喰い』だろ。……あと、あと――」

「『白紋灯はくもんとう』。『手合いの鳥居』。それと『泣哭きゅうこくの沼』な」

 ノクトくんが続きを引き継ぐ。漢字で表記するとなかなかに、やはり七歳の子どもには難しい伝説だが、大抵のことは口伝で伝わっているので、私たちもなんとなく、発音としては知っていた。それにしても六つすべてを当時私は覚えていなかったので、ノクトくんはやっぱり頭がいいな、と少し感心した記憶が残っている。

「『きゅーこく』ってなんだ?」

 本人にその気はないのだろうが、意趣返しのような質問が、なにも考えていないようなケンシくんの口を突いて出た。

「『泣哭』は、確か、『泣く』って意味だよ。お兄さんが言ってた」

 それでもあまり自信がなさそうなたどたどしさで、ノクトくんは答えた。漢字で書けるならそうと予測もできるだろうが、先に言った通り、私たちはこの伝説について、言葉は知っていても文字としてはあまり目にする機会がなかった。いちおう、お兄ちゃんが私塾を開いているのが、もともと学校だった建物で、そこには図書室のような部屋もあったから、そこに村の歴史や、あるいはノイギィの神話や祭祀の執り行い方などを示した文献もあったと聞く。たぶん、私はそれら書物を紐解いてみたことなど、一度もないように記憶しているが。

「ふうん。……沼が泣くのか?」

 ケンシくんの質問は続く。

「『泣哭の沼』は、夜になると女の人の泣き声が聞こえるっている沼のことだよ。森の中にあるんだって」

「は? 毎日誰かがそこで泣いてんの? わざわざ沼まで行って?」

「だから幽霊なんだろ。きっと昔その沼で死んじゃった女の人が、苦しくて毎晩泣いてるんだよ」

「ゆ――」

 ケンシくんが一歩、後ずさった。

「幽霊なんかいるわけないだろ!」

 そう声を張って、持っていた木の枝を一度、振り回した。それは地面を掠めて、わずかな土埃を上げた。

「それよりさ」

 ケンシくんの威勢を前に訪れた沈黙を、照花ちゃんが破る。薄らと、口角を上げながら。

「『泣哭の沼』と、あとついでに、『白紋灯』は探しに行けないよね。このふたつはどっちも、夜になにか起きる、っていう伝説なんだからさ」

 知らんけど。と、照花ちゃんは口癖で締めた。夜な夜な女性のすすり泣く声が聞こえる沼、『泣哭の沼』。そして、夜の森を彷徨う白い火の玉、『白紋灯』。確かに、当時の私はそんな伝説の内容についてはうろ覚えだったけれど、言われてみればそのふたつは『夜に』なにかが起きるという伝説で、まだ七歳の私たちが子どもたちだけの探検で検証できる内容ではなかった。

 その、照花ちゃんの言葉を聞いて、ケンシくんは、さきほど引いた一歩を詰めるように前進した。

「そ、そうだな! じゃあ今日は、それ以外の六間伝説を探しに行くぞ!」

 緊張が解けたように笑って、声高にケンシくんは再度、宣言した。その後は私や定子ちゃんの発言――知恵も加わり、まず向かうは村の北方にあるという、『ノイギィの盃』ということになった。『マヅラの蹄』と『熊喰い』は突発的に現れるもので、探すのが困難なこと。そして、『手合いの鳥居』は、照花ちゃんによると「行ってもいいけど、遠いし、つまんねえよ?」ということで、後回しにされたのだ。

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