第二話 巡りの樹海

巡りの樹海 1


「でも、あたいたちにはカンケーない話だからね」

 照花てるかちゃんが言った。その言葉に、私ははっとする。

 一体全体、なにに対する反語として『でも』と枕に置いたかは解らなかった。あとから思えば、それは彼女の癖だったわけだが、当時の私はそのおかしな話し方を特段、疑問には思っていなかったと記憶している。首くらいは傾げたかもしれないが、肉体的に。

「マヅラだか、ノイギィだか。しゃらくせえっての、そんなの」

「でも、おばあちゃんが……」

「でもじゃねえよ。おばあちゃんさんの言うことだから、カンケーないっての。時代が、世代が違うんだからさ」

 ニケケ。と、照花ちゃんは不思議な笑い方をした。心を吐露するように。それでいて、不揃いな白い乳歯で、ちゃんとガードしながら。

「でも、それを解った上での信仰なら、好きにすればいいと思うけれどね。おばあちゃんさんも、おとうさんさんもおかあさんさんもカンケーなく、頼子がノイギィを信仰するなら、それは」

「それは……」

 私は言い淀んで顔を伏せた。当時の私は信仰心などなく、どころか、ノイギィとはどういう神であるかさえ、ほとんど知らなかった。

「でっしょ? 信仰心なんかあるわけないじゃん。そーゆーのはね、人間ができあがってから宿るモノなんだよ」

 知らんけど。と、照花ちゃんは付け足した。それも彼女の癖である。口癖である。

「とにかく、盲目に親とかの話を信じ込むなって話。いーじゃん、別に。マヅラ派と仲良くしてもさ。少なくともあたいたち子どもには、マヅラ派もノイギィ派もないんだから」

 ニケ。と、照花ちゃんは笑った。いつも私たちと外で遊んでいるというのに、不自然なほど不健康に青白い肌に、わずかの皺を寄せて。墨で塗りつぶしたような、黒というにも暗すぎる黒髪のおかっぱを揺らして。最近抜けたばかりで、まだ生え変わらない前歯を――その奥の暗黒を、見せつけるように。

 秘事のように身を寄せて語っていた私たちだが、そこで照花ちゃんはおもむろに立ち上がり、駆けて行った。暖かくなってきたというのに、防寒用にでも着ているような、サイズの合っていないぶかぶかな甚平を――その長すぎる袖を、影のように後ろへ伸ばして、音も少なく走っていく。だから、私も遅れて立ち上がり、その背を追った。ずっとしゃがみ込んでいたから、瞬間ふらっと立ちくらみがしたけれど、私は懸命に、彼女を追った。

 そこは、森の中だった。いまにして思えば、危機感がなさすぎる。ほとんど知らない森の中を、照花ちゃんに連れられ、道なき道を進んでしまった。正直、照花ちゃんの後を追わねば、村に戻れたかも怪しいものだ。だからもしかしたらあのとき、照花ちゃんは、私を置き去りにしようとしたのかもしれない。本当に、ただの邪推なのだけれど。


 ――――――――


 さて、六間伝説の話をしよう。当時の私は、私たちは七歳。季節は――だいぶ汗をかいた記憶があるので、たぶん夏。そんな時分だった。

 六間伝説とは、烏瓜村に――当時の私たち子どもの間でにわかに囁かれていた七不思議だ。といっても、六つしかないけれど。そしてあくまで『当時の』、『私たち子どもの間で』流行っていた噂話である。当時、両親やおばあちゃん含めた幾人かの大人に確認したけれど、その伝説を知っている人はいなかった。だから、誰かが言い始めた作り話であることが説として濃厚である。いきなり拍子抜けする情報開示だけれど、まあ、当時の私たちは本気でそれを信じていた――かはともかく、少なくとも疑ってはいなかったし、それなりに現実的に恐怖していたのも確かだ。少なくとも、私個人としては。

 その内容としては、かのウマモノに関するものだった。そう、マヅラ教の創始者と言うべきか、被害者と言うべきか、はたまた信仰対象の、一種の神と言うべきか、ともあれ、マヅラ教が生まれた根源とも言い伝えられる、あのウマモノだ。『六間屋敷』。彼が住んでいた家屋がそのように呼ばれていた、のだそう。先述の通り、彼の住まいは彼自身が独自に建てたものであるので、一般的な家屋よりよほど独創的というか、少々変わった造りになってしまっていたという。というのも、『六間屋敷』という名の通りに、六つの部屋を内包する屋敷だったそうだが、なんとその各部屋の間取りが、すべて均一に、同一な広さと造りをしていたのだそうだ。居間、寝室、書斎、キッチン、浴室、トイレ。これらがすべて、同じ間取りに造られていたのだという。前半三つは理解できる。だが、後半はおかしい。いや、頭ごなしに否定する気はないけれど、少なくとも一般的ではないだろう。とはいえ、私の知っている限り、ウマモノは人付き合いの希薄な人であったはずだから、彼の住まいである六間屋敷の内部構造が、どうしてそうまで具体的に現代まで伝わっているのかについて疑問が残る。つまりは、この六間の構造について、後の者の創作である可能性が十二分に考えられる、ということについても、いちおう言及しておこう。そもそもだから、六間伝説についても創作の可能性がかなり高いのだけれど。

 で、まあ、その六間屋敷から伝説となるまでの経緯なのだけれど。これも先述の通り、ウマモノはやがて、死因不明に森の中で亡くなったわけだけれど、それとほぼ時を同じくして、彼の住居、六間屋敷も火災により焼失したそうだ。まあ見事に。跡形もなく。そこから急に生まれたのが、六間伝説というわけである。

 といっても、さすがに急すぎるので、もう少し詳しく語ろう。

 そもそもウマモノは、基本的に屋敷に引きこもりっぱなしで、村民との関わりが希薄だった。それでも、彼の奇行は、夜な夜な明かりの灯った屋敷の、障子戸に写る影から、あるいは、獣のように猛る奇声から、村民の間では有名だったという。それゆえに、かの屋敷に入り、直接に彼を、屋敷の内部を見ずとも、勝手な想像で奇天烈なその姿は構築されていった。彼が亡くなった後はさらに拍車をかけ空想はヒートアップする。しかも、ウマモノを崇めるマヅラの者たちが蜂起し、ノイギィ派に反発し始めたからなおさらだ。ウマモノは毎夜毎夜、馬の生首に祈祷を捧げていたとか、呪いの術を研究していたとか、そんな具合に。悪い意味での彼の神格化は、あるいはノイギィ派によってこそ推し進められたとも言えるのだろう。

 ゆえに、当然というか順当に、彼が関わった事物にまで神話は形成された。そのうちのひとつで、あるいはその最たるものが、引きこもりの彼ゆえに彼の住む屋敷、六間屋敷にもたらされた、という塩梅である。彼の生活する、屋敷。その不規律に規則正しく形成された六つの部屋。それぞれに付加された神話。それらが六間屋敷が焼失したときに、そこに秘められた密事が、怨念だか怨恨だかという形で烏瓜村へ飛び散ったというのが、六間伝説という六不思議だ。『ノイギィの盃』、『マヅラの蹄』、『熊喰い』、『白紋灯はくもんとう』、『手合いの鳥居』、『泣哭きゅうこくの沼』。

 そして、それらの真相を暴こうと探検したというのが、あの夏の記憶であり、これから語るお話なのである。

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