第一話 狐の嫁の謠

狐の嫁の謠 1


 経済学の世界では、『貨幣』が存在する以前は物々交換により交易がなされていたとする説が散見される。お金という、互いに共通の価値の尺度がない時代は、自らが持つものを差し出し、相手が持つものを譲ってもらうことで、一人ではとうてい供給できない、多様な食料や器具などを集め、生活を豊かにしてきたのだ、と。やがてそこに不便を感じたご先祖さまたちは、互いに共通して価値を持ち、なおかつ経年劣化しにくいものを物々交換の品としてよく用いるようになった。それが貨幣の前身だ。中国ではそれに貝などを用いていたので、お金に関する漢字には『貝』の字がよく使われるのだとか。

 だが、二十一世紀の現代、より有力なのは別の理論だ。すなわち、貨幣の前身は『信頼』である、と。現代ある金融システムは、どれも信頼をベースにしている。クレジットカード、キャッシング、後払い。お金そのものだってそうだ。私たちは、スーパーでお米を買う。お金を払ってだ。あるいは、農家の方は作ったお米や野菜をお金と交換する。消費者側から見ても生産者側から見ても、そのお金への信頼がなければできない芸当だ。このお金は、これだけのお米と同等の価値がありますよ、という、信頼。このお金があれば、同じだけのお米を手に入れることができるし、あるいはそれと同等とされている、別のものも手に入れることができる。それは、お金を発行している国への信頼とも言い換えられる。このお金が、明日も明後日も、その先ずっと使うことができるという信頼。もちろん、世界情勢が極端に変貌すれば、その信頼も裏切られることにはなる。しかし、そうならないだろう、そんなことはまず起こり得ないだろうという信頼がまかり通っている。というのが、現代の社会なのだ。

 事実、烏瓜村では、物のやり取りはすべて、信頼で賄われていた。お金を使った手法でなく、ましてや物々交換でもない。畑が動物に食い荒らされ収穫が激減した農家には、猟師が仕留めたばかりの熊肉を持ってきたし、環境破壊で獲物が減った猟師の元へは、お米や野菜が集まった。そこには、見返りなどなかった。困ったときはお互い様。その精神を体現している村だったのだ。

 しかし、派閥が違えばその限りではない。同じ派閥の者たちは一致団結、まるで全員が親戚同士か、むしろ家族同然なのではないかというほど結託していたが、逆に派閥間での交流はあまりに疎遠。どころか、互いが互いを親の仇かというほどに憎み合っていた。当時の私はそんなことになど気が付かない幼な子だったけれど、いま思い返せばそう思う。私たち子どもには気を遣っていたのかもしれないが、日が落ちると夜な夜な、怒鳴り合いのような大声が、森の動物たちと輪唱するように響き渡っていた。

 ひとつ、こんなことがあった、という話をしよう。

 村の端に、マツじいという老人が住んでいた。ところどころ崩れた石垣に囲われた、いまにも朽ち果てそうな家に、マツじいは一人で暮らしていた。石垣に囲われた範囲は彼の敷地なのだろうが、そう考えると庭がやけに広かった。家屋が敷地を占める割合は一割といったところだろう。まあ、過疎化が進んだ村であるので、土地は十分に余っていたのだから、そんなこともあろうが。それでも、いま思い返せば、よく考えれば、といった話で、実際その敷地を見ても『だだっ広い敷地にポツンと家があるな』とは思った記憶がない。というのも、その敷地の多くは、敷地内に悠然と屹立する一本の巨大な松の木に影を落とされていたからだ。樹齢何百年の松だかは知らないが、あまりにも巨大に、天をも突くほどに、子どもの私には感じられた。ちなみに、『マツじい』の由来もそこだ。彼の本当の名前については、私は知らない。

 マツじいはいつも、なぜだか巫女服のようなものを身に纏って、松の葉をずっとずっと、箒で掃いていた。あれほどの巨木だ、葉の数も尋常ではないのだろう、などと子ども心に思ったが、よくよく観察していると、どうにも、清掃という目的で葉を掃いているとは思われなかった。大量の葉を、ひとところに集めているようにはどうしても見えず、私の目で見る限りマツじいは、ただそこにある葉を、とにかくどこかへ掃く遊びに、ずっとずっと没頭しているような、そんな風にしか見えなかったのである。

 さて、そんなマツじいが迫害されたという話である。マツじいは、なんというか、おそらく精神的な障害を抱えていた。もしかしたら年齢によるものかもしれないが、ともかく、会話をしていても話が噛み合わなかったり、そもそも言っている意味が解らなかったり、急に奇声をあげたりもするのだ。それゆえに、私たち子どもにはからかわれていたり、あるいは大人たちとの交流などもほとんどなかったようである。とはいえ、先述した通りの、同派閥内での互助関係というのは生きていて、マツじいは老齢ゆえにか、基本的に生産的な活動をしていたわけではなかったけれど、食料や身の回りの品など、ときおり分けてもらっていたようである。それくらいに奇行が目立つマツじいでも、同派閥内においては分け隔てなく、互助システムに組み込まれていたのである。ゆえに、あの日、マツじいが倒れたときは、それを見て見ぬ振りをした人間がいたということであろうと思われる。敵方の派閥の人間が、見て見ぬ振りをしたと。

 というのも、マツじいが倒れていたのが、まさしく敵方のテリトリー、その中心であったから。ごめんなさい。この話は私が当時、つまるところが四歳か五歳の幼き日に、両親が話しているのをなんとなく聞いていただけの伝え聞きであるので、もちろん真偽は解らないし、詳細も知らない。なんなら、そもそもマツじいはどちら側の人間で、すなわちどちら側のテリトリーにて昏倒していたかを理解していない。そう、私は少なくともマツじいに関しては、結局、ノイギィとマヅラ、どちらの派閥であったのかを知らないのだ。



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