36 薄原神社
朱い色が雲を染めていた。
社務所の入り口で、ほんのわずかためらう。こんな所まで来て、迷惑ではないかと。
ビニールに入れた、真っ黒に炭化したお守りを思わず握りしめそうになって、慌てて深く息をする。そんなことをしたら、おそらくバラバラに崩れてしまうに違いない。そっと持ち直して社務所の引き戸を開ける。
お守りやおみくじや破魔矢が並ぶ棚の向こうは生憎無人だった。ほっとしたの半分、心配になったのがもう半分。
置かれていた呼び出し用のベルを鳴らして、しばし待つこととなった。
「お待たせいたしました。申し訳ございませんが、販売の方はすでに締めてしまって……」
やってきた宮司さんは私の手にしたものを見て、少し首を傾げた。
優しそうなおじさん、という風だが、その視線は意外に鋭い。
「いえ、あの……こちらに
「大樹君なら、今日はお休みすると連絡が。何かありましたか?」
「連絡があったんですね? ……よかった」
思わずほっと息を吐いた私に、宮司さんはふむ、と怪しげな笑みを浮かべて、少しだけ中へと体の向きを変えた。
「お話を伺った方が良さそうだ。どうぞ、こちらへ」
しゃんと背筋の伸びた背中は、どことなく大樹さんと似ている気がする。そんなことを思いながら通されたのは、冷房の効いた小さな部屋だった。冷蔵庫やスナック菓子なんかも置いてあって、休憩室なんだろうか。
勧められた椅子に座ると、宮司さんは折り畳みのパイプ椅子を取り出して、向かいに置いた。そのまま、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
「そう、緊張しなくとも、取って食いやしませんよ。そうですね……まず、お名前を伺っても?」
「あ。はい。
「なるほど」
グラスを置いた手が、私の手元を指し示す。
「そちらは?」
「大樹さんのお守り……だったんです。預けられたんですけど、急に焦げたようになってしまって……彼に何かあったのかと、お店に行ってみても、閉まってて。休業の張り紙はあったんですけど、連絡しても返事はないし、もうひとつのバイト先で仕事をしていればと……焦げる前にお守りに記してあったこちらに来てみた次第で……」
どこまで話したものか、かなり大雑把な説明になってしまう。
ふむふむと頷いていた宮司さんは軽く手を差し出した。
「拝見しても?」
「はい」
ビニールの袋を慎重に受け取って、彼は表と裏を確かめた。
「すげぇな、こりゃ」
突然、くだけた口調になって、彼はくつくつと笑う。
「何をどうしたら、こうなんのかね?」
ぐしゃりと握り潰して、粉々になった黒いものをビニールの中で傾けたりしてみてから、彼は視線をこちらによこした。
「これはこちらでちゃんとしとく。役に立ったようで何よりだ。んで、ここからは大樹の兄貴分としての興味本位なんだけどね? 大樹はどうしてこれを貴女に預けたのかな?」
「それは……」
言い淀む私に、彼はひょいと肩をすくめる。
「大丈夫。けったいな話も笑わずに聞くし、大樹とは子供のころからの付き合いだ。この職に就いたのも、親の跡を継ぐというよりは、大樹のために選んだようなものだ。後で本人からも聞くけどね? 彼も多分、全部は話さないから、いろんな方向から聞けるなら聞いときたい。自分である程度対処できるようになっちゃったから、最近はあんまり頼ってくれなくなって、ちょっと寂しいのよ。この格好が構えちゃうってんなら、着替えてくるけど」
「あの……えぇと。私も、よくわからないんです。わからないんですけど……」
彼はうん、とひとつ頷いて、話を聞く体勢に入った。
「順番に、あったことを話してくれればいいよ。大樹は昨日も休みだったから、貴女と一緒にいたんだね?」
「そうです。お祭りに行こうって、私の友人たちと四人で出掛けたんです」
待ち合わせからお化け屋敷に入ったこと。芳枝とはぐれたこと。櫓のある広場のこと。宮司さんが時々挟む質問に答えながら、私は一通りを話したのだった。
途中で腕組みをして、やや顔を引きつらせながら最後まで話を聞いた宮司さんは、小さくうなり声を上げた。
「芸が増えてないか?」
それは独り言のようだったけれど、昨日も聞いたセリフだった。
「吉出さんも、そんなことを言ってたような気がします」
「大樹は? なんか答えた?」
「自分でも驚いてる、みたいなことを」
「ああ、そう。なるほど。じゃあ、今日は本当に寝込んでるんだな」
「え?」
顎に手を当てて、ちらりと壁の向こうに視線を飛ばす宮司さんの言葉に不安になる。すぐに私に笑顔を向けてくれたのだけど。
「反動がきてるんだろう。その場ではハイになってというか、ゾーンに入ってというか、できてしまったんだろうけど、言ってもシロウトだからね。どうやって戻って来たのかなぁ。心配ないさ。電話できるくらいの意識はあるんだ。小さい頃も、たまにあてられて寝込んだりしてたから、慣れたもんさ」
「昔から、ということは、やっぱり大樹さんは「視える人」なんですか?」
「まぁ、そうだね。彼のお爺さんがそういう人でね。でも、お母さんはそういうの嫌がる人だったから、「治してくれ」ってうちに連れてきたのが縁の始まりだね。でも、治る治らないの話じゃないから……大きくなって視えなくなる人はいるけど、個人差があるし」
「宮司さんも、やっぱり視えるんですか?」
「俺? 全然」
言って笑う。あまりにも軽く言うので、呆気に取られてしまう。
「あ。俺こういうものです」
彼は思い出したというように、近くの棚から名刺を取り出して、私の前に置いた。
「「イチロ」でいいよ。視えないけど、ちゃんとそれなりのことができてるのは、大樹が証明してくれてる。厄払いとか、任せて? 以後ヨロシク」
すかさず営業をかけるところは、なんとも強かだ。
原 一路。
名刺の名前はそうなっていて、本人が「イチロ」と言うからにはカズミチではないのだろう。
「そんなだから、大樹が普通の人からどう見えてるのかは、なんとなくわかるんだけどさ。上手く隠してるけど、時々挙動不審だろ? お店の件も、乗り気ではなかったんだけど、お爺さんに直接頼まれたって話でさ。その割には、ここのところ律儀に開いてるようだったし。やっぱりパティシエに未練あるのかもと思ってたら」
意味ありげににやにや笑われて、ちょっと顔に血が上る。
「み、未練は、あると思います。出す気はないって言いながら、時々ケーキ作ってるし……って、いうかお爺さんに直接って? 遺言か何かでってことですか?」
「あ、いや……んー……ま、いっか。もっと怖い目に遭ったみたいだし。あの店に、まだ残ってるらしいんだよね。料理に興味を持ったきっかけがお爺さんらしいから、無下にはできないって……」
「……残って……? って……!?」
「あー、いや、悪さはしないって。料理も教えてくれるらしくて。祓おうかって聞いたんだけど、しばらくは様子見るって……やっぱ、怖い?」
おずおずと聞かれて、返答に詰まる。怖いかと言えば、怖い気もするし、でも、今まで怖いことはなかったのだから、怖くない気もする。
「そういうので人間関係ダメになったこともあるから、あいつ、あんまり誰とも深入りしなくなったんだよな……無理にとは言わないけど、店にはまた顔出してやってよ。心配して来てくれるくらいには、親しくしてくれてたんだよね?」
「親しいと、呼べるほどでは……連絡の返事も返ってきませんし……でも、多分、あのおでんはまた恋しくなると思いますから」
「ああ。源さんの。美味いよね。本人仕込みだもんなぁ」
何気ない言葉に、どきりとする。「誰が作っても同じ」と投げやりに口にした大樹さんの気持ちが、今になって少し理解できた気がする。そして、なんだか悔しい。
「私には、大樹さんの味です……」
ポロリとこぼれた一言に、イチロさんはひどく驚いた顔をして、それから破顔した。
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