25 試食会

「すまなかった。余計な時間を取らせて」


 少年が出ていった後、ダイキさんは一息ついた。


「大丈夫ですよ。なかなか見られないものを見せていただいたし、味見もできちゃいました。あれ、『想い出の味』、ですよね?」

「ああ……まあ……」


 歯切れの悪い返事に首を傾げる。少年も喜んでいたのに、どこか自信なさげだ。

 ダイキさんは冷蔵庫から何か取り出すと、ラップを外して私の前に置いた。ガラスの器に野菜の角切りが入った赤いソース状のものが盛られている。


「ラタトゥイユですか?」

「ああ。作り置きできるし、冷やしておけるし、お通しにも使えるかと」


 なるほどなるほど、とさっそく箸をつける。柔らかく煮込まれた野菜は、かろうじて形を保っていた。

 程よい塩気と野菜の甘味。暑い日もついつい食べられそうなひんやり感。

 視線だけを上げれば、ダイキさんがじっと感想を待っている。


「……美味しいです」


 彼の表情は動かない。そんな言葉はいらないというように、続きを黙って待っている。思えば、ダイキさんは美味しいという言葉に一度も嬉しそうな顔をしたことがない。

 私はドキドキしながら少し背筋を伸ばした。


「でも、ホテルで出てくるような上品さなので、この店の雰囲気とは少し違う気がします。えっと……」

「……なるほど」


 偉そうかな、なんてびくついてみたけど、ダイキさんは私ではなくラタトゥイユをじっと見下ろしていた。


「あの……ダイキさんって、もしかして洋食作ってたんですか?」


 ケーキといい、ここの料理はお爺さんのレシピだと言い切る様子といい、畑違いのところから転向してきたのかと思える。彼は思考を中断されて、わずかに固まった。


「あ、いや。料理は手習い程度で……その……」


 言い淀んで、そのまま黙り込んでしまう。悪いことを聞いたのかなと、私は目を逸らしてまたラタトゥイユをつまんだ。


「前に、ここで出しているのはお爺さんのレシピだと言ってましたもんね。やっぱり、そういうのって気になるものなんですね……」

「というか……あー……全部、食べてもらってから、答えてもいいだろうか。まかないというにはアレだが、そうめんを茹でようと思ってて……デザートも、あるから」


 えっ、と声が出た。まかないは確かにあると言っていたけど、コースのように出てくるとは思っていなかった。


「あ。いや、それはたまたまなんだ。ケーキを出すなら、昼飯の前よりは後に回した方がいいかなってだけで……」


 先回りして答えられて、彼が組んだ予定に嘴を挟んだ格好になったのかと恥ずかしくなる。それは、答えにくいだろう。


「わかりました。余計な話は後にします」


 真剣に頷くと、ダイキさんは苦笑した。


「いや……そこまでじゃないんだが。俺の都合というだけだから……」


 麦茶を注ぎ足すと、彼は昼食の準備を開始した。



 * * *



 そうめんをお湯に放し、タイマーをかけて、大樹さんは入口の向こうを見るようにぼんやりと視線を上げた。

 生真面目に黙って作業を見ていたのが居心地が悪かったのか、彼の方が口を開く。


「――あの少年、『死んだ母さんのおやつ』って言ったよな?」


 少し前の話なのに、私はちょっと自信がなかった。そこまで気にして聞いていたわけじゃない。


「……そうでしたか?」

「でも、たぶん、彼の母親は死んでないんだ……だとしたら、それはちゃんと彼の『想い出の味』だったんだろうか……なんて、考えてしまって」


 言わんとするところは、理解できた。でも、そこに至るまでの過程ですっぽりと飛んでいる部分が引っかかってしまった。


「え。あの、、って? ダイキさん、彼のお母さん知ってらしたんですか?」

「そういう訳では、ないんだが……食べた感じ、おかしくはなかったか?」


 肝心なところは誤魔化されてしまう。信用の無さなのか、踏み込むなという意思表示なのか、どこまで触れていいものか迷ってしまう。もっとも、芳枝みたいに黒も白もきっぱりしている人間との付き合いが長いから、そう思うだけなのかもしれないけれど。


「特に……たまごボーロってこんなに美味しかったんだって、ちょっと感動しました。彼もすごいって褒めてませんでした?」

「そう、だな」

「あの子、お世辞とか言えなそうでしたよ? 大丈夫だと思います」


 おどけて言えば、彼も少しだけ口角を上げた。


「だと、いいんだが」

「他の誰も正解を知らないんですから、本人の言葉を信じるしかないですよ。もしも、本当は全く違う味だったとしても、その人が食べたかった味だと思ってもらえたなら、充分なんじゃないですか?」


 ダイキさんはちょっと呆然と私を見つめた。


「全く……?」

「思い出補正とかもあると思うんですよね。だから、こうだろうって味に整えられるのってすごいと思いますけど……」


 あまりにも素人考えすぎて不快だったのかもしれない。ダイキさんは、少しだけ眉を寄せて彼の後ろにちらりと視線を向けた。ちょうどその時、タイマーが鳴った。

 彼はその音で料理人に戻り、氷水で手早く洗っていく。

 すぐに、ガラスの器に涼し気に盛られたそうめんが目の前にやってきた。先ほどのラタトゥイユも新たに冷蔵庫から足されて、めんつゆと共に並べられる。


「イマイチかもしれんが、一緒に食べてくれ」

「美味しいですって!」


 反論して、小鉢にそうめんを取り分けると、ラタトゥイユを上からかけ、さらにめんつゆを回しかけてみた。

 これはまかないだから気負わずに口に運ぶ。


「あ……」


 思わずこぼれた声を聞き留められる。回り込んできて、一つ向こうの席に座ろうとした彼は、動きを止めてこちらを注視した。

 誤魔化そうかとも思ったけれど、別に悪いことじゃないし、遠慮は彼も望んでないだろう。


「あ、あの、さっきの今で、おかしな話なんですけど……そうめんこれにかけたら、いつものここの味だなって……あの……わけわからない、ですよね……」


 ダイキさんは嫌な顔も呆れた顔も見せずに、腰を下ろすと、私と同じようにしてそうめんを口にした。少しここではないところに心をさ迷わせながら、それを味わっている。

 やがてふっと息をつくと、私を見て肩をすくめた。


「わからん」

「で、ですよねっ。ごめんなさい。気にしないで――」

「俺には『ここの味』がわからない。めんつゆが混ざったことで多少和風にはなったんだろうが、律夏りつかさんの言う『ここの味』とは、そういうのとは違うことを指してるんだろう? 爺さんのレシピじゃない、一度は違うと言われた同じもので、どうしてそういうことになるのか……続けるのなら、解らなければいけないことなのに」

「……ダイキさん?」


 ひどく沈痛な眼差しを落とす彼にふと手を伸ばしかけて、その手を逆に掴まれた。


「あなたは希望を連れてきてくれるけれど、正解を識っているわけじゃない。頼ろうとしては、いけないの……かも」


 柔らかく手を押し返され、自嘲気味に歪む口元に胸の奥がチリ、と痛んだ。


「頼りにならないのは、自覚してますけど、そういう風に思うの、このお店だけですよ? 好みか、好みじゃないかくらいで、味には特にうるさくなかったんです。でも、ダイキさんのお料理は、きっと他で出されてもわかると思うんです」

「どうだろう。現に爺さんのレシピじゃないラタトゥイユは違ったんだろう?」

「……うっ。それは、その……こうやって、出されれば……」

「いいんだ。やはり俺では爺さんの味には程遠い、んだろう」


 続きを食べ始めるダイキさんは、出会った頃のように投げやりな雰囲気になってしまった。辞めてしまうつもりなんだろうか。せっかく、新しいメニューも考えたのに?

 黙ってそうめんを食べ進めて、ラタトゥイユも綺麗に空にしてから、うん、と私は一つ頷いた。


「私、お爺さんの料理は食べたことありません。私が口にしたのはダイキさんの料理です。あなたがいくらお爺さんの料理に似せようとしても、どこかにダイキさんらしさが残ってると思うんです。私が好きになったのは、そういうお料理だから、ダイキさんは無理に似せようとしなくてもいいと思います」

「……だが、そうすると……」


 言葉を飲み込んだダイキさんは、意を決したように立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。ざっと片付けられたカウンターに置かれたのは、四角いショートケーキだった。グラスを変え、氷の上から注がれたのは紅茶らしい。

 どうぞ、でもなく、両のこぶしを握ったまま口を引き結んでいる様子に、これが今日のメインなのだと気づいた。デザートだからじゃない。先には出せなかったのだ。

 真っ白いヴェールの上で、イチゴのスライスが艶やかなバラの花を形作っている。ホテルのラウンジで気取って食べるような。

 私も意を決して、添えられたフォークに手を伸ばした。




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