24 肝試しとたまごボーロ 後編

「どこで、その話を……」

「友達に聞いたんだ。おっさんが作るのか? それとも、おばけが?」


 少しの間、目を泳がせたおっさんは、女の人を気にしながら自信無さげに答える。


「何でも作れるわけじゃない。準備に時間がかかるものも――」


 途中で言葉を切ると、片手で顔を抱え込んで、おっさんは大きめのため息をついた。


「……何が、食べたいって?」

「できんのか? ちっさくて、丸くてサクサクで、口に入れると溶けるんだ。ピンクや緑や黄色でカラフルだった!」


 おっさんはうんうんと頷いたけれど、女の人は不思議そうな顔をした。


「カラフル? なんだろう……こんぺいとうは丸くない? ダイキさん、わかるの?」


 おっさんは苦笑のようなものを浮かべる。


「できるまで待てるのか?」

「待つよ!」


 おっさんがしばらくのあいだ目を閉じて、次にそれが開かれた時、おれは不覚にもドキッとしてしまった。窓越しに見た売り子のおっさんはそこら辺にいるただのおっさんで、同じように和風な姿でもカッコイイなんて思ったことはない。それなのに、カウンターの向こうで袖をまくり、テキパキと準備を進めていく姿は別人のようだった。引き締まった表情に鋭い視線はただの怖い顔じゃない。材料を次々と並べて、少し首を傾げた後で、おっさんは一度奥の部屋に消えた。


「……おっさん、いつもこんな?」


 ぼそりと聞くと、女の人も目をぱちぱちとまたたいて、小さく首を振る。


「私、料理してるところはあんまり見たことないの。おでんが好きで通ってるんだけど、それはもうできてるものだから……神社のダイキさんは違うの?」

「よくわかんねえ。フツー。ていうか、知らねーの?」

「ただのお客だから」


 困ったような笑顔は、言葉通りなのだろう。と、すると、今日はただのお客からもう一歩進んだ関係コイビトになるための日だったのかもしれない。おっさんの嫌そうな顔を思い出して、勝手に笑ってしまう。今まで客以外の女性と一緒にいるところなど見たこともなかったから、たぶん、そう間違ってない推理だと思う。仏頂面すぎるから、場を和ませたと感謝してほしいくらいだ。

 戻ってきたおっさんの手には、同じような小袋がいくつか握られていた。



 * * *



 材料は数えるほど。卵黄、砂糖、片栗粉、牛乳。

 それぞれを混ぜ合わせて、最後に牛乳を加えてさらに混ぜる。できたものを一センチくらいの大きさに丸めてフライパンに並べていく。

 おっさんの持っていた小袋は紫やオレンジや緑の粉で、混ぜる過程でいくつかに分けて加えられていた。


「それ、何の粉なんですか?」

「野菜パウダーなんだ。紫いもとか、ほうれんそう、にんじん、レンコンなんてのもある」


 感嘆の声におっさんは少しだけ笑った。

 フライパンに蓋がされ、おっさんは慎重に火の調節をしている。「15分くらいかな」と言われて、女の人も嬉しそうな顔をした。なんだか、こういうの見たことがあるなって思ったら、時々うちにやってくるヘルパーさんだ。父さんと二人だけで話している時、俺が彼女の料理を旨いと言ったとき、彼女はとても似たような表情かおで笑った。

 おっさんが洗い物をしているうちに、香ばしい匂いが店中に広がっていく。


「フライパンでできるんですね」

「オーブンでも、もちろんいいんだが。こうしていた、ようだから……」


 少し不可解な言い様に、俺も女の人も軽く首を傾げたけど、突っ込まなかった。料理を始める前のキリっとした雰囲気はもうなくて、少し伏し目がちの、いつもの無愛想なおっさんがそこにいた。

 焼きあがったお菓子は、浅いガラスの器に盛られて俺の前に置かれる。


「わぁ。可愛い」


 『かわいいでしょ』と、忘れかけていた母さんの声を思い出す。薄い紫の粒をつまみ上げて、口の中へ放り込んだ。

 舌の上に乗ったそれは、噛む前にほろりと崩れて、優しい甘さと卵の風味が溶け出してくる。


「うん。これこれ! おっさん、すごいな!」


 次の粒は溶ける前にサクサクと歯触りを楽しむ。三つ四つと口に入れて、ふと、器を押しやった。


「おねーさんも食べてみる?」

「いいの?」


 期待する目の輝きに頷いて、何気なくおっさんへと視線を上げた。

 おっさんは、料理の前みたいに緊張した顔でじっと女の人を見ていた。その指が薄黄色の粒をつまみ上げ、その口に消えるまで、まるで、全然勉強しなかったテストの結果を聞かされるみたいに。

 女の人は、まず、うふふと小さく笑った。


「たまごボーロ! たまごボーロって、片栗粉でできてるんですね! 知らなかったぁ。それに、出来立てがこんなに美味しいなんて! 材料も家にあるものだし、今度私も作ってみようかな」


 ホッと、おっさんから力が抜ける。

 俺の説明だけでこれを作っちゃうんだから、もっと自慢してもいいのに。それとも、彼女の前でだけ、こうなんだろうか。『恋って厄介なのよ』耳に残るのは、やっぱり母さんの声……なんだろうか。


「……坊主も、これで良かったか?」

「うん。ありがとう。これ、持って帰ってもいい? できれば、少し別に分けてくれよ。友達にも食わせてやりたい」

「構わないが……友達って、ここのことを聞いたっていう?」

「そうそう」


 おっさんは今度は警戒のオーラを出して俺に向き直る。


「親御さんからまた聞きでもしたのか? 子供だけで来られるのは、さすがに困るんだが」

「知らねーよ。神社であった奴で、同い年か、ひとつふたつ上くらい。おっさんのことも良く知ってたから、おっさんの知り合いだと思ってたんだけど?」

「思い当たる節がない。名前は?」

「聞いてない。お姉さんのことも知ってたぞ」


 お姉さんをちらりと見ると、おっさんは険しい顔をして黙りこんだ。


「私の知ってるのは、ダイキさんの親戚のお子さんくらいだけど……」

「わかった。注意しておく」


 そっけなく言って、おっさんはビニール袋にボーロを小分けにしてくれた。



 * * *



 おっさんのためにもと、そそくさと店を出た。自転車チャリンコを回収してあの少年を探す。ざっと流してみたけど見当たらなかったので神社に寄ってみた。

 朝の爽やかな空気はもうなくて、刺すような日差しが降っている。木々の陰に入ればまだ風は涼しい。手水屋の柱に寄り掛かってぼんやりしているソイツを見つけたので、駆け寄った。


「俺の勝ちだぞ!」


 おやつを掲げれば、少年はふわりと笑った。


「あー。負けちゃった。どうだった? おばけ、いた?」

「全然! おっさんが料理人だったなんてびっくりだ。ほら、作ってもらったからやるよ。何か持ってくるんだったよな!」


 ソイツはひどく驚いて、差し出されたビニール袋をしげしげと見つめていた。


「……ありがとう。でも、ひとつでいいよ。ひとつだけ、ちょうだい」

「え……」


 上向いた手のひらに、少々戸惑う。でも、余計なものを持って帰って叱られたり、問い詰められると困ることがあるっていうのはわかったから、俺は素直に袋からひとつだけボーロを取り出してそこに乗せた。

 ソイツはしばらくそれを目を細めて見ていたけど、口に入れると、ぎゅっと目を閉じてお姉さんみたいにんふふ、と笑った。どちらかというと白い肌がうっすらと色づいて、俺よりもよっぽど幸せそうにそれを味わっている。


「おいしいねぇ。元気出た!」

「……場所、教えようか?」


 親戚、と言っていたから本当は知っているのかもしれないと思いつつ、訊いてみる。案の定、ソイツは首を横に振った。


「いいんだ。自分で探すから。よーし! もうひと頑張りするぞ!」


 ぴょん、と跳ねるようにしてソイツは手を振りながら行ってしまった。

 どうしてか、もう会えないような気がして、ソイツが見えなくなっても、俺はしばらくその方向を黙って見ていた。




 家に帰ると、父さんがひどくホッとした顔で出迎えた。


「良かった。午後からお客さんが来るから、いつもみたいに夜まで帰ってこなかったらどうしようかと思った」

「何? お客くる時なんて、いつも部屋に居ろって言うじゃん」


 平日なんて、ばあちゃんちに居ることも多いから、本当に何ってカンジ。口を尖らせて言えば、父さんは気まずそうに目を逸らした。


「今日はお前にも会ってほしくて……って、何持ってるんだ? どうしたんだ? それ」

「べーつーにー」


 父さんがさらに追及しようと口を開けたところで、チャイムが鳴った。父さんは慌てて手振りで奥へ行けと俺を押しやって、玄関を開けに行く。

 開いたドアの向こうには、ちょっとめかしこんで緊張顔のヘルパーさんが立っていた。

 ああ、そういうこと? やっとかよ。俺のお参りも効果あったんかな。

 俺は手の中のビニール袋をちらりと見て、たまにこれを作ってくれるなら、意地悪しないでいてやってもいいかなって、ちょっとだけ笑った。




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作中参考食品:たまごボーロ

実は作者はあんまり得意ではありません。ハイハインなんかのおせんべい系の方が好きです。

それでも出来立てのこれは食べてみたいですね。野菜パウダーでカラフルに色付けされたら、きっと気分も楽しくなりそう。

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