20 おちるもの (お題:尊い)
「え。マスター……大将? て、店主さん? ……って、神主さんなんですか?」
どう呼んでも、なんだかしっくりこない。
カウンター向こうの不機嫌そうな青年は、そんなことどうでもよさそうに否定的に首を振った。
「バイトだ。売り子と変わらん」
「あ、そうなんですね。だから、ここも開けるのが不定期なんだ……調整が大変だったから、マスター……大将? 店主さん、も引き継ぎに時間が――」
「……ダイキ」
さすがにちょっと呆れた顔をして、彼はぼそりと声を落とした。
「店主のつもりもないし、ここもバイトみたいなもんだ。呼び慣れないなら、名前で呼んでくれ」
「ダイキ、さん」
苗字か名前かも微妙なところだけれど、舌で転がした名前は思いのほか馴染んだのでほっとする。週一ペースで顔を出していれば、さすがに冷やかしではないと認知されたのだろう。
隣に座る
芳枝に聞いても、「悪そうな人じゃないか確かめてるだけ」なんて誤魔化されてしまうので、なおさら。
でも今日は珍しく、芳枝は視線を逸らした先のテーブルを指差した。
「ねぇ、ダイキさん。私たちにもアレ、出してよ」
ちょっと悪い顔でダイキさんを振り返り、ダイキさんはますます表情を険しくする。
奥のテーブルには浴衣を着た美人さんと、作業着のおじさんと、黒縁眼鏡でおさげの女性が座っていた。常連さんらしく、どの人も見かけたことがある。その、おさげの女性が一口大のチョコレートケーキを食べていたのだ。
メニューにはないし、常連さんへのサービスなんだろうと、私は彼女の袖を引く。
「芳枝……」
「あれは、客に出せる代物じゃない」
「じゃあ、なんで彼女は食べてるの?」
「……意見を、もらおうと……」
珍しく、歯切れの悪いダイキさんに、鬼の首をとったかのように芳枝は噛みついた。
「意見は、多い方がいいんじゃないですかね! まずくても、代金はお払いしますから!」
「芳枝!!」
ストレートなのは芳枝のいいところだけど、どうもダイキさんに対しては何か含みがあるような気がしてならない。
ハラハラしている私なんてお構いなしで、二人はしばし睨み合っていた。
奥のテーブルから、くすくす忍び笑いが聞こえてくる。おさげさんは私と似たような表情をしているから、浴衣の女性だろう。
ダイキさんはそちらを睨みつけて一息吐き出すと、冷蔵庫に向かった。
無言で目の前に置かれたケーキは、洋菓子店のショーウィンドゥに並んでいるものと遜色ないように見える。断面に見えるのは、ガナッシュと、おそらくベリーのムース。よりチョコの色に馴染んでいるのは、ブラックベリーを使っているのだろうか。上にちょこんと鎮座している実は黒と赤と両方ある。
芳枝は挑戦的に舌なめずりすると、フォークを口に運んだ。
瞬間、動きを止めて、喉が上下する頃には悔しそうな表情になる。そのうち、仕方ないというようにぼそりと呟いた。
「……美味しい」
それ以上何も言わない。ダイキさんは嬉しそうでもなく、無表情のままだ。
私も、一口食べてみる。うん。美味しい。美味しい、けど。
「ダイキさんが作ったんじゃないみたい。美味しそうなラッピングの表面を食べてる、ような」
首を傾げて思わず出た言葉に、自分で青くなる。
ラッピングの表面て、何!?
案の定、怖い顔のダイキさんがカウンター台に手をついて身を乗り出した。
「あっ、ご、ごめんなさい! 美味しいんです。美味しいんですけど、なんていうか、いつものホッとする感じが無かったっていうか……私、今チョコレート気分じゃなかったのかも……えっと、あの……せっかく出してもらったのに、ごめんなさい……」
妙なことを口走る自分の首を絞めてやりたい気分でうつむくと、ダイキさんの真剣な声音が降ってきた。怒っているんじゃない、ひどく真摯なものだった。
「前にも言った。助かる。デザートなら、何が食べたかった?」
「え? えーと、だ、大福?」
そっと目を上げた私に一つ頷いて、ダイキさんは袖をまくり上げた。
「まだ時間あるか? ちょっと、待っててくれ」
「はい……」
カウンターの向こうでテキパキと動き始めるダイキさんに呆気に取られて、芳枝と顔を見合わせる。勢いで答えただけで、大福もそれほど食べたいという訳じゃなかった。
ダイキさんの手元では白い粉に水と豆腐が崩して混ぜ込まれ、鍋に火がかけられる。
しばらくして器に盛り付けられ、生クリームを添えて出てきたのは白玉ぜんざいだった。塩昆布まで添えられている。
「大福じゃ、ないが……」
緊張気味のダイキさんの視線もだが、店内全員の視線が集中しているのが分かって、こちらも緊張する。
つるりと光を反射する白玉を掬い上げて、震えそうになる手をなんとか口に運ぶ。
作業を見ていたから、あんこは業務用だったのもわかっている。
それでも、口に入れた途端、ほっと力の抜けるような幸せな味がした。
「うん! すごい。私、こういうのが、食べたかったみたい!」
勝手に緩んだ頬に、ダイキさんの緊張した表情からも力が抜ける。たぶん、初めて見た彼の笑顔は、思ったよりもずっと優しくて、なんだか目が離せなくなってしまった。
「
奥のテーブルからかかった声に、彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして振り向いた。しばらく固まってから、慌てて盛り付けにかかる。
隣の芳枝はそれを見ながら苦笑していて、ぜんざいを勧めたら、いらないと首を振られた。
「美味しいよ?」
「うん。いいの。ちょっと、お腹いっぱい」
そういいながら、熱燗を頼んで、店の片隅の神棚の方に向かって猪口を掲げた。
「なにしてるの?」
「んー? 知ってる? 神様へのお供え、米は欠かせないんだよ。米から作られるお酒も。神様の大好物だからね。最も
「そう言われれば……そうかな」
突然神様の話を熱く語られて面食らいながらも、相槌を打つ。
芳枝って、そんなに信心深かったっけ?
「もしもお米が凶作でも、なんとか喜んでもらおう、できるだけいいものを美味しくいただいてもらおうって、きっとそういう想いが神様への栄養になるのかもね。だって、捧げたものは実際には無くなるわけじゃないんだし」
「そう、ね」
話の出口がよくわからない私に、芳枝はけらけらと笑った。
「いーのいーの。私、今、すごく
後から思えば、芳枝の話は『想い出の味』についての彼女なりの考察だったのかもしれない。どうして急にそんな話を持ち出したのか、結局わからないのだけれど。
ともかく、それ以降は芳枝がダイキさんに突っかかることもなくなり、お店は開いている日も多くなった。以前話していたSNSも一応始めたようだ。あまり広めないで欲しいと登録用のQRコードを差し出されて、じわじわと可笑しくなってくる。
常連の仲間入りを果たせたようで嬉しくもあり、開いている日が多いからといって、通える日が増えるわけでもないのは残念でもあり……
最近、ダイキさんの表情は少し柔らかくなったから、一見で終わるお客は減るかもしれない。
美味しいデザートも食べられると知れたら、女性客も増えるかも?
そわそわする気持ちを宥めながら芳枝にそう言うと、「あの仏頂面はモテるタイプじゃないよ」と笑われた。
そういう話をしてたんじゃないのに!
……ない、けど、時々新作なのか、試作なのか、メニューにないものを食べさせてくれる特権に与れているのは、結構嬉しい。うん。嬉しい、のだ。
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