19 くれないのお餅

 気持ちよ〜く酔っぱらって、ビルの出口を間違えた先に、赤い着物の美人が歩いていた。

 なんとなく目で追っていったら、おんぼろな家に入って行く。よく見りゃあ、赤ちょうちんが下がっていて、暖簾も揺れているではないか。気づいたら、その店の引き戸を開けていた。


「いらっしゃい」


 平坦な声は男のもの。カウンターの中には目つきの悪い青年が立っていた。

 ちょっと腰が引けたが、店には一歩踏み込んでしまっている。帰るわけにもいかず、一杯だけとカウンターに腰を落ち着けた。


「烏龍茶割り……」


 店主はごつい湯のみを置きながら黙って頷いた。

 店内を見渡せば、他に客はいない。いや、さっきの赤い着物の女性は奥の席で徳利を傾けていた。

 目の前にグラスを置いた店主は、黄色いものが乗った皿を奥の女性に持って行く。丸くて平べったい、焼き色の綺麗なあれは、多分、カボチャ餅だ。あんなメニューもあるのか。いも餅に比べて色鮮やかでほんのり甘みのあるカボチャ餅は、女性人気も高いらしい、とか。


「いも餅もあるのかい?」

「ありますよ」

「じゃ、それひとつ」


 店主は無愛想だが、動線に無駄がない。店の雰囲気よりはずいぶん若いが、もう長いのだろうか。

 じゅうじゅうフライパンがたてる音に、砂糖醤油の香ばしい匂いが加わって、ひどく懐かしい気分になった。祖母の家でよく食べたのを思い出し、芋づる式に祖母の手料理のあれこれが浮かんでは消えて行く。

 その中で、綺麗な桃色のお餅が瞼の裏でひときわ自己主張を始める。


「……なあ、紅しょうがの入った餅って、知らないか?」


 酔っぱらっているから口が滑ったのか、商売人なら知ってるかもと思ったのか、周囲の誰に聞いても知らないと言われる、記憶の中の餅を口に出す。夢じゃないの、ともよく言われるのだが、味を何となく覚えているので婆さんが作ってたものじゃないかと思ってる。


「からめるんじゃなくて、中に入ってるんですか? ……!!」


 その表情からはやっぱり知らなそうだと思えたのだが、彼は突然目を見張り、よろけて棚に手をついた。もう片方の手で目を覆う様子に思わず腰を浮かす。


「お、おい、大丈夫か? 貧血、とか?」

ぼん?」


 奥の席の彼女も同じように腰を浮かせている。気安い呼びかけは、常連か、身内なのだろうか。

 店主は、一息つくと片手を上げた。


「……大丈夫、です。あー……」


 何か葛藤しながら、彼はこちらに視線を向けた。睨まれた気になって、すとんと腰が落ちる。


「それって、ピンクの、ちょっと甘い……」


 続いた言葉も、だから何のことかと一瞬混乱した。一拍置いて、心臓が跳ね上がる。


「そ、そうだ! たぶん、それだ! どこで食べられるか、知って!? 検索かけても上手く出てこないんだよ!」

「いや……知っていると、いうか。食べたい気持ちがあるなら……作れる、かもしれない」

「えっ。ほんとに?! えっ、ここで?」

「今日は無理ですが……また来てもらえるなら……」


 どう見ても、乗り気そうではないけれど、それでも千載一遇のチャンスだと思った。


「ありがとう! 来るさ。来るとも!」


 慌ててスケジュールを確認する。直近で来られそうなのは……


「来週末、なら!」


 店主は黙って頷くと、眉間の皺をもみほぐしていた。




 約束の日。

 俺は残業も断って会社を飛び出した。たかが餅。されど餅、だ。

 あれが食べられるのだと思うと、子供のようにそわそわしてしまう。そういえば、祖母がおやつを作る時は、いつも周りをウロウロして、危ないからと叱られていた。

 卵と牛乳で混ぜて作るホットケーキも、白い粉をこねて丸めてゆで上げる白玉も、なんとなく作り方を覚えているのに、あのピンクの餅は玄関のタッパーの中から出てくるイメージしかない。少しいびつな楕円形は、手作りの証だと思うのだけれど。


 店主は俺の顔を見ると、コンロの上に網を用意した。

 冷蔵庫から取り出した容器には、綺麗なピンク色のお餅が並んでいる。ふたつ取り出して、網の上に乗せてから、全部を目で追っている俺に茶を出してくれた。


「少々お待ちください」


 焼けるまで。わかってる。子供みたいに手を出したりしない。

 焼き色がついてきて、全体が膨らんできたら、指でつまむように両端から軽く押してみて、柔らかければ大丈夫。そんなすぐは焼けないよ。少し待ちなさい。ほら、火傷するから!

 ストーブの上に置いたアルミホイルに餅がくっついて、うまくひっくり返せなかったり、うっかりひっくり返すのを忘れて焦がしたり……香ばしい匂いと共に幼い頃の光景がいくつも浮かんでくる。


「熱いですから、気をつけて」


 うん、と頷いたのに、指先は待ちきれないとそれをつまむ。


「あっ、つ!」

「大丈夫ですか?」


 差し出された冷たいおしぼりは、どう考えても先に用意していたようだ。苦笑いが浮かぶ。


「ありがとう」


 癖で掴んだ耳たぶから指を離して、素直に受け取る。そんなに冷たくないよなぁ、と思いながらも咄嗟の時はついつまんでしまう。

 今度は慎重に温度を見ながら、餅を持ち上げる。

 ピンクの餅のところどころに真っ赤な紅生姜が顔を覗かせていた。量はさほど多くない。一口齧るとほんのりと甘さが広がって、たまに紅生姜に当たると塩気と生姜の香りがアクセントになる。何もつけなくても、いくつでも食べられそうだ。


「うん。……うん。これだ。家族では一番人気で、餅の中で一番先に無くなるんだよ」

「そうなんですか」


 店主のほっとした表情に笑いかけ、どうしてあまり記憶にないのか思い出す。

 祖母宅では年末に餅をつき、正月に食べる分をこしらえていた。のしもち、豆餅、鏡餅。小豆を炊いてあんころ餅。できたてはもちろん美味しいのだけど、カチカチになったあんころ餅を焼いて食べるのが大好きだった。餅とあんこの境目が、お互い溶けて交じり合うのが何とも言えず旨い。

 そうやって何種類も作るので、白餅以外の餅はそれぞれ一升を越えない。叔父さん伯母さん従兄弟の分、と考えると一人当たりの量など知れてしまうのだ。

 普通の生姜ではなく紅生姜を使うのは、紅白でおめでたく、ということかもしれない。


「ああ。なんか色々思い出したよ。ありがとう。取り合いした従兄弟に電話したくなった」


 ビールにも合うだろうと注文する。

 今夜もご機嫌に酔っぱらって支払いを済ませると、釣りと一緒にメモを渡された。


「今回作ったもののレシピです。よかったら」


 思わずその手を握り込んでお礼を言う。店主の苦笑もお構いなしで、俺は次のボーナスで餅つき機を買うことに決めた。

 ……嫁は、怒るかもしれないが。



 * * *



 大の大人が子供のように手を振って出ていくのを、大樹も源三も姐さんも、苦笑しながら眺めていた。


「久々に強引だったねぇ……」

『注文の時に他の客がいなくて良かったな』

「……よくあることなのか?」


 はぁ、と大げさにため息をついた大樹に、源三は肩をすくめる。


『まれによくあるってぇくらいだ』

「どっちだよ……」


 餅の話が出た途端に、大樹に飛び掛かるようにして現れた恰幅の良い女性。その人物がぐいぐいと迫りながら「つくれつくれ」とわめくのだ。あれでは他の客の注文など聞こえないかもしれない。


「喜んでもらえたんだから、いいじゃないか。ぼん、ひとつ焼いておくれ」

「……珍しいな。いつも『想い出の味』にはあまり手を付けないのに」

「ちょいと珍しいからね。普通に好奇心さ。最近は少し消耗してたし、ひとつくらいいいだろう」


 大樹は黙ってコンロの火をつけたのに、姐さんはその顔を覗き込むようにして、にやりと笑った。


「前にも言っただろう? 力を持ちすぎると碌なことをしない。その『想い出』は他のに比べると輝きは薄いからね」

「……それは……」


 眉をひそめた大樹に、姐さんはゆるりと首を振る。


「違うよ。それは源さんが作っても、その程度だ。彼が熱望したというよりは、彼女が食べさせたかったのさ。強引な客のものは、大概そうだね」


 へぇ、と源三まで感心している。

 今の言葉は、素直に受け止めた方がいいのだろうかと、大樹は少し複雑な気持ちで、餅を裏返した。




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作中参考食品:しょうが餅(紅生姜)

こちら、おそらく道東で食べられていたものじゃないかと思うのですが、うまく検索で引っ掛けられませんでした。作者が幼い頃、祖母宅でストーブの上で焼いて食べていたものです。以前、どこか別地域でも似た感じのを見た気がしたのですが、レシピらしいレシピはわかりませんでした。

紅生姜は細かく刻んでつくときに混ぜ込むので、色がきれいなピンク色になるのです。祖母のレシピはほとんどの料理を手分量で作ってしまっていたので、あまり残っていなくて、今になって残念だなと思うことが多いです。

実家の餅つき機が現役のうちに、(うろ覚えではあるけど)一度作ってもらおうかな。

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