18 正体
「出禁にしてるっていう奴の理由は何なんだ?」
暖簾をしまって戸締りをしてから、大樹は源三とまだお猪口を揺らしている姐さんに渋い顔を向けた。源三はゆっくりと姐さんを振り返る。
『俺は知らねぇ。選別してんのはそっちだ』
二人分の視線を受けて、姐さんはひょいと肩をすくめる。
「迷惑になりそうなやつだよ」
「具体的には?」
「すぐ暴れるやつとか、頭のいい嫌なやつとか、そういうやつの腰巾着」
「このあいだ、俺が会ったのは」
「頭のいい、嫌なやつ」
にやりと笑って、姐さんは猪口を傾けた。
「嫌そうな奴ではあったが、人に紛れて生活してるってことは、表立って悪さをするわけじゃないんだろう?」
「そうさね。そういう奴らはもうずいぶん昔にいなくなっちまったからねぇ」
『たぶん、何度かは来たことある奴だろ? 一見、人の良さそうな』
源三は天井を見上げて顎をさすりながら、ぽつりと言った。
「憶えてんのかい?」
『まあな。うちに来んのは口の達者じゃねえやつが多いから、印象に残ってる』
「爺さんはそいつの正体判ってんのか?」
『ありゃあ、狐っ子と同じようなモンだろ? 獣系じゃねえか?』
「いいとこ突くね。そうさ。
「オコジョみたいなやつだろ?」
姐さんはうんうんと頷く。
「
「火事……」
先ほどまで居座っていた女の話を思い出して、大樹は無意識に腕をさすった。
「実際、それを脅しに使うようなやつなんだよ。源さんだって言われてただろ? 『最近火事が多いから、この店も気を付けるように』って」
『なんだ。あれは脅しだったんか? 冬場は普通に火事は多いからな。挨拶みたいなもんかと』
首を傾げる源さんに、姐さんは小さく息をついた。
「正体を知っていれば、穏やかには聞いていられないよ。人間の仕事の方もあんまり賛成じゃなかったしね」
「人間の仕事って……何を」
「総合プロデュースとか、言ったかね? 若者にも入りやすいように、店を改装したり、メニューを一新しましょう、とかなんとか」
『そんな金ねえって断ってたんだよ。すぐ、元は取れるから、なんて言われてもなぁ? なんか裏がありそうだろ?』
「あいつも『想い出の味』を見てから目の色変えたからね。あたしらと目的は一緒だろうね」
大樹はカウンターの椅子に軽く腰を預けて、腕を組んだ。
「似たもんなら、出禁にすることはないんじゃないのか? 変に恨まれても」
「力も自己顕示欲も強いモノが今以上の力を持ったら、面倒なことになるよ」
「……そう、か?」
『俺はべつに目立ちたくもなかったし、変に忙しくなって今までの常連さんたちをないがしろにすることになんのもごめんだったしな』
「源さんは自分の作る物に無頓着だしねぇ。こっちで予防線張るしかないだろ」
『俺は頼まれたモンを作ってるだけだ』
「これだからねぇ」
けらけらと彼女は笑うが、大樹は難しい顔を崩さなかった。
「彼女は、大丈夫なのか」
姐さんはにやにや笑いを浮かべると、猪口をゆらりと揺らす。
「おや。心配かい? 彼女について歩いてもここには辿り着けないからね。だから、
「あの友人も、視えてんのか?」
「彼女はそういうんじゃないね。守りが強いんだろう」
そうか、とありきたりな相槌を打って、大樹は話を切り上げた。冷蔵庫の常備菜や野菜の在庫を確認して、簡単な下ごしらえをしてしまう。
孫の手つきを確認すると、源三はやはり黙って大樹を見ている女をじっと見つめていた。
* * *
初めは少々怯えたようなところもあったのに、このまま常連になってしまいそうだなと、大樹は複雑な気持ちでお通しの小鉢を差し出す。店の客ではなく、源三の客だった者たちはお悔やみの言葉と共に来店回数が減っているというのに。
「……あれ。今日は一段とお出汁染みてますね」
「え?」
弾むような声に、大樹は怪訝な顔を向けた。別段、いつもと違うことはしていない。味見した時もいつもと同じだったし、先に来た客も特に何も言っていなかった。
「……塩気が強いとか?」
「え? いえ。そうじゃなくて……」
慌てたようにもう一口大根のかけらを口に入れて、彼女は首を傾げた。
「ん……わかんなくなっちゃった。いつもより、ちょっとだけうま味が強かったっていうか……より私好みの味だったっていうか……久しぶりだから、口が喜んじゃったのかな」
体調によって味覚も変わることがあるらしいので、そういうことかもしれない。小皿で出汁の味を確かめた後、大樹はそう結論した。
気まずそうに頬染める律夏を見て、話題転換するべきとは判るのだが、料理のスキルと違っていつまでたっても慣れるもんじゃない。結局、取ってつけたような物言いになる。
「仕事、忙しかったって?」
「あ。そうなんです。ようやく一段落ついて。外で、一度お会いしたでしょう? あの日から、それまでのトラブルが嘘みたいにスムーズに進んで!」
「それは、よかった」
軽く目を伏せて頷いた大樹だったが、彼女はどう受け取ったのか、少し肩を落としてしまった。
「私、考える前に言葉が口を突いて出ることがあって……仕事のトラブルも、大半がそれに起因してて。飲食店で味が違うって、たとえ自分の好みになってたとしても、言うべきじゃないことですよね」
「え? いや、べつに……」
気にしてない、と言い切ってしまうのも冷たいだろうかと、大樹は言葉尻を濁した。それからふと思いついて付け足す。
「変えられるかは判らないけれど、感じたことを言ってもらえるのは助かる。自分のやっていることが本当に正しいのか、たまに判らなくなるから」
律夏は不思議そうに顔を上げて、大樹と視線を合わせた。鋭さも感じさせるその瞳は、迷いがあるようには見えなかった。けれど、それを勝手に決めつけるべきではないのだろう。
「……そう、ならいいな。えっと、あの、そういえば、あの日、神社で
「よしで? ……ああ、あの。いや。会った、というほどでは。見かけた、程度で。彼と言えば、先日ご友人が心配してた。『早く今の仕事が片付けばいい』って」
「えっ。
律夏はかあっと赤面して、額に浮かんだ汗をおしぼりでそっと抑える。
「連絡先交換してるからって」
「個人的に連絡することはないですよ。仕事でやらかしてるんで、苦手意識が強くて。芳枝の言うこと、あんまり真に受けないでくださいね? きついこと言ってても、通ってるならこのお店のこと気に入ってるんです」
開いたおしぼりを顔を隠すように垂らした律夏に、大樹は「ああ」と曖昧に相槌を打った。彼女が大樹に冷たく当たるのは、大樹がパティシエを辞めて、やる気もないのに店を開けていることを暗に責めているからで、正当性のないものでもない。半端な人間が親友に近づくのを許せないと言われれば、そうかもしれないとは思うから。ただ、そうなら何故親友にも告げないのだろう。「あの男は碌でもない」と、彼女なら言いそうなのに。
沈黙が落ちた、数秒後。ガラガラと引き戸が引き開けられ、新たな客がやってくる。
珍しく一人来ては一人帰るような客入りに、その日はそれ以上彼女と会話を交わすことはなかった。
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