17 プロの矜持

『ばかやろう! これはおめえの料理じゃねえって何度言えばわかる!』


 ひゃ、と折れそうな娘さんが肩をすくめた。


『あ。で、でも、やっぱり美味しい方がいいじゃないですか。私の株も上がるし?』

『そんなら、その辺の店で買ってくればいいだろ。あいつらが食べたいのは、そういうもんじゃねえんだよ』


 大樹の頭に振り下ろされたこぶしは、その頭をスカッと通り過ぎた。

 源三の言うことは、大樹だって重々わかっているつもりだ。だが、彼の身体に呪いのように染みついた感覚が、つい、邪魔してしまうのだ。


「チョコレートに温度管理は必須なんだよ……これでも……」

『プロに素人料理を再現しろって、失礼ですよね……』


 あはは、と娘さんは申し訳なさそうにうつむいた。


『どんなもんでも作れるのがプロだよ』


 ぐぅ、と大樹は唇を噛みしめた。

 正直、これほど苦労するとは思っていなかった。レシピは彼女が覚えているし、言われるままに作ればいいだけ、というのはそうなのだが。無骨に真面目に身に着けたスキルが邪魔になるなんて、誤算もいいところだ。

 最初は黙って見ていた源三が、試作を見て我慢できずに『もう一度作れ』と言ってきた。食べてもいないのに即却下な理由は、「綺麗すぎる」だった。

 美しく艶のある表面に、口溶け滑らかな高級品。そんなものを初めて手作りした体で出すなんてするなと。なんならブルーム(温度変化によって脂肪分や砂糖が表面に白く浮き出たもの)の浮いた状態で出せと言われて、大樹は泣きそうになった。


『よく考えろ。娘さんは万全じゃない体調で作ってた。お前の手で作るんじゃねえ。お前の手を娘さんに貸してやるんだよ』


 なかなか上手くいかなくて、終いに大樹は娘さんにゴムベラを一緒に持ってもらった。もちろん、フリだけれども。混ぜ方がようやく合わせられるようになる。娘さんの動きは無駄が多くて、のんびりで。生クリームも沸騰させてしまったけれど、美味しく食べてほしいという想いだけは人一倍伝わってくる。

 出来上がったチョコレートは、まだ小綺麗にまとまってると言われたけれど、及第点はもらえた。


『でも、よかったぁ。彼、いつか本当にあれを口に入れそうだったんだもの。私からもお礼を言わせてください。ありがとうございます』

「……いや……未熟で、申し訳ない」

『やだ。未熟だなんて。プロとお料理できる機会なんて、生きてたら絶対なかった。楽しかったです』


 ほわりと笑顔を残して、彼女は消えて行った。




 懸念を残したまま、約束の日。

 カウンターに座った客は無駄に背筋が伸びていて緊張しているようだった。そうでなくても自信がないのに、大樹にまで緊張が伝わってしまう。

 初めてホールに出た新人のように皿を持つ手が震えて、大樹は自分に苦笑した。

 彼がチョコを口にして、じっくりと味わうのを待つ。


『あんまり見るもんじゃねえよ』


 源三の忠告に、慌てて少し視線を逸らしたくらいだった。それでも目の端に彼を留めてしまう。

 もくもくとチョコをいた彼は、不意に微笑むと、ポロリと涙をこぼした。

 これは、どういう反応なんだろう。大樹は内心少し焦る。

 彼は袖口で目元をこすると、次のチョコを楊枝で刺して、笑った。


「ありがとうございます。源さんも、あなたも、すごいや」


 残りのチョコも土産に持たせて、大樹はようやく肩の力を抜いた。

 あれで良かったのだろうかと、まだ不安がある。得意な分野だったはずなのに、もっと上手くできたのではないかと。

 『想い出の味』を作ると言うのに、今日は妖怪たちの姿はなかった。先日、姐さんに一発喰らわされたことを持ち出して、源三がシャットアウトしたのだ。あのあと一日ばかり寝込んだけれど、特に心配するような不調は残っていない。

 妙な男と仕事をしているという彼女の友人に、姐さんに抱えられたところをたまたま目撃されていたらしく、冷たく当たられるくらいだ。誤解だと言うのに、なかなか聞いてもらえない。(姐さんが面白がっているせいもあるのだが)

 今回の出来はどうだったのだろう。

 彼らがいれば、良いも悪いもきっとわかったはずなのに。

 うとんでいるはずなのに、こんな時ばかり頼りにしていることに気付いて、大樹は小さくため息を漏らした。



 * * *



「それで、どーだったのよ。チョコレート」


 大樹は不思議で仕方がなかった。気に入らないなら来なければいいのに、とカウンターに居座る女をひと睨みする。今日は彼氏なのか、男性を伴っていた。


「喜んでは、もらえたようです」


 平坦に応えれば、彼女は眉をひそめた。


「微妙な答え。私も食べてみたかったな。『想い出の味』」

「他人の『想い出の味』は他の人が食べても特別でもなんでもないですがね」


 事実、あれを他の人に出そうとは思えない。妖怪たちにだって……そこまで考えて、ふと、大樹は源三を振り返った。

 だから、彼らも遠ざけたのかと。

 源三はおでんの鍋を覗き込んだりしている。


「可愛くない言い方だなぁ。料理から抜けたアクを全部吸ってんじゃないの?」

芳枝よしえ。すいません。こいつ、ハニーが絡むと、とたんに全方位に攻撃的で……」

「ハニーいうな」

「美味しいご飯とお酒、満足してますってこともちゃんと言えばいいのに」


 柔らかく諭されて、口を閉じてしまうとは、少しは可愛げがあるのかもしれない。文脈から汲み取るなら、ハニーとは、あの友人のこと、なのか?

 余計な口を挟まずに、大樹はおおよその当たりをつける。


「日本酒も結構数扱ってるんですね。純米吟醸とかどのくらいあります? カクテルでも結構使うから、飲んだことないの試したいな」

「そっちのお仕事ですか?」

「ですね。ちょっと西の方で見習いやってます」


 軽く頷きながら、大樹は日本酒の瓶をいくつか並べた。


「『くどき上手』いいですよね! ネーミングも好きなヤツです。あ、このうぐいすのラベル知らないです。これお願いします」

「『うぐいすの囀り』っていう山梨の酒です」


 大樹は升にコップを入れてそこに酒を注いでいく。コップから溢れて升がいっぱいになるところまで注いでから瓶を起こした。

 盛り上がるひびき芳枝よしえは面白くなさそうに見つめている。彼は慣れているのか、コップに口から近付いて一啜りしてから彼女を見やった。


「うまい」

「良かったわね」

「で? ハニーじゃなくて俺を誘ったのはなんで?」

律夏りつかとは仕事のタイミングが合わなくて。愚痴りたいけど、彼女のクライアントだし変なとこからあっちの耳に入ってもヤダなって」

「はいはい。愚痴ね。律夏ちゃん、口説かれてるの?」

「ううん。そこはちゃんと仕事モードで済んでるって。ただ、別ルートで妙な噂を聞いたから」

「妙って?」

「拗れそうな人間関係の女ばかり狙うとか、付き合う女の機嫌を損ねる人間は火事に遭うとか。もう、とばっちり受ける前に、早く今の仕事から離れてほしくて! ここも出禁なんでしょ? やっぱり、トラブルとかあったの?」


 聞こえないふりをしていたのに、話を振られて、大樹は何度か目をしばたいた。


「出禁――」


 先日外で会った時の律夏の「言いませんから」という言葉が、今になって急に腑に落ちる。


「――あ。いや……」


 姐さんに視線を飛ばす大樹を見て、響がふっと息をついた。


「芳枝。店の人はそういうこと軽々しく口にしないよ。律夏ちゃんは当事者だけど、芳枝は違うだろ?」

「いや、そうじゃなくて。俺は話しか知らないんです。ここの店主が亡くなって、ちょっと店を預かってるだけだから」

「ああ。そうなんですね。ほら、噂だけであんまりやいのやいの言うのも良くないぞ」

「なーによぅ。私のカンはよく当たるんだぞ。噂までついてきたら決まったも同然じゃない」

「だいたい、律夏ちゃんは口説かれてるわけじゃないんだろ? 仕事明ければ大丈夫じゃないか」

「でも、連絡先は交換してたし」


 大樹は黙って話を聞きながら、ひやりとしていた。

 源三が出禁だと言っていたのが、自分に興味を持っているらしいあの男(に化けている妖怪)だとようやく認識できた。口を尖らせている彼女が自分に辛く当たるのも、存外的外れではないかもしれないと。

 人の輪に戻る彼女の背中に祝詞を呟いたのも、余計ではなかったかもしれない。


「……俺も、次に彼女が来たら、もう一度話しておくよ。友達が心配していたと」


 今度は彼女がぱちぱちと目をしばたかせて、ふぅん、と半眼で猪口を持ち上げた。




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