13 あの日のプロポーズ (お題:ソロ○○)

「あら……」


 ゆっくりと開いた引き戸の向こうで、おっとりとご婦人が首を傾げた。

 大樹だいきがいらっしゃいと声をかけると、ムラもなく真っ白な白髪を揺らして、彼女は店の中を覗き込むようにした。


「こちら、源さんのお店ではなかったかしら」

「祖父は亡くなりました。急だったこともありまして、しばらく僕が店を預かっています」

「お孫さん?」

「はい。よろしければどうぞ。お茶でも召し上がっていってください」


 彼女はやや迷いつつも、カウンターに身を落ち着けた。

 源三と同じくらいか、もう少し若いのか。シンプルなワンピースに薄手のカーディガン、薄く紅を引いた彼女の動作はゆったりと優雅だった。

 温かいお茶を啜って一呼吸おくと、しみじみと彼女は言った。


「よく見たら、面影があるわ。ごめんなさいね。目もすっかり衰えちゃって……そう。源さんも……もうそういう歳なのよね。噂に聞いていた裏メニューを頼もうと思ったのだけど、縁がなかったみたい」

「『想い出の味』、ですか?」


 彼女は目を見開いてまじまじと大樹を見つめてから、そっと微笑んだ。


「信じているなんて、おかしいかしら。源さんのそれを食べる他の常連さんの顔を見ていたら、私もいつか食べられるんじゃないかって。食べたいものが思いつかなくて、今日まで来てしまったのだけど」


 大樹も彼女のテンポに合わせるように、できるだけゆっくりとかぶりを振った。『想い出の味』をどう再現しているのか。死者に直接聞いているとは、とても言えたものではない。

 すみません、と開きかけた大樹の口を源三の手が塞ぐ。

 『受けろ』と、他には聞こえない声が囁いた。

 まだ迷う大樹の背中をポンポンと当たるはずのない源三の手が叩く。


「もしも――任せる勇気がおありでしたら、僕が注文をお聞きしてもいいですか。祖父ほどの再現力はないかもしれませんが……その時は代金はいただきません」


 大樹の提案に彼女は二、三度目をしばたいて、ふふと笑うと、カウンターに肘をついて身を乗り出した。



 * * *



 私たちは貧乏でね。といっても、食うや食わずというほどではなく。借金はあっても、ギリギリやっていける程度だった。

 私もパートに出てたけど、どういうわけか、必要以上の蓄えは増えなくてね。余裕ができてきたと思ったら主人の勤めていた会社が潰れたり、幸い次の働き口はすぐ見つかったのだけど、落ち着いてきた頃に部下の横領が発覚したり……子供の学費にひいひい言ったり。

 結婚当初も余裕が無くて、指輪は買ったけど、式や写真は後にしようって二人で話し合って。結局そのままずるずると。


 主人はほとんど台所に立たない人だったけど、私や子供が病気の時にうどんを茹でてくれるくらいはしてくれたし、ゆで卵を作ったり、目玉焼きを焼くくらいはできてたわ。

 そんな彼がもう一つ作れたものがあって。

 初めて食べたのは、プロポーズされた時。


 「これから記念日には君と一緒に食べたい」


 って。

 言葉通り、いわゆるハレの日には必ず作ってくれた。

 こっちのお赤飯って、甘納豆を入れるじゃない? でも、私、ご飯に甘いものはちょっと苦手で。お赤飯も普通に小豆で炊いていたのよね。

 ハレの日の甘いものはごちそうっていう意識があったんでしょうね。作ってくれって言うんじゃなくて、一緒に祝いたいって気持ちがよく伝わったから、とても嬉しかった。


 ひとつ不思議だったのは、そう凝った料理はしないはずの彼がどうやってそれを作っているのか。

 最後まで作っているところも見せてくれなかったから分からないの。

 オーブンで焼きあげるということは確かなんだけど……

 味はね、フレンチトーストみたいなの。アツアツのうちに食べるのよ。

 でも、もっと柔らかくてふわふわで、アーモンドスライスが乗っていて……ココットに入っているから、見た目はプリンみたいにも見えるわね。表面の砂糖が焦げた感じなのも、カラメルみたいだし。


 主人が亡くなる前の晩にね、「俺、へそくりがあるんだ」ってその場所を教えてくれたの。急に何を言うんだろうと思ってたんだけど、朝には息をしてなくて。バタバタと葬式を終えてから、ようやくそれを思い出して確かめたわ。

 そこには、十万ちょっとのお金と、パンフレットが一冊。

 ポーズを付けた可愛らしいお嬢さんが、真っ白なウェディングドレスや白無垢を着て写ってるの。

 写真だけのウェディングは聞いたことがあったから、それを用意してたのかと思ったんだけど……よく見たら、写真は女性ばかり。お相手がいないのよね。

 表紙を見返せば『ソロウェディング』って書いてあったわ。


 若いうちにウェディングドレスを着てみたい、とか、結婚式はしたけど好きなドレスじゃなかったとか、友達同士で撮りたいとか、理由は様々だけど、ともかく相手がいなくても本格的な写真を撮ってもらえるようだった。

 ……でもねぇ。

 こんなお婆ちゃん一人で撮っても。ふたりなら、考えもしたんだろうけど。

 娘か、孫にはどうかとパラパラとめくった、最後のページ。

 すっかり力の抜けた、ところどころ震える文字でメモが挟まっていたわ。


『俺が見たい。見るまで成仏しない』


 ――あら。ごめんなさい。惚気のろけだわねぇ。

 もっと早くに言い出さなかったのも、本人はそういうの照れくさくて嫌だと思ってて、かといってそのパンフレットを差し出せば、私がふたりで撮りましょうっていうのも解ってて……

 そういう人だったから、しょうがないなぁって。

 おそるおそる連絡してみたら、お店の人はみんな親切で優しくてね。まあ、仕事だからというのもあるんだろうけど。なんだか盛り上がっちゃって。

 彼の写真と、プロポーズの時のお菓子。一緒に撮れればいいなって思ったのよ。



 * * *



 大樹がそれをスタジオに届けに行ったとき、すでに彼女の支度は整っていた。

 緩めに結い上げられた髪には濃淡の違う白い生花が飾られて、特に何もしていないという白い髪は光を柔らかく反射している。すでにその髪自体がベールの役目を担っているようで、違和感どころかとても自然だった。

 色とりどりの花が飾られた丸いテーブルには、ご主人と思われる男性の写真が乗っていた。普段着の何気ないスナップ写真だ。

 その前に、二つのココットを並べて置く。冷めてしぼんでしまったけれど、そこは仕方がない。別の日に出来立てを食べてもらって、お墨付きをもらっていた。


「来て、良かった。ありがとう。お爺さんの跡を立派に継げるわね」


 涙ぐむ彼女に大樹は苦笑する。


「いいえ。まだまだ、祖父にいますから」


 その意味が通じたのかどうか。彼女は静かに「そう」と笑って、大樹の書いたレシピを指で撫でた。

 卵と砂糖と溶かしたバター。それらを混ぜて焼くだけ。ただし、砂糖はてんさい糖を使っていたらしい。

 これを『受けろ』と言った源三を大樹は少しだけ恨む。

 こんな場面に立ち会ってしまったら、勘違いしてしまいそうだ。


 眩しいライトとカメラのシャッター音の中で、幸せそうに微笑む彼女。一瞬、若々しい女性に幻視して……

 周りで見守るスタッフに紛れて、俺の嫁は綺麗だろうと惚気るご主人が、見えた気がした。




======================


作中参考食品:卵のスイーツ

調べたのですが、うまく料理名が見つかりませんでした。

スフレのようにふわふわで、パン・ペルデュ(フレンチトースト)のような味わいだそう。160度のオーブンで30分ほど焼き上げるだけ。簡単なので、作ってみたいですね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る