14 できること、できないこと

 『居酒場いさかば 源』は不定期開店だ。毎日行くわけではないけど、思い立った時に開いていないのは悲しい。せめて予定くらいは知りたいもので。

 そう言うと、店主さんは目を眇めて頭を掻いた。

 ……何か悪いことを言っただろうか。


「あんま、大っぴらにしたくないんだが」

「そう、なんですか?」


 一見さんお断り、というわけでもないんだろうけど、どちらかというと客を歓迎していない態度に、いつも首を傾げる。


「ツイッターとか、インスタとかやればいいだろ」

「姐さんは黙っててくれ」


 奥の常連さんからかかった声にもぴしゃりと言い返す。

 電波が届かない件も、店でWi-Fiを飛ばすこともできないわけではないらしいけど、頑なに導入しようとしない。それでも良しとする客しか残らなくていいと言うのだ。

 私にしてみれば、ちょっともったいない。潰れてしまうのは、惜しい、気がする。

 ぱん、と手を合わせた音が響いた。


「あ、じゃあ個人的に連絡を交わせばいいさね。メールでも、ラインでも、なんかあるだろ」

「私は、それでもいいですけど……」


 店主さんを窺えば、案の定、溜息をこぼしている。


「もっと嫌だ。一人と交わせば際限なく湧いてくる」


 仏頂面に乾いた笑いを漏らしてしまった。ですよね……

 そこまで言われると、通うのも悪い気になってしまうのだけど、数日すればなんとなく恋しくなってしまう。親元を離れて一人暮らしだからか、他人の作ったほっとする家庭のような味に安心するのだ。


「でもぼん? わざわざ店の前まで来て、何度も「開いてない」と帰る姿は可哀想だよ?」

「えっ?」


 こちらを見て、見開いた目と目がぶつかって、なんだか気恥しくなる。そ、そんなに来てたかな? いや、でも、結局入れるのは週一くらいだし……というか、そんな姿を見られてるの? どこで?


「あ、あの……えと……そ、そんなには、来て……ない、かなぁ」

「物好きだな」

「や! あの、ごめん、なさい?」


 ぷいと逸らされた視線についつい謝ってしまう。


「ぼーん? 言い方」


 姐さんと呼ばれた女性が窘める声を上げた時、店の戸がガラガラと開いた。


「いらっしゃい」

「ひゃーん。今日は蒸してるね? 一雨来るかなぁ。……?」


 すっかりうねった前髪を引っ張りつつ、おさげに黒縁眼鏡をかけた女の人が入ってきた。そのまま店内を見渡して、ちょっと尖った雰囲気に首を傾げつつ、奥の女性のテーブルへと足を進める。彼女も常連らしい。


「……なんかありました?」

「いつものことさ。坊がね」


 ああ、と苦笑するおさげさんに、ととと、と少年がおしぼりと湯飲みを持って走り寄った。

 あれ。いつの間に来たんだろう?

 時々お手伝いしてるのを見るけど、奥の生活スペースにいることも多いのか、神出鬼没なんだよね。


「お客が増えるの、いいじゃないですか。ラムネサワーとおでんお任せでお願いします」

「開店日の予定知りたいって言うからさ、SNSでもやったらって言ったんだけどねぇ」

「あー! わかります! 私も最初はそんな感じで!」


 流れるように注文してから、こちらを振り向いて、うんうんと大きく頷いた彼女は、はたと恥ずかしそうに向こうに向き直った。


「す、すいません。急に。困りますよね」

「あ。いいえ」


 人見知りそうな彼女が常連さんと同じテーブルを囲んでいるのは、正直羨ましい。私も、いつかそんな風にできるだろうか。


「のの嬢ちゃんみたいにあたしと連絡先を交換する手もあるけどねぇ」


 ひょいと取り出したスマホを揺らして、「姐さん」は私ににっこりと笑いかけた。ドキドキするけど、はしたなく飛びつくのも悪いような気がする。そもそも、彼女はここが開く日が分かるのだろうか。からかわれているだけだったり?

 こんな時、芳枝よしえだったらどうするだろう? 私には彼女みたいな勘の鋭さはない。

 どう反応すればいいのか、ちょっと迷っていたら、店主さんが私の後ろを横切っていった。

 テーブルにどん、と乱暴にグラスが置かれる。


「いい加減にしろ。まともな客を巻き込むな」

「いや……私もまとも……」

「じゃあ、まともな客はまともに接待しろって言ってんだろ? 坊はって判ったんだから」

「……あのー……」


 遠慮のない二人の間で、おさげさんがあたふたしてる。困り切った瞳が私を見るから、私も困ったように笑うだけだった。

 次に誰かが口を開く前に、再び引き戸が開く音がする。


「お。今日はだな。しかも、なんだか華やかだ」


 にこにこと入ってきたのはロマンスグレーのおじさんで、店主さんはカウンターの一席を勧めて、中に戻っていった。

 昔からの常連さんらしいおじさんには、さすがに変な態度はとらないらしい。かといって、親しげにするわけではないけれど。淡々と事務的な対応を見ると、嫌な顔をされても素直に対応されている方がいいのかもと思ってしまう。おかしいだろうか。


「そういえば」


 頬に赤みが差して、いい感じに酔ってきた頃、おじさんは店主さんに微笑みかけた。


「君は『想い出の味』も出せるの?」


 店主さんは眉間を寄せて一拍間を開けると、慎重に言葉を選んだ。


「僕は未熟ですので、できるものとできないものがあります」

「ふぅん。そうか。源さんも出来ねえもんもあるって言ってたくらいだからなぁ。できるかもしれない、というのは希望があっていいね。おでんも引けを取らないもんな」

「……ありがとうございます」


 きゅ、と一瞬結ばれた口元をおじさんは気づかないようだった。彼はもう一杯だけ飲んで帰ろうと、注文のタイミングを窺っていた私の方を不意に向いて、徳利を軽く振って見せた。


「いやぁ。こんなに若い子が店にいると嬉しくなっちゃうね。お嬢さん、一杯だけ注いでよ」

「え……」


 こういう場所では、そうやって距離を縮めていくものなんだろうか。戸惑う私に、おじさんは椅子をひとつ詰めてきた。


「袖振り合うも多生の縁……ってね」


 ご機嫌なおじさんがずいと差し出す徳利。手に取りたくはないのだけど……常連さんの機嫌を損ねるのは、店主さんも困るかもしれない。

 ゆっくりと手を伸ばそうとした、その指先を掠めるようにどん、とウーロン茶が置かれた。


「困りますよ。うちはそういう店じゃない。まして、彼女は大事なお客です。接待されたいのなら、そういう店に行ってくれ」


 私に向けるより数倍鋭くおじさんを睨みつけて、店主さんは言い放つ。おじさんが少しひるんだところで、さっきまでおじさんの座っていた席に姐さんが腰掛けた。


「まぁまぁ。冗談さね。冗談だろう? 何なら、うちの店に来るかい? ちょいと歳はいってるかもだけど、その分サービスするからさぁ」


 ももに置かれた手を一度見下ろして、おじさんは姐さんの妖艶な微笑みに、頬の赤みの面積を増やしている。


「店を持ってんのかい?」

「雇われだよ。行くんなら、開けるけど?」


 少し考えて、おじさんは立ち上がった。


「貸し切りも、悪くないな」

「だろう?」


 その背を押しながら、姐さんは私にウィンクする。小さく上げられた手がひらひらと揺れるのを、私は少し呆然としながら見送った。

 音を立てて扉が閉まると、誰からともなく息が漏れる。


「ああいうのは、はっきり断っていいから」


 店主さんの声にハッとして、私は思わず立ち上がった。


「あ、あの。あのっ。彼女に、お礼……あ、これも……あの、ありがとうございました!」

「こっちこそ、すまなかった。他のがいいなら変えるから」


 差し出された手に首を振る。


「これでいいです。か、彼女、大丈夫でしょうか」

「ああ。心配ない。プロだ。あの程度鼻であしらう」

「本当に、お店を?」


 彼は黙って頷いた。少しだけホッとする。


「姐さん行っちゃったし、私も帰るね。お愛想してください」

「お、お騒がせしました」


 おさげさんに頭を下げると、ほにゃりと笑われた。


「酔っ払いのあしらいは、最初は戸惑うよね。落ち着くまで、ごゆっくりー」


 座るように手で示されて、恥ずかしく思いながら腰掛け直す。彼女は出ていく前にバイバイと手を振ってくれたので、ちょっとだけ仲良くなれた気がした。

 静けさが戻ってきて、烏龍茶を口に含みつつ、話題の糸口を探す。ただ黙っているのは、居心地が悪かった。


「そういえば『想い出の味』ってなんですか? 特別な一品?」

「ああ……爺さんが、常連に用意してやってた個人的な料理だ。もう食べられないような、記憶の中の味を再現する……って言われてるな」

「わぁ。お爺さん、素敵な方だったんですね」

「……ああ。そうだな」


 ふっと、少しだけ店主さんの表情が緩んだ気がした。


「分かるような気がするなぁ。このおでんもすごくホッとする味だし、お爺さんに習ったんですよね?」

「習った、というか……爺さんのレシピだ。爺さんの出した味になってるだろうよ」


 ん? と、私は首を傾げる。


「似たような味になっても、同じにはなりませんよね? これは、お爺さんの味を引き継いだ、あなたの味でしょう? 私、すごく好きです。お爺さんのおでんも食べてみたかったけど!」


 まじまじと見下ろされて、ハッとする。変なことを口走ったのかもしれない。

 慌てて烏龍茶を飲み干して、これ以上失言しないように、今度こそ私は帰るために立ち上がった。


「……ごちそうさまでした!」




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