12 お節介

 律夏りつかとの楽しいデートでに辿り着いて、彼女を驚かそうとするキャストを逆にやり込めてやろうと、私は張り切っていた。

 戦闘には相応の装備が必要でしょ?

 夜の<すすき原>の魑魅魍魎に負けないようにと、化粧も二割増しにして本腰を入れた。

 のに。

 素直に開かない、ガタガタいう引き戸を開けた、その先にいた男に、不覚にも私の足は止まってしまった。

 店は暫定的に開けているだけなので、料理の種類は多くないとか、そんなことを聞いた後は半分上の空で過ごしていた気がする。律夏ご推薦のおでんの味は、確かに美味しかったのだけど。


 数日後、というか、次の営業日まで私は頻繁に店に足を運んだ。

 律夏がいないところで話をしたかった。律夏に怪しまれないように、帰る時間は均等にならないようにして、本当は毎日店の前で待ち伏せしたかったくらいだ。

 今日は、奥の席に赤い着物の女性が座っているだけで、他の客は誰もいない。店主は私の顔を覚えていないのか、相変わらずの仏頂面のまま、ごつい湯のみを私の前に置いた。


日野原ひのはら 大樹だいきさん」


 彼の手がピクリと反応したのを確かめて、改めて顔を見上げる。


「……ですよね?」


 彼は仏頂面のまま、肯定も否定もしなかった。


「……あなたは?」

「小森芳枝よしえ。前回、友人に連れられて来ました。出禁の男に電話するのを止めた女性を覚えてますか?」


 ああ、と呟いてから、店主は眉をひそめた。


「彼と、知り合いで?」


 慎重に言葉を選ぶ様子は、接客に慣れていないわけではないと確信する。


「いいえ。男の方はどうでもいいんです。できるなら近づきたくない相手なので、別に彼に耳うちしようとかは思いませんから、安心してください」

「……そう、ですか」


 彼の表情に安堵は見えない。どちらかというと、興味がないという反応だ。なんだか腹立たしくなってくる。律夏の運命の人は、本当にこんな朴念仁なのだろうか。


「私たち、広告代理店で働いてます。私は五年ほど前に何軒かの洋菓子店を担当しました。ホテルとの繋がりもありますから、そっちの業界のことはある程度把握してます。どうして前職を辞めてるんですか? ここが悪いと言う訳じゃないですけど、よほどの理由があったということですか?」

「失礼だが、あなたにそう言われる理由がよくわからない。あなたは以前も今も俺の客として店に来たことはないはずだ。辞めたと言い切るなら、調べたのか?」

「確かに、店に足を運んだことはないです。でも、十年くらい前、いくつかのコンクールで名前を見ました。優勝までは行かなかったけれど、常に何らかの賞には入ってたじゃないですか。有名ホテルや名の知れた洋菓子店を経て、独立まで行けたのに……」


 店主の眉はいっそう顰められる。


「どうして……そんなことまで」

「あー。信じてもらえるか判りませんけど、私、勘が鋭いというか。当時からやけに目に付く名前だなって何の気なしに追ってたんですよ。きっと有名になる人なんじゃないかって……店を出してからは、名前を見る機会も減りましたけど。それが、こんな形で会うことになるなんて」


 ふっと彼は口元を歪めた。


「へぇ。運命の出会いだって?」

「はあ? 残念ですけど、あなた自身にはこれっぽっちも興味無いので。ただ……友人が、ちょっと心配で」


 友人と聞いた店主は、ひとつ、長いため息をついた。


「ずいぶんお節介だな。大丈夫だ。黒歴史を自ら吹聴したりしないし、客に手を出すようなこともしない」

「……ですよね。そういうスキャンダルは一切なかった」

「……どこまで調べたんだ」


 追えた分は、全部。だから、余計解せなかったのだ。

 大きく傾いた経営ではなかった。ネットでの評判もそこそこだった。突然店を閉めて、それきり。

 しばらく、店主はカウンター台に指先をリズミカルに落としていた。


「その友人を……来させなければいいんじゃ?」

「律夏の行動を制限するようなことはしません!」

「客が来なけりゃ、俺もここに立たなくていいんだが」


 投げやりな言い方に、思わず視線が鋭くなってしまう。


「じゃあ、どうして店を開けてるんですか!」

「頼まれたからさ。辞めたのは俺の意志だが、開けたのは俺の意志じゃない。爺さんの遺言みたいなものだ。やらなきゃ祟られる」


 プ、と奥で女性が吹き出した。


「お爺さん? 身内の方だったんですか?」


 店主は黙って頷いた。

 半分ほどは疑問が解けた。それでもまだ納得がいかない。


「ずいぶん、信心深いんですね」

「そりゃ……」


 言いかけて、ちらりと横をみた瞳は、すぐに戻ってきて伏せられた。


「まあ。世話には、なった、から」

「じゃあ、なんでそんなに投げやりなんですか。やると決めたのなら、ちゃんとやり通すべきでは? そんな男に律夏を近づけたくもない!」

「あんたなぁ。友人思いも度が過ぎてるぞ? その友人がまともなら、俺なんか眼中にないだろうよ」

「だって! こんな怪しい店、ひとりで通いたがる子じゃないんだもの。料理が気に入ったって言うけど、何かに引き寄せられてるみたいにっ」


 店主は意味ありげに赤い着物の女性に視線を向けたけど、女性は「知らないよ」と笑う。


「意味が解らない。料理云々なら、爺さんの料理だ。俺の料理じゃない」

「どういう意味?」


 店主はイライラと舌打ちをする。


「ともかく! 通わせたくないなら、あんたが止めればいい。俺は客以上の関りを持つ気も、持ちたくもない」

「なんですって!? 律夏は私と違っていい子なんだから!」


 気に食わない。気に食わない。

 律夏の幸せは、律夏しか掴めない。そのために私ができることは、ものすごく少なくて……


「ああ、そうかい。どうしろってんだ。で、注文は? ないなら、帰ってくれ」

「ビール!」


 食い気味の注文に、彼は少々面食らって、二割増しの仏頂面のまま、ジョッキにビールを注ぐのだった。




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