10 おばけ居酒屋 (お題:「ホラー」or「ミステリー」)

 そんな、ばかな。

 ジジイが死んだのは、俺のせいじゃない。俺は地上げを頼まれただけで……ジジイに指一本だって触れちゃいない。投げつけた湯飲みだって、ちゃんと当たらないように外したんだ。

 目の前で倒れられて、面倒だからって通報しなかったのは、確かにちょっと後ろめたくなくもない。

 だけどよ、あの場には他の客もいたじゃねぇか。

 作業着着たヤツと赤い着物の女。ガキも。


 あれから毎晩、誰かが来た。

 どこで眠ろうとも、誰といようとも、うとうとし始めると、必ず。

 暗がりからひたひたと誰かがの上を歩いてくる。時々ギシと軋む音がリアルで、おれは古い木造の家で横になっている気分になるんだ。

 見たくもないのに、薄目を開けて肉の削げ落ちた老人の足を

 初日は遠かった。3mほど向こうに立ち止まってた。

 怖くねえぞ。死んだやつにゃあなんにもできねぇ。俺を恨むのは筋違いだ。鼻で笑ってた。

 それが。

 奴は来るたび近づいてくる。2m、1m、50cm……鼻先。

 うとうとするたび。一晩に何度も。昼間でも、なんだかぼうっとなった頭は、影の濃い隙間に、皺々の手や足を見る。

 突然奇声を上げ、何もない隙間にこぶしを突き入れ始める。そりゃ、恐いよな。若い奴らに寺に連れていかれた。


 なあ。それなのに、なんでまだ来るんだよ。

 煌々と白い明かりの下、部屋の隅でナイフを握りしめた俺の前に見慣れた足。眠れてしまえば、気を失ってしまえば、見なくて済むのに。

 心臓の音が耳の中で脈を打って、何かが限界を超える。


「ぅ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ナイフを振り上げ、躍りかかろうとした俺の頭を、裸足の足が踏みつけた。

 あっけなく倒れ込み、床に押し付けられ、ギリギリと骨のきしむ音に交じって何か聞こえる。水分の足りない口がねちゃりと開く音。生ぬるい、まとわりつくような湿った呼吸。


 ――…………らぁ……し……ぃぃぃ…………やぁ……ぁぁぁぁぁ……


 間延びして、途切れ途切れの言葉は何度繰り返されても意味をとれない。耳を塞いでも、まるで耳の中に口を突っ込まれたみたいに、いつまでも響いている。

 気付けば念仏のように延々と「ごめんなさい」を繰り返していた。




 ふらふらと、おぼつかない足取りで歩いていた。

 眠たくて、眠りたくなくて、ただ足を動かしていたんだと思う。


「あなた」


 ふと、声をかけられた。立ち止まり、緩慢に頭を向ける。

 路上占いの男が、こいこいと手招きしていた。辺りを見回し、街中のアーケード街だとようやく認識する。


「あなた、眠れてないでしょう。ここに行ってごらんなさい」

「……は?」


 渡されたカードには鳥居の写真。


「お節介だから、捨ててもらっても構わないが……」


 肩をすくめる男は、それで口を閉じた。

 提携でもしてるのか。頭の片隅でそう思ったものの、金を払えと言われた訳でもない。裏の住所を確かめると、ポケットに突っ込んで手の中でくしゃりと丸めた。

 タクシーに乗り込んだのは、踏みつけられ始めて3日目のことだった。



 * * *



 うとうとするタクシーの中で、骨と皮の身体は隣に座っていた。

 それが、神社に着くと少し気配が離れた気がした。気がしただけかもしれない。もう、自分の感覚をあまり信用できなくなっていた。

 来てみたものの、どうすればいいのかよくわからない。形ばかりお参りして、社務所の扉を開けてみる。お守りやお札を売っているところに男性が一人見えた。

 顔を上げたその男は、神職にしては目つきが悪く、さらに俺にざっと視線を走らせると小さく舌打ちをした……ような気がした。


「お祓いですか」


 こちらが返事をする前に、紙とペンが用意される。言われるままに金を払って、別の場所に案内された。祝詞を上げてもらって戻ると、受付けをした男が私服で待っていた。


「行きますよ」

「……は? おい……」


 先に歩き出す男に、つられるように歩き出す。訳が分からない。


「おい、どこへ」

「どこかは知りません。あなたがここへ来ることになった原因の場所ですよ。連れて行ってください」

「そこでも、あれをやるのか?」


 白い紙がついた棒を頭の上でバサバサと振る様を思い出す。


「しませんよ。俺はバイトだから。でも、ソレは終わらせられる」


 指された指の先を追いかけて、乾いた皮膚が見えた気がして、慌てて目を逸らす。

 気味が悪かったけれど、それ以上追及する気も起きなかった。終わるのなら、願ってもない。

 黙ってまたタクシーを拾って、〈すすき原〉のとある場所までと、行き先を告げた。




 灯の入っていない赤ちょうちんはあちこち破れ、主のいなくなった木造の建物は傾いて見える。まだ夕方だというのに、周りをビルで囲まれているこの場所は闇に埋もれるのが早かった。どちらかというと、そこから闇が染み出しているような。

 お化け屋敷もかくやというような佇まい。その闇がこごった窓の向こうで、なにかがぞわりと動いたような気がした。足が怖気づく。

 ついてきた男は感じているのかいないのか、仏頂面のまま、力任せに引き戸を開けた。中を覗き込んで、眉をひそめて、こちらを振り返る。


「この土地、もう触らない方がいいですよ」

「……はぁ?」

ですから」


 男の背後から、骨と皮だけの腕がぼうっと浮かび上がる。

 顔を引きつらせると、男が振り返り、その手も消えた。


「だ、だが……」


 パアン!


 目の前で打たれた柏手かしわでに、びくりと身体が跳ねる。


「今のうち、早く離れた方がいいですよ。きっとよく眠れます」


 口調とは裏腹に鋭く睨みつける瞳に、思わず踵を返して駆け出した。

 そのまま、どこをどうしたのか家まで戻り、玄関を開けた瞬間、耳元で声がした。


 ――モウクルナ


 とたんに心臓に痛みが走り、俺はそのまま意識を失った。

 次に目が覚めたのは病院のベッドの上で、たまたま様子を見に来た後輩が救急車を呼んでくれたらしい。「びっくりしましたよー」なんて、笑い話にしてくれてる。

 それからは、老いた手や足を見ることは無くなり、ちゃんと眠れるようになった。あの土地からは手を引いたから、次に誰のものになったのかは知らない。

 時々、若い者の間でおばけ居酒屋の話題が出るけれど、できるだけ関わらないようにしている。また、闇の落ちる隙間に老いた足が見えるような気がして。


 安眠のためには、些細なことだ。



 * * *



「やりすぎだ」


 明かりのない店内で、男は大きなため息をついた。

 老人の亡者の姿をしたものは、ゆらりと空に溶けると狐の姿になった。


「だって、あいつここを取り上げようとするから!」

「店の主人がいなくなったんなら、仕方ないだろう。おとなしく出ていけ」

「まだいるもん!」


 狐の尻尾が差すカウンターの中には、ぽりぽりと頬を掻く店主、源三の姿があった。


「成仏しろよ」

『どうもなぁ。おれもどうしたもんだか』


 ちっ、と舌打ちが響く。


「こんなことを続けてると、もっと悪いもんも溜まるぞ」


 狐狸妖怪が通っていて、今まで何もなかったのは、源三の提供してきた『想い出の味』のおかげだ。そのおこぼれを頂いていた彼らは、嫌な雰囲気を纏うことはなかった。悪い感情や恐怖は同じものを惹きつけて生み出す。


「だから、あんさんを連れてきてもらったんだろう?」


 赤い着物の女が、流し目で男を見つめる。


「源さんの声を聞いて、源さんの料理を作れるのは、孫のあんさんしかいないじゃないか」


 男はつと視線を落とし、眉間に皺を寄せた。


「俺は……」

『畑が違うって言うんだろう? わかっちゃいるが、お前でダメならどうしようもねぇんだ。バイトがひとつ増えるだけだと思って、しばらく頼まれてみちゃくれねえか』


 もう一度、男の口から深いため息がこぼれ落ちる。

 何も入っていないおでんの鍋の中で、菜箸が転げて、小さく音を立てた。




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