3 友達とクラスメイト (お題:スマホ)

「源さん、誰かの忘れ物」


 カウンターの端っこに黒いスマホを見つけて持ち上げた。とたん、それは手の中で震えだす。ブーブーいいながらチカチカする光に慌てて、源さんに投げ渡してしまった。

 源さんが受け止めるとスマホはぴたりと鳴りやんだ。


「……ここは電波入らないんだがなぁ」


 首を傾げる源さんが、カウンター台にそれを乗せる。そういえば、この店にいるときにスマホをいじっている客を見たことがない。いい年のオヤジが多いせいかとも思っていたけど、違う理由もあったらしい。

 そうなんだ、と相槌を打ったところで、またそれが震えだした。

 源さんが手を伸ばす。持ち上げて、しばらく画面を眺めると、裏返したりしだした。


「何やってるんですか。出ないんですか?」

「……どうやって出るんだ?」


 操作がわからないらしい。見つめ合っているうちに、震えは収まった。

 もう一度置かれたスマホは、三度鳴り出した。源さんは肩をすくめて、僕にちょっと笑う。


「すまんが、出てくれねぇか。本人がかけてきてるんだと思うからよ」

「いいですけど」


 他人の電話に出るのは少し緊張する。画面をスワイプして耳に当てると、ガラガラのどら声が聞こえてきた。


『源さんかぁ?』

「あ、いえ。違いますけど、源さんの店です」

『んん? 源さんいねえのか』

「いえ。いるんですが……出方がわからないと」


 がっはっは、と漫画のように笑う声がうるさくて、思わず耳からスマホを遠ざけてしまう。


『じゃあ、あんたがいてくれて良かったなぁ。明日取りに行くから、預かっててくれって伝えてくれ』

「わかりました。伝えます」


 通話を切る直前、ガタガタいう音と、数人がガラ悪く争う声が聞こえてきた。

 それで思い出す。時々、カウンターの端っこで、派手なシャツ着て顔に傷のある男が、ひとり静かに酒を飲んでいたのを。

 あの人、やっぱりそっちの人間だったのか……

 人は見かけで判断しちゃいけないと思っていたから、なんだか残念な気持ちになった。

 ここで騒ぎを起こしたり、他の人に絡んだりしたところを見たことはないのだけど。


「明日取りに来るそうですよ」

「そうかい。ありがとよ」


 源さんにスマホを渡そうとして、まだ手の中にあるうちに、もう一度それは震えた。源さんは苦笑いして、出ろとジェスチャーする。違う人からだったら嫌だなと思いつつ、僕はもう一度画面をスワイプした。


『おーい。今出てくれたやつ! 源さんに礼をもらってくれ!』

「礼?」


 繋がったとたん叫ばれて、そのままブツリと通話は切れた。

 口を開けたまま、スマホと源さんを交互に見る。彼にも聞こえていたはずだ。


「礼って、なんですか? 僕、別にいりませんから……」


 面倒くさいことになるんじゃないかと、及び腰になる僕の手からスマホを取り上げると、源さんはカラカラと笑った。


「大したもんじゃねーよ。それに、この店に来れるやつはそんなに悪い人間じゃねぇ」


 立地の妙か、年の功か。源さんが言うなら、そうなのかもしれない。

 テキパキと動いて、源さんは冷蔵庫から何かを取り出した。皿に少し取り分け、スプーンを添えて目の前に置かれる。淡い蜜色のそれの横に、駄菓子屋で買ったせんべいが添えられた。

 呆気にとられる僕に、源さんは真面目な顔で「礼だ」と言う。


「このくらいなら、気に病むほどでもねえだろ?」


 にっと笑う源さんに、小心を見透かされたようで、僕は頭を掻いた。


「どうしてこれが礼なんです? 彼の好物とかですか?」

「これはあの男の『想い出の味』なのよ。他人には、なかなか出せねえもんだ」

「……あっ。えっ……」


 噂には聞いている。常連客が望めば、思い出の中の懐かしい味を再現してくれることがある、と。確かにそれは他人では食べられないものだ。

 目の前に置かれたものは何の変哲もないものだけど、そう聞くとものすごく貴重な気がしてくる。

 神妙な気持ちでせんべいを手に取り、とろりとした蜜色のものを掬って乗せた。

 ツン、と酸味を思わせる香りが鼻をくすぐる。


「梅ジャム、ですか?」


 駄菓子の梅ジャムは赤色だった記憶が。あれ? いや、待てよ。昔、赤くない梅ジャムを……

 つらつらと考え事をしながら、ジャムを挟んだせんべいを一口齧る。

 サクッとした歯触りと、その向こうから爽やかな酸味があふれてきた。梅の香りが鼻に抜けて、唐突に鮮やかに記憶が甦る。



 * * *



 ごとん、とノートを探していた鞄から机の上に電話が滑り出て行った。

 全面液晶のようないわゆるスマホ。当時はまだガラケーが主流だったから、目立ちたくなくて鞄の中に押し込めたままだった。

 当時そこそこ仲良くしていた篠崎が、それを見て目を丸くする。


「竹田、変わったの持ってんな」

「あー……父さんが関連会社で働いてて……」


 延ばされる手の前に、探し当てたノートを差し出して、そっと電話を鞄の中に戻そうとする。篠崎が動きを止めたので、ちょっと気を悪くしたかなと視線を上げたら、背後に誰かの気配を感じた。

 気配は遠慮なく近づいて、僕の肩など抱く。


「竹田ぁ。珍しいもの、持ってんじゃん?」


 何かとお騒がせ者の門馬だった。同じ中二なのに、体はがっしりと大きく、高校生や大学生と間違われることもあるらしい。授業中でも「飽きた」と勝手に出て行ったり、他校の生徒と小競り合いを起こしたり、自由奔放だ。さっきまで机に伏して寝ていたと思ったのに。


「俺、今日暇なんだよ。なあ。たまには一緒に遊ぼうぜ」


 にやにやと、篠崎を見ながらそう誘う。篠崎は少し眉をひそめて、用事があるから、とそそくさと行ってしまった。

 どちらかといえば、真面目グループに属する彼は、門馬みたいにあれこれ噂のある人物とは近づきたくないらしい。

 僕も自分から近付こうとは思わないけれど、声をかけられる分には普通に接していた。彼は声は大きいけれど、理不尽に怒鳴り付けたりはしなかったから。

 それでも遊びに誘われるのはなかったことで、やっぱり新しい電話を見たせいなのかとドキドキする。


「……遊ぶって、何して?」


 鞄を閉めながら緊張気味にそう聞くと、門馬は少しの間僕をじっと見てから、うーん、と首を捻った。


「竹田は麻雀やらねぇよな? ……バッティングセンター?」

「僕お金持ってないよ?」

「だーいじょうぶだって!」


 自信満々の門馬について行くと、どうやらそこのおじさんと顔見知りらしく、一定数球拾いをすれば一打席遊ばせてくれるということだった。

 初めての僕は掠らせるのもやっとだというのに、門馬はいい音を響かせて飛ばしている。結構楽しんで、おじさんにお礼を言ってそこを出た。

 そのまま帰るのかと思いきや、門馬は家に来いと言う。

 多少の不安はあったものの、バッティングセンターも面白かったし、まあいいかとついて行った。途中、駄菓子屋によって、でソースせんべいを買った。おばちゃんは「もう来るな」と拳を振り上げたけど、笑っていたので本気じゃないんだろう。


 門馬のうちは木造の古いアパートだった。お婆ちゃんがいるというが、奥の部屋からめったに出てこないらしい。

 冷蔵庫からジャムの瓶を取り出すと、彼はせんべいをテーブルの上にぶちまけた。


「婆ちゃんのジャム、うめぇんだ」


 そう言ってジャムを挟んだせんべいを僕にくれる。鼻を近づけると、梅のいい香りがした。


「……電話、見せてくんねぇ?」

「いいよ」


 さらりと言われたので、僕もさらりと返していた。鞄の中からスマホを取り出して、彼に差し出す。ボタンがないことに戸惑う彼に、横から手を出してホームボタンを押した。


「おお!」


 右に左にフリックして、それだけで感嘆の声を上げる。

 「ありがとな」と返ってきた本体を受け取って、ゲームを立ち上げた。本体を傾けてボールを転がすやつだ。門馬に差し出すと、戸惑いと好奇心の両方を丸出しにしている。


「いいのか?」

「少しなら」


 彼が体ごとスマホを傾けている間に、僕はすっぱ甘いジャムのせんべいを美味しくいただいたのだった。




 それから、学校でよく声をかけられるようになった。どうしてか篠崎といるときが多くて、だんだん篠崎は疎遠になっていった。でも、遊びに誘われたのはあの日だけ。

 門馬が停学になったと噂で聞いた時、同時に篠崎の転校も知らされた。

 篠崎は友人の携帯電話を、うっかりを装って故意に落としたり、水没させていたらしい。親たちの間でやり取りされる情報を僕も傍で聞いていた。


「自分が持てないのが悔しかったのかもね。あんたも、見せびらかしたりしてないでしょうね?」

「してないよ」


 反論して、ふと、門馬は知っていたのかなと思った。なんとなくだけど。

 停学のまま、門馬も戻ってこなくて、僕の日々だけは変わりなく続いた。



 * * *



 あの日の懐かしい味が本当にそうなのか確かめたくて、次の日、僕は源さんの店で待った。けれど、来たのは髪を染めた若い男で。

 少し涙ぐんでるその人にスマホとお土産の袋を渡して、源さんは黙って微笑んだ。

 まるで、彼が来ないのを知っていたかのように。




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作中参考食品:梅ジャム

駄菓子の梅ジャム。「梅の花本舗」が出していた元祖梅ジャムはすでに生産終了しています。ただ、似たような赤い梅ジャムは別のところでも作っているようですね。同じく駄菓子のミルクせんべいにつけて食べるのが一般的でした。「水曜どうでしょう」の対決列島で魔人がやられてた酸っぱさ。

作中の梅ジャムはお婆ちゃんの手作りで色は蜜色ですね。

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