第34話(終)

 桜の花びらが散る道を進む。暖かい風が頬を撫でた。彼女に会うにはこれ以上ないくらいの天気だ。小春はそう思った。

 華々しいデビューから3年が経った。小春は、芝居を続けていた。

 あの舞台の後、ありがたいことに役者として高い評価をもらった。そのおかげで次々に新しい作品が決まり、忙しい日々を送った。そして今もなお、その生活は続いていた。巷では若手女優の中で最も勢いがあるとまで言われているが、そんなことはないと小春は思っていた。

 今日はそんな忙しない日々の中の休演日だ。報告に来たのだ。

 石畳を抜け、その人の元へ向かう。目の前まで来ると、その人は静かに迎えてくれた。

 春の光を浴びながら、煌めく石に刻まれた橘の文字。

「お久しぶりです。八千代さん」

 小春は微笑んで言った。

 八千代の最後の舞台の後、彼女の引退は大々的に報じられた。しかし、それも1ヶ月も経てば徐々に薄れ、その勇退を誰もが讃えた。

 その後、彼女は時折舞台を観に来てくれた。しかし、挨拶には来ず、舞台が終わった後に連絡をくれるだけだった。それだけでも、十分励みにはなった。

 しかし、徐々にその連絡も少なくなった。身体の具合が徐々に悪くなったのである。その内劇場へ足を運ぶことも難しくなり、最後に会ったのは彼女の自宅だった。

 彼女が言っていた。

「元気になったら、また観に行くからね」

 その度にええ、もちろんですと答え、その時をずっと待っていた。けれど、それは実現しないまま、約束は果たされないまま彼女は逝ってしまった。

 それから1年が経った。

 墓石に水をかけ、綺麗にしてやる。彫られた橘の文字に水が流れていく。

「今日はいい天気ですよ。あったかくて、桜もこんなに咲いてる」

 もちろん、応答はない。けれど、頷いているような気がした。

 花を供え、手を合わせる。言いたいことも、聞きたいこともたくさんあるのだ。

「あ、そういえばこの前、静香さんとまた共演したんですよ。今度は静香さんの主演舞台に私がお邪魔させてもらって」

 彼女はあの後、主演として舞台を張ることが多くなった。その実力が認められたのである。加えて、テレビにも引き続き多く出演し、その歌声や芝居を通して舞台を広めている。

「この前なんか、篠田さんとテレビで対談特番組まれてましたよ。『同期の彼らが歩むそれぞれの舞台』っていうテーマで。正直羨ましいですよ」

 篠田は引き続き舞台に立ち続けている。最近はその外見に寄った役だけではなく、かなり難しい役も多く演じるようになった。この前演った囚人役はフィクションだとわかっていてもなかなかに心にくるものがあった。

「それから知世さん。ちょっと前にお子さんが生まれたみたいで、私も会いに行きたいんですけど、なかなか機会がなくて...知世さんから連絡は来てるんですけどね」

 小春ちゃんの子守唄をぜひうちの子に聞かせてほしいという少し不思議な連絡が度々来る。もちろん会いたい気持ちはあるのだが、如何せん時間が取れない。小春自身の時間もそうだが、知世も母になってもその創作活動の手は止めていない。とてつもないバイタリティと育児に積極的な旦那さんのおかげである。

「そうそう、だからあの黒木さんがおじいちゃんになったんですよ。少し不思議ですよね...孫を溺愛する黒木さんなんて想像できないですよね?」

 あの強面がどう孫の前で崩れるのか、それはそれは楽しみでしょうがない。どうせなら、黒木がいる日に遊びに行こうか。

「...黒木さんも、またお芝居を始めてくれましたからね」

 あの舞台の後、確か八千代のニュースが一通り過ぎ去った後、新作舞台に出演するという知らせが出た。10年以上舞台を離れていた人が戻ってくるのだ。それはニュースが刷新されるはずである。

 静香から聞いた話によると、あの舞台に触発されたとかされてないとか、曖昧な返事をされたらしい。けれど、静香は私たちのおかげだ、と言っていた。真偽はわからないが、信じたい方を信じてみようじゃないかという結論に至った。

 春風が吹く。

 ひらひらと花が舞う。

「そうだ。彼女たちの話もしないといけないですね」

 話さなければならない人たちはまだいるのだ。

「後藤さん、後藤栞さんっていましたでしょう?彼女、少し前からバラエティ番組でよく見るようになって...すごいですよ、去年の下半期の出演本数でランキングに入ってました」

 彼女はあの後、当分は進退に迷っていたようだった。というのも、あくまで噂の話だが、彼女は女優に特に深い思い入れはなかったらしく、表に出られればなんでもよかったという。よってオーディション後に女優やらアイドルやら色々場数を踏んだ末に、バラエティという場所へたどり着いたらしい。噂の真偽はよくわからないが、彼女がテレビで活躍している姿に嘘はないような気がする。

「それから渋谷さん。彼女、今度アメリカの方で映画に出るみたいです。一言しかセリフがないとは言ってましたけど、それでもすごいことですよね」

 なんでも、オーディションを勝ち抜いて掴んだようだ。正真正銘、彼女の実力でその役を勝ち取った。まだ18だというのに、本当にすごい人だ。

 彼女と小春の関係性は少し前、初舞台が終わって少し経った後にテレビ番組で共演した時に声をかけられた。

「杉野小春さんですよね」

「あ、はい。渋谷さんですよね、オーディションのとき一緒だった...」

「...覚えててくださったんですか...!感激です。お願いします、連絡先を教えてください!」

「え!?あ、はい!」

 彼女はクールで少し冷たい感じなのだと思っていたが、意外とそんなことはなくて、むしろ年相応で安心した。初めて二人きりで会った時は一時間近く『STAGES』について語られた。嬉し恥ずかしの一時間だった。それから彼女とは日々連絡を取り合う中である。

 今、誰もがそれぞれの舞台に立っている。

 形は違えど、それぞれが、それぞれの場所で。

 誰もが、人生という舞台の上で。

 そして、小春も。

「私、今日休演日なんです。今、結構大きな舞台に出させてもらってて」

 墓石の前に花びらが舞う。

「あれからいろんな舞台に立たせてもらいましたけど、やっぱりどれも全部大切で...でも」

 長い髪が後ろで揺れる。本当に心地いい風だ。

「八千代さんに、観てもらいたかったな」

 きっと、静香も篠田も、みんなそう思っている。観て欲しかった、見届けて欲しかった。別れはあまりにも早すぎたのだ。

 八千代の訃報が出た時、誇張表現ではなく実際に日本中が嘆いた。それほどまでに彼女の存在は大きかった。

 けれどもう彼女はいない。嘆こうが叫ぼうが、彼女は戻ってこないのだ。

「八千代さん今何してますか。和彦さんと仲良く過ごしてるんですかね。でも、たまには舞台、観てくださいよ?」

 せっかく二人で過ごせるのだから、それを邪魔したくはない。けれど、やっぱり彼女には観ていてほしいのだ。

「それか...もしかしたら、向こうに行っても八千代さんは舞台に立ってるんですかね...」

 小春は八千代を見つめる。線香がゆらゆらと風で揺れている。

 彼女こそが女優。彼女こそが舞台だった。

 ならば、きっと彼女は今でも。

「それじゃあ、私はそろそろ行きますね」

 小春は立ち上がり、大きく伸びをした。肺に春の空気が入ってきて気持ちが良かった。

 帰る前にもう一度墓石の前に立つ。ひらひらと桜の花びらが落ちてくる。その一枚が、墓石の上に落ちた。

 小春はそれを除けようと手を伸ばしたが、もう少しで手が届きそうなところで手を止めた。

「...八千代さんには、桜が似合いますもんね」

 春風が吹く。

 線香から立ち上る煙が、ゆらゆら揺れた。

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STAGES 一日二十日 @tuitachi20ka

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