インターホンの島

吾妻志記

インターホンの島

 視界のどこにも海しか入らないようなところにインターホンがあるのを知っていますか?

 一見すると何の変哲もない、ただのインターホンが確かにそこにはあるのです。あなた方がいらっしゃる陸地から海を眺めてみてください。空の青と海の青が交差するところがありますね?大体、そのあたりです。

 一昔前はカメラなしのインターホン、さらにその前は電話だったと言いますが、今はしっかりとカメラが搭載されています。

 カメラ、LEDライト、スピーカー、マイク。それから、呼び出しボタンのついた至って普通のものです。

 その場所へ行き、ボタンを押してみてください。私共のところへ繋がります。

 ただし、条件が四つ。

 一つ目、一人で来ること。例外はありますが、基本的には繋がりません。

 二つ目、夜であること。

 三つ目、新月の日であること。

 四つ目、干潮のときであること。

 これらが揃っていない場合、こちらからの応答はございません。しかし、一つ目の「一人で来ること」というものに関してはお子様と体の不自由な方は例外となります。

 満点の星空とともに皆さまをお迎えいたします。一晩を星とともに過ごせば、心の寂しさも薄まることでしょう。


 一定のリズムで上下する波を一枚の櫂が割る。黒に近い碧の海が激しく波立った。

 月明かりのない海の上に一つのライトが光っている。ライトが作り出すおぼろげな人影はあたりに見渡した。何かを探るように、光を左右に向ける。

 光の道が水面に出来る。何かの細い影をはっきりと作った。

 人影の手が速まる。重い水をかき分け、白波を立てながら小舟はその影を目指した。

 船先が砂浜に乗り上げる。人影はおもむろにその陸地に上がった。

 懐中電灯で辺りを照らす。そこは畳二畳分の島とも呼べないような陸地で、たった一つインターホンが立っている他は何もない。

 人影はインターホンに手を伸ばす。

 ピーンポーン

 ごく普通の音が鳴り、同時にライトが付いた。その光に照らされたのは十五、六歳ほどの少年だった。

「川本颯太です。祖母を探しに来ました。」

 少年はインターホンに向かって話す。緊張しているのか、声が震え気味だ。続けて少年は祖母について語りだす。

 小さい頃してくれたこと、旅行のこと。思い出したものを順にポロポロと話す。

「優しかった。今でも時々忘れるんだ。ばあちゃんはまだ生きてるって、思うんだよ。五年も前のことなのに、実感がなくて…。たぶん、最期に会えなかったからかなあ。」

 少年は手に持っていたココア缶に口をつけて一口飲んだ。缶を砂に置いて、その目を空へ向ける。先を促すように星が瞬いていた。

「僕にはもう、じいちゃんもばあちゃんもいないんだ。父さんの方のじいちゃんばあちゃんには会ったことないし、母方のじいちゃんは僕のことを忘れちゃったから。」

 途端に少年の顔が歪んだ。インターホンから顔を背け、左手に持っていた懐中電灯を消す。

「父さんも母さんも忙しいんだ。僕ももう高校生だからね。でもさ、泣くな、頑張ってと言われても、折れちゃうこともあるんだよ。」

 少年のやや長い前髪はインターホンから少年の顔を隠す。潮騒が相槌を打つ。

「ばあちゃんに会いたいよ…。」

 頬を伝った水の粒が、乾いた砂の上に落ちる。

「では、川本様。星を見上げてください。ちょうど今夜は空気が澄んで、よく見えます。」

 少年は指示通りに顔を上げる。今更気づいたのか、星の多さに目を丸くした。

「次に目を閉じてください。しっかり瞑ってくださいね。それから、十秒数えます。」

 一、二、三、四…。

「数えられましたか?では、目を開けてください。」

「うわあ、」

 少年は思わず吐息を漏らした。暗闇に目が慣れたおかげでさあに多くの星が見える。

「どれか心惹かれる星はありますか?迷って決めてはいけませんよ。意味がなくなってしまいます。」

 インターホンの声が穏やかに続く。

「ありましたか?」

「うん。」

 少年は右手で空を指さした。

「良かったです。しっかりと心に刻んでください。それが、あなたのおばあさんです。」

 少年はかすかに微笑んだ。

 少年はしばらくして帰っていった。懐中電灯の光が水面を泳いで、消えた。

 この場所は静かだ。だから波を漕ぐ音はよく聞こえる。

 また誰か来たようだった。

 明かりも持たないその人は、完全に黒溶けている。手探りで砂地に降りると、これも手探りでインターホンを押した。

 ピーンポーン

 ライトが照らしたのは、七十代くらいの男性だった。寝間着姿だ。

「思い出せないんです。」

 老人はインターホンを真っ直ぐ見る。それから経緯を語り始めた。

 老人には三歳の孫がいるという。可愛くて可愛くて仕方がない。甘やかすと娘に怒られる。

 しかし、最近は遠方にいて会えない。暇と運動不足の解消のために散歩を始めたら一人の少年と出会った。

「儂の孫と同じ名前ででな。日に焼けたいい顔をしていた。」

 老人は顎を撫でる。そこまで楽しそうだった表情に影がさした。

「その子は儂の腕を強く掴んで言った。『こんな時間に何してるの?みんな心配してるよ』と。」

「こんな時間も何も、昼だったよ。それにその子とは初めて会ったんだよ。」

 結局、何故か息を切らして娘が来て家に帰ることになった。それから散歩のたびに少年に会うようになった。

「その子の顔はどこか寂しげだった。それを見ていると、こちらまで悲しくなっていく。何故かはわからんが。」

 目を砂地の方へ向けて老人は微笑んだ。

「何かを忘れている気がする。あの子について、儂はなにか知っている気がするんだ。」

 インターホンの方に一歩踏み出して訴える。

「星空を見上げてください。」

 インターホンの声に老人は頭を上げた。ゆっくりと息を吐く。

「次に目を閉じ……。」

 プツッと切断音がして、インターホンは黙った。老人は驚いてインターホンを見る。ライトも消えている。

「じいちゃん、何してるの?」

 老人が振り向くと、懐中電灯の光の奥に舟に座っている少年が見えた。

「おお、颯太くんじゃないか。」

 老人は笑顔を見せた。少年の顔がぱっと明るくなる。

「思い出したの?じいちゃん。」

「思い出すも何も、君は颯太くんだろう?儂にも同じ名前の孫がいてな…」

 少年の笑顔がしぼむ。

「うん。そうだよね。ところで、じいちゃんはなんでここに来たの?」

 老人は少年にわらかけるだけで答えない。

「ここがどういう所かは知ってるんでしょ?」

「ああ、知っているよ。」

 少年は舟を降りた。老人と向かい合う。老人は恥ずかしそうに頭をかいた。

「最近、忘れ物が多くてね。娘やばあさんにも怒られてばかりなんだよ。君についても何かを忘れているような気がして…。」

 老人は首を振る。少年は面食らったようだった。口を開けたまま老人を見ている。

「ごめんな、颯太くん。知っている気はしても、思い出せない。」

 老人の頬に涙が伝った。頬ができた筋はどんどん増えていく。

「本当に不甲斐ない。」

「いいんだ。じいちゃん、家に帰ろう。」

 少年は足元に落ちていたココアの缶を手に取る。

「ごめんな。でも、わかっているんだ。思い出せないだけで、君が大切な人だっていうのはわかっている。」

 少年は空を仰いだ。唇をしっかりと噛み締めて耐える。老人が舟の方に歩く。

「さ、帰ろうか。今度家に遊びに来なさい。颯太にも会ってほしい。」

 舟を漕ぐ音が再び辺りに広がる。懐中電灯が照らす所だけが藍色に染まっている。

「君は何をしに来たんだい?」

「…僕は、缶を拾いに来ただけだよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

インターホンの島 吾妻志記 @adumashiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ