第2話 とんでもない命令


「きみ、顔を上げて。まずは名前を教えてもらおうか?」

「キア・フォルスと申します!」


 答えながら、キアはガバッと顔を上げた。

 思った通り、執務机の向こうにはヴィクトール王子が座っている。

 さっきまでその椅子に座っていた氷の騎士は、王子を守る守護神のように机の脇に立っている。小声で報告しているのは、さっきキアが語った内容だ。


「なるほど。きみはクロッシュ伯爵令嬢のために、私から彼女を遠ざけようとしたのだね」


 予想に反して王子は笑顔だ。癖のある金髪と同じくらい、笑顔がキラキラと輝いている。


(怒ってない……のかな? いやいや、王子ともなれば、気持ちを顔に出さないことくらい朝飯前なんだわ)


 用心深く頷くと、ヴィクトールは目を細めた。


「よろしい。きみが私に協力するなら、クロッシュ伯爵令嬢を領地へ帰すと誓おう」

「え、本当ですか?」


 キアが食い気味に訊き返すと、王子は笑って頷いた。その笑顔に含まれる得体の知れない何かに、キアはぶるっと震えた。


「私は……何をすればいいのですか?」


「うん。明日からイザックの遠縁の令嬢として夜会に参加し、私を誘惑して欲しい」


「は? 私が……殿下を、ですか?」


「そう。きみが私を誘惑するんだ。私がきみに心を奪われたフリをすれば、王子妃になりたい者たちにとって、きみは邪魔者になるだろう? 少し危険が伴う可能性もあるから、その分報酬は十分支払おう。どうかな?」


 偽令嬢として王子妃選びに参加し、王子を誘惑する。いったいどんな目的があってそんな事をするのだろう。全く想像がつかないが、それは聞いてはいけない事のような気がした。


「本当に、お嬢様を領地へ帰してくれるんですね?」

「もちろんだ。王家の名誉にかけて約束する」


 王子の笑顔は胡散臭かった。それでもキアに断る選択肢はない。

「では、協力いたします」

 キアが頭を下げると、王子が席を立つ気配がした。


「仕事は明日からだ。後のことはイザックに聞いてくれ。私は夜会に戻る」

 夜会を中抜けして来たらしいヴィクトールは、白い盛装を翻して颯爽と部屋を出て行った。


 王子が消えた扉を呆然と見ていると、傍らに黒い影が凝った。

 ビクッとして振り仰ぐと、至近距離に氷の騎士が立っていた。傍に立たれるとその背の高さに圧倒されるし、若干心臓にも悪い。


「聞き忘れたが、おまえ、ダンスは出来るか?」

「は、はい! お嬢様の練習相手を務めておりましたので、一応は!」

「ふむ。練習相手となると男役か。少し確認が必要かも知れないな」


 独り言のように呟きながら、氷の騎士はキアをじっくりと眺めまわす。スッと大きな手が伸びてきて、キアの顎をぐいっと上へ向けた。


「どこにでもいる薄茶の髪。よくある緑の目。これといった特徴のない目鼻立ち。会ったばかりの者さえ一瞬で忘れるその平凡さ……実に非凡だ」


(は? 物凄く、物凄―く、貶されてる?)


 さすがに文句を言う勇気はなかったが、上を向かされたままの体勢で、キアは力の限り目で不快感を表した。


「俺は近衛騎士団黒狼隊隊長のイザック・リベリュルだ。明日の朝、荷物を持ってここへ来い」

「は……はい」


 上を向いたまま何とか答えると、ようやくキアの顎は解放された。

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