甘くないお仕事

滝野れお

第1話 お嬢様は守ります!


 ラキウス王国の大広間では、王子の十八歳の誕生日を祝う盛大な夜会が催されていた。

 そんな煌びやかな場所から少し離れると、本当に同じ王宮かと疑うほど装飾の少ない領域がある。その廊下を、キアは騎士に前後を挟まれて歩いていた。もちろん彼らは護衛ではない。キアは今、暗い夜の庭園から大広間を覗き見ていた不審者として、連行されているのだ。


(私は断じて、不審者なんかじゃなのに!)


 キアが身に着けているのは、濃紺のワンピースに白いエプロンだ。薄茶の髪は乱れなくしっかり結い上げている。

 確かに王宮の侍女ではないが、れっきとした侍女なのだ。



「────で、お前は何故あのようなことをしたのだ?」


 キアを捕らえた騎士は執務室の椅子に腰かけると、机の上に肘をつき、組み合わせた両手の上に顎を乗せてキアを見つめた。

 短めの銀髪に縁どられた色白の顔。アイスブルーの双眸は凍てついた北国の氷山を思わせ、黒い軍服は暗黒の使者のような彼の雰囲気を怖いくらいに強調している。


(この人は、きっと、生まれてから一度も笑った事がないんだわ!)


 氷の双眸に見据えられていると、どういう訳か背筋に寒気が走る。とにかく圧が凄いのだ。


「おまえは先ほど、ソニア・クロッシュ伯爵令嬢に飲み物をぶちまけていたな。あれが原因で伯爵家をクビにされたのだろう?」


「なんで……知って……」


 キアは呆然と目を瞠った。

 庭から広間を覗いていた理由を訊かれたのだと思っていたのに、どうやら広間での出来事について尋問されているようだ。


「仕事を失ってまで、自分の主にあのような事をする理由は何なのか、非常に興味がある。正直に話せ」


 何もかも見られていたのだ。もしかしたら自分は、王子に無礼を働いた罪を問われているのかも知れない。

 キアは蒼白になりながら、広間で起きた出来事を思い返した。


 そう。ついさっきまで、キアはあの大広間にいた。壁際で姿勢を正し、気配を消しながら、主であるお嬢様を見守っていたのだ。


 光溢れる大広間。華やかなドレスを身に纏う令嬢たち。玉座に王の姿はなかったが、一段高い場所には白い盛装を纏った麗しのヴィクトール王子がいる。

 彼の癖のある金髪は照明の光を受けてキラキラと乱反射し────。


(いやいや……坊ちゃんの方がやや、うん、やや……かっこいいし!)


 キアは幼馴染フィルターのかかった目で、王子とここには居ない領主の息子とを見比べた。

 王子の誕生会に呼ばれたお嬢様ことソニア・クロッシュ伯爵令嬢は、キアの乳姉妹ちきょうだいだ。領主の息子とも幼い頃から付き合いがあり、成長とともに惹かれ合ってゆく二人を一番近くで見ていたのもキアだった。


(何としても、お嬢様を坊ちゃんの元へ帰してみせますから!)


 キアはスカートの影で拳を握りしめ、大広間の壁際でソニアだけを見守っていた。

 各領地から集められた十数人の令嬢たちが、順番に王子に挨拶をする。誕生日の宴は王子妃を選ぶ宴でもあるので、妃の地位を狙う令嬢たちにとっては自分をアピールする重要な機会だ。


 もちろん恋人のいるソニアは無難にこの挨拶を切り抜けたが、顔合わせが終わるなり会場内の雰囲気はガラリと変わった。

 音楽が流れ、給仕の男性が飲み物を配り始める。

 あちこちで話をする人たちの集まりが出来た頃────事件が起きた。

 なんと、王子がソニアに話しかけているではないか。


(ま、まさか! ダンスに誘おうとしているんじゃないわよね?)


 キアはサッと壁際から離れた。給仕のトレイから飲み物のグラスをつかむと足を速める。


「お嬢様、お飲み物をお持ちしましたっ!」


 ソニアにグラスを手渡すふりをしてサッと傾ける。

 ビシャッと赤い液体がソニアの水色のドレスに落ちてゆく。


「も、申し訳ありませんお嬢様! すぐにお着替えを! 王子様失礼いたします!」

「キ、キア?」


 戸惑うソニアを大広間の外へ連れ出すと、クロッシュ伯爵が顔を赤くして追いかけて来た。


「おまえは、何という事をしてくれたんだ! ええい、着替えは別の侍女にやらせる。おまえは今日でクビだ! 明日の朝までに荷物を纏めて出て行け!」


 ピシャリと大広間の扉が閉まり、ソニアも侍女長に連れて行かれてしまう。


「そ、そんなぁ~」


 お嬢様命のキアだ。クビになる事など怖くはない。しかし、王子妃選びはまだ始まったばかりだ。明日からは誰がソニアを守ると言うのだろう。

 キアの頭からサーッと血の気が引いた。




「────私がお嬢様に飲み物をかけたのは、お嬢様を無事に領地へ帰すためです。お嬢様には好きな殿方がいます。だから王子様に気に入られては困ると思ったのです。ですが、お嬢様は何も知りません! これは私が勝手にした事なのです! どうか、お嬢様と伯爵家にはお咎めなきようお願いします!」


 キアが答えたら、この氷の騎士は自分を斬り捨てるのだろうか。

 そんな考えが浮かびブルブルと体が震えたが、やらかしてしまった事を今さら帳消しには出来ない。


 キアは腹をくくり、思い切り頭を下げた。

 すぐにも刃が襲ってくるかと思ったが、何も起こらないまま沈黙が続いた。

 そろり、と少しだけ顔を上げると、氷の騎士は先ほどと同じ体勢のままキアを見下ろしていた。バチッと目が合ってしまい、慌てて頭を下げる。

 重苦しい沈黙を破るように勢いよく扉が開いたのは、その時だった。


「お待たせ! そうそうこの子だよ。さすがイザック。仕事が早い!」


 キアの視界に真っ白いエナメルの靴が見えた。

 頭を上げることは出来ないが、ものすごく、ものすごーく嫌な予感がした。


  

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