4回目 なんであとちょっと早く出れないのかな

 基本的に、待ち合わせの時間に遅れることがない。遅くても5分前には現地に到着するように心がけている。もし、何かしらの事情で待ち合わせの時間に間に合いそうもなければ必ず相手に連絡をするようにしている。

 これは、幼いころから時間に遅れることは罪だと厳しく教え続けてくれた両親のおかげであり、このことに関しては本当に感謝している。

 と、偉そうに書いてみたが、人として当然のことだと思っている。

 ただ、この当然のことができない人は結構多い。僕の周りにも何人かいる。しかも、待ち合わせの時間にほんの数分、どうしてあとちょっと早く家を出れなかったのかと思わずにはいられないくらいの遅刻をするのである。

 初めて待ち合わせたときの1回だけであれば、たまたまかな、なんて思ったりもするのだが、毎回である。しかも、遅れたことを詫びるどころか「早いね」などという始末である。しかも、何で時間どおりに来ないのだと責めれば、「たかが数分遅れただけじゃないか」と、なぜかこちらが悪いことでもしているかのような言いっぷりで「毎回まじめだよね」などと言われる始末である。なぜそんな言われ方をしなければならないのか。

 例えば寝坊をした、とかで大幅に遅れるのであれば納得はできる。が、たった数分遅刻をするのである。全く自分には理解できない。自分の家から待ち合わせ場所までの時間を逆算して、少し早めに出れば普通は遅刻などしようがないのだ。

 毎回数分遅れる人たちはいったい何をしているのだろう。家を出るギリギリまで何かをしているのか。そんなに忙しいのか。そちらの用事の方が大事であるならば、むしろこちらを断ってくれればいいのに、とすら思う。

 そういった人たちは、次回は遅刻しないようにしよう、と思うことはおそらくなく、数分遅れることについては全く罪悪感などないのである。仕事での待ち合わせは遅れずに早めに行ったりできるのだから本当にタチが悪いと思う。こういったことを色々と合わせて考えると、結局は自分が馬鹿にされているような気がして、なんか舐められているような気がして、合流した時にはすでにモヤモヤしているので、そのあとが楽しいはずもなく、大概疎遠になっていく。

 時々、数分遅れたくらいで目くじらを立てる自分を、なんて器の小さい人間かと思うこともある。しかし、立場を逆に考えると、自分が遅れるということは、相手の時間をそれだけ無駄にしているということなのである。その人に迷惑をかけているということである。そう考えると、自分は間違ってはいないと思える。

 せっかく両親が時間に厳しく育ててくれたのである。その教えは一生大事にして生きていきたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こじこじ、「何か」について語る こじこじ @kozy_0322

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ