七年越しのラブレター

さくらみお

七年越しのラブレター



 じいさんが脳梗塞で倒れたよ――。


 今年の十月下旬、実家に住む独り身の兄が珍しく電話をしてきた内容がこれだった。



 今の世の中、都内に住む私は他県にある実家に行く事がこの二年間全く出来ていなかった。

 十月に緊急事態宣言も解除されて、お墓参りがてら帰省しようかなーなんて話を、父と電話でしていた矢先の出来事だった。


 父は即入院したが、県内に住まない私は病院に赴く事は出来ず(病院側が他県の人間を受け入れてくれない)、十五分だけ面会出来る兄と近所に嫁いだ妹のテレビ電話で父の容態を見る事しか出来なかった。

 

 そこには言葉を失い、朦朧とする父が居た。虚ろな目は焦点も定まらず、父はまるで別人でショックは拭えなかった……。






 私達は父の容態を心配しつつも、一つの大きな問題が浮かび上がった。


「介護」だ。


 今の今まで他人事だった親の介護が急に身近になり、慌てふためく私達。


 私達の母は七年前に癌で闘病の末、亡くなっている。

 介護するとしたら、私達兄弟三人がやらなければならないのだ。


 父の容態は今、急性期。

 命には別状は無い事は分かった。

 ただ、重度糖尿病持ちで治療も直ぐに始められない父が、どのくらい回復出来るかは分からなかった。

 主治医の先生に尋ねても「どうなるか分からない」状態なのだ。


 それでも私達は不安で心配で、もしも……ならばの仮定の話をたくさんしたが、結局は父の頑張り次第なのだ。







 実家は築四十年の一軒家。

 昔ながらの広い家であるが、入口は昭和の土間の玄関で、畳が続く純和風の家屋だ。当然、車椅子が入れる家では無い。


 私は緊急事態宣言が明けた事で、とりあえず久しぶりに実家に戻り、あれこれと兄弟三人で話し合った。

 家をリフォームするのか。するならば、いつするのか。状態が分からない状態でリフォームしたら見切り発車で失敗するのでは無いか……。


 結局あーだこーだ言い合って決まったのが、


「とりあえず、汚宅を掃除しよう」だけだった。


 十数年前まで、我が家は三世帯が住む大家族だった。

 最大八人プラス犬が居た。


 今は父と兄だけだが、兄は十五年前に建てた離れに住んでいる。

 実質、広い8LDKの家に父が一人で住んでいるのだ。


 元々綺麗な家では無かったが、ここ数年で祖父母・母が一気に亡くなり、私と妹も嫁いで家を出た。


 老人となった父一人で掃除するのが大変な広さ故に必要最低限の場所しか掃除をしなかった。

 更に父は昔の思い出を動かすのを嫌がった。


 しかし、ねずみが発生して糞だらけの家では不衛生にも程がある。

 退院後の父が快適に過ごせるためにも、我々は先ず掃除をしようと一念発起した。




 最初に手を付けたのが、キッチンだった。

 キッチンは使われているものの、二人暮らしとは思えない程に食料が溢れて居て、私と兄はマスクと手袋をして、懐かしい平成時代に消費期限が切れた食べ物を捨てていく。調味料も山の様で、十年前に切れた物も一つ二つでは無かった。


 大量の食糧に、大量の皿、大量の調理器具……。


 全て十年前から時が止まっている。

 大家族の名残が。


 父がずっと留まって居たかった時間なんだろう。それを思うと悲しいが、このまま放置も出来ない。私達は強制的に時を進めた。





 それから兄と黙々と作業を進めていると、お昼ご飯の時間になる。


「お昼どうする~?」

「こんなのあるけど」


と、兄が取りだしたのは、カップ麺……の段ボールが二つ。


「自治会から非常食として渡されたやつ」


 段ボールの表面には「赤いきつね」と「緑のたぬき」と描かれている。

 二つとも中途半端に個数が減っていて、食べた形跡があるが、連日食べるのは飽きてしまうのだろうか。半数以上残っていた。

 まあ、父と兄二人でこの数は多過ぎる。必然と余るだろう。


 私と兄はそれを食べる事にした。


 食べていると、兄がポツリと言った。


「実はさ、二階の衣装部屋を片付けていたら、こんな手紙が出てきてさ」


 と、手紙を私に差し出した。

 それはルーズリーフに手書きで書かれた……母の遺書だった。


「これ、どっから?」

「お母さんのいつも持っていたハンドバッグの中」


 うそ……。

 七年越しに、母の手紙が見つかったのだ。

 父は母の死後、母の私物を動かすのを特に嫌った。

 しかし、母は見つけて貰いたいがために、一番最初に見そうな場所へと、私達の遺書を残していたのだ。


 遺書は父へ、兄へ、妹へ、そして私へと全員分あった。

 子供たちへの遺書は、これからも頑張ってとエールの文が綴られていたが、父への遺書だけは内容が違っていた。



 母の本音だった。



 看取ってくれてありがとう。

 でも、まだ死にたくない。

 悔しい。もっと早くに病院へ行っていれば……。

 もっと旅行へ行きたかった。遊びたかった。

 お父さんと一緒にたくさん美味しい物が食べたかった。

 孫の世話もしたかった。


 そして、最後にこう締めてあった。


 こんな威張っている私と一緒になってくれてありがとう。大好きな○○さん、私の分も人生を楽しんで、と。


 私は涙が溢れて、食べていたカップ麺にポタポタと落ちた。

 甘いはずの赤いきつねのお揚げがしょっぱくなる。


「……これ、病院へ持って行ってじいさんに見せようと思う」


 鼻を赤くして、緑のたぬきのそばをズズッと啜る兄が言った。


「うん、そうだね。まだじいちゃんは頑張らないと」


 そうだよ。

 お母さんの遺書ラブレター通り、人生楽しんでないよ。


 コロナが収まったら、みんなで旅行に行くんでしょ?

 妹の所に生まれた幼い孫の世話もしたいんでしょ?

 北海道旅行、楽しみにしているんだから。


 ……頑張れ。


 頑張れ!

 頑張れ!! お父さん!


 私はつゆを飲み干し、涙を拭った。


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