無為の出汁

紙季与三郎

 無為の出汁


一献いっこんの酒に疲れ果て、すする赤いきつねの出汁だしたるや。

ほのかに吐く息白くいろどり、その日——雪は降りつる。


そのような週末の朝焼けが、私の日常だとするならば——誰もがわらうなんと情けない日常であろうか。


朝が迫ると嘆くこんの窓、四畳半を照らす蛍光色の白に輝く細平ほそひらめんはしまんで抑えつつ、出汁色の海を泳がせて。


湯気に鼻をつつかれながらすする音は、如何ばかりのあはれであろう。


ためにはならぬ。

ためにはならぬ。


きつねの好物などという与太話を沈めてほふる旅情、されども無作法に口を器に近づけ、私は噛んで舌先三寸ばかりの舌を煮込むのだ。


ろくでもない。

ろくでもない。



このまま眠れば、起きるのは昼過ぎか夕頃か。

どのみち陽が降りるのも時間の問題。



出汁のついでに流れ込む加薬かやくを噛みしめて、紺の窓に吐く息白く、徒然つれづれなるまま。


流されるまま。

流されるまま。



かれた暖房が至らぬままに僅かにかじかむ掌に、うように包んだ器から発泡越しのまろやかな熱が伝わる。恐らく私がおらずとも、赤いきつねを食さずともさ——きっと日々は過ぎ行くけれど。



煮込んだ舌から喉を通って胃の腑に流るる出汁はみゆき、熱が広がる日々なのか。



意味は無いかと問いかけた。

意味は無いかと問いかけた。


為になるかと問いかけた。

為になるかと問いかけた。



一献いっこんの酒に疲れ果て、すする赤いきつねの出汁たるや。

ほのかに吐く息白くいろどり、その日——雪は降りつる。


そのような週末の朝焼けが、私の日常だとするならば——誰もがわらうなんと情けない日常であろうか。



高説垂れる高位の御方はわらうだろう。

弁舌強べんぜつしたたか、高尚な者はあざけるだろう。


負け犬が安いきつねに八つ当たっておるのだとののしるだろう。

テレビリモコンのボタン押し込み、流れ始めた朝のニュースに耳澄まし、世間の声に出汁の残った器をかたむける。



現実感の無いかたが語り継ぐ悲壮ひそうの想い。



「はぁ……」


私の腹から込み上がる上昇気流のような溜め息と共に、からりと倒れる器の中の割り箸二本。



意味はあるかと問いかけた、私に対する答えの代わりに。

意味はあっただろうと笑い掛けた気さえして。



私の舌と記憶に未だにみる、赤いきつねの深い出汁。



意味はあったなと、私は想い——まぶたを閉じた。



その日も——雪は降りつる。

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無為の出汁 紙季与三郎 @shiki0756

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