第2話:配置図
「留衣ちゃん。言うの忘れてたんだけど」
休憩終了五分前の十二時五十五分、狭い給湯室で留衣がスタバのタンブラーにインスタントコーヒーを振り入れていると、ぬらりと哲が現れた。嫌な予感しか無い。
「頼みたい仕事あったわ。明日納期の公園の配置提案。営業さんが上手く根回ししてて出したらほぼ確定らしい」
「……了解です」
あっこれ今日定時無理だな、と留衣は心の中で舌打ちしながらも答え、きゅっと音を立ててタンブラーの蓋を閉めた。確定案件ならやらない選択肢は無い。
「サンキュー。チョコあげる」
「いえ大丈夫です。そして明日は定時で帰ります」
「相変わらず率直ね……」
哲ははは、と笑いながら、無精髭の頬をぽりぽりと掻く。その手で作業ジャケットのポケットから取り出した小さなチョコレートの包を留衣のタンブラーの蓋の上に乗せた。
―
(やるか……)
デスクに戻った留衣は哲から資料を受け取り目を通した。複合遊具とベンチを新設するための公園の配置図の作成の仕事だ。ちなみに複合遊具というのは滑り台やボルダリングや橋状の渡りなど、色々な遊びが一つに合わさった砦のような遊具のことである。
客の希望は一式で二百万円とある。
最初は「二百万⁉ たっか……」と思ってしまった新卒の留衣ももう三年目である。
ホームセンターに行けばベンチなんてずっと安い値段で売られている。しかし公園用のベンチや遊具は二十年以上雨風に晒され続けることもあり、一般向けの製品と比にならないくらい良い素材で、物凄く手間をかけて丈夫に作られている。これ位の値段になるのは致し方ないのだ。
地図で公園周辺を見ると周囲に二つ保育園があった。この辺りは都心で保育園は園庭が無いため、公園には平日の昼間は保育園の子が保育士と共に大挙して遊びに来るだろう。
留衣は低年齢向けの複合遊具リストから公園に合ったサイズと予算の図面を幾つか選びだした。時間があれば遊具チームが要望に合わせて一からデザインを考える所だが、今回は時間が無いので使い回しである。
使い回しは悪ではない。作り置きの様なものだ。留衣は自分に言い聞かせる様に心の中で呟く。
遊具を決めた残りの予算でベンチの個数と配置を考える。子供の保護者が使うのであれば遊具がよく見える場所にあった方が良いだろう。
小さい子連れは荷物が多いだろうから、ベンチでなく縁台やピクニックテーブルでもいいかもしれない。ただ、ここで最も注意しないといけないのはベンチは公園の何処にでも置けるではないということだ。
公園の広場は何も無い様に見えても実は、排水設備や街灯の電線などの地下埋設物がある場合がある。しかも、遊具近くには縁石などの硬いものがあってはいけないという安全基準もある。これを確認して配置しないと後々現場で大変なことになるのだ。
新卒の頃にやらかして哲と客先まで謝罪に行った記憶が蘇り鳥肌が立った。留衣はCAD上で図面に製品を配置した後、もう一度目を皿の様にして問題無いかを一つずつ確認する。大丈夫そうだ。
留衣は最後に図面枠の右下の「
残りは作図二件を二時間ずつで十九時というところか。留衣はタンブラーの上のチョコの包みを開けて口に放り込んだ。溶けている。
(名刺に「プロダクトデザイナー」って書いてあるけど、私がやってるのはデザインの仕事なのかなあ)
こういう仕事はデザインなのだろうか、とよく思う。悩むだけ時間の無駄だが止められない。
デザインという言葉は曖昧だ。
保険会社が社員を「将来設計デザイナー」と呼んでいると知った時や、アイドルグループが某デザイン賞を受賞した時。全身の力が抜けたのは留衣だけではない筈だ。
留衣の大学同期には誰もが知っている家電メーカーに就職した優秀な友達もほんの少数ながら居た。しかしよく聞けば彼や彼女らは親がデザイナーだったり建築家だったりした。
留衣は同じ学校の出でも同じスタートラインに居るわけでは無いことを知った。完全に、とは思いたくないが、ある程度は生まれた時に決まっているのだ。そんな子達と戦って凡人の自分が勝てるはずが無かったのに、自分がデザイナーになった意味があったのだろうかと思うこともある。
(……考えてもしょうがないや。さっさと終わらせて帰ろ)
留衣がぶんぶん頭を振って浮かんだ考えを打ち消していると、ふっとモニタの隙間越しに哲と目が合った。哲は笑みを見せる。留衣は何だか気まずくてその視線を無視して作業を続けた。
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