ベンチがあると必ず裏側を見てしまう女の話

萌木野めい

第1話:作図


(あれ、もうこんな時間か)


 思いがけず昼休憩のチャイムが鳴って、鈴木留衣すずきるいはパソコンのモニタ右下の時計を見た。集中してCADで図面を書いていたら午前があっという間に終わってしまった。

 「昼食は外」派の社員達がチャイムと共に颯爽と立ち上がって事務所のドアから雪崩出ていく。


 留衣はオフィスチェアの背もたれに身体を預けて、大きく伸びをした。

 セミロングの黒髪はいつも会社に着いてからデスクの引き出しに入れているシュシュで一纏めにしている。オフィスで羽織る決まりの社名入りの紺色の作業着の襟が高く、下ろした髪がかかるとばらばらと暴れるからだ。

 一重まぶたと薄い唇できつめの性格に見られがちだが、話すといい人だねと言われる事が多い。きっと損をしているのだろうが解決策が分からないまま二十五年間生きてきてしまった。

 今日の留衣の服装は、深緑の膝下丈スカートに、白いブラウスだ。作業着の紺色のせいでオフィスカジュアルはそれに合う色ばかりになる。


 ここは横浜市のとある駅近くのオフィスビルの二階で、留衣が働く株式会社池波修景いけなみしゅうけいの事務所である。

 池波修景は北陸に本社工場を置くメーカーで、修景施設のための製品を扱っている。具体的に言えばウッドデッキやベンチ、公衆トイレ、遊具なんかである。東京事務所には設計部と営業部の総勢三十人ほどがこのビルで勤務している。


 設計部ベンチチームに所属する留衣の仕事は、客の要望に合わせて駅や公園などのベンチをデザインし、そのイメージ図や図面を作成することだ。

 ただ実際はゼロからデザインを考えることは少なく、既存のデザインを一部変えて提案することが多い。志の高く生意気な入社当時はそのことに絶望したが、仕事をする内に実際世の中のものは大体そんな感じで出来ていることに気が付き始めた。使いまわしは悪ではないのだ。


 「昼食は弁当」派の留衣はオフィスチェアの背に掛けたリュックから弁当を取り出す。包を開きながらカレンダーアプリで午後の作業を確認した。作図二件ならほぼ残業しなくて済みそうだ。


「留衣ちゃん、調子どう?」


 留衣の正面のデスクから、にこにこした中年男性が声を掛けてきた。この人は梶田哲かじたてつさん。留衣の上司だ。ちなみに設計部ベンチチームは「チーム」と言っても、哲と部下の留衣の二人だけである。


 入社二十数年目、四十半ばの哲はこの会社で最も売れているベンチをデザインした人だ。シンプルで強靭、低コストなベンチは池波修景の売上の何割かを担っている。しかし、耳にかかる長めの癖毛と無精髭、ジーパンに作業着姿でその偉業を察するのは不可能である。

 哲のデザインはいつも無駄がなく、きちんと「売りやすい値段」に収まり、その上で意匠も犠牲にしない。その点に於いて留衣は尊敬しているのだが、スケジュール管理の出来なさと身だしなみの雑さは頂けない。

 上背はあるし痩せているし、色素薄めの髪色と彫りが深い顔立ちはなかなかの男前なのが残念さを助長する。ちなみに最近十歳年下の奥様と結婚して一歳の娘がいる。


「予定通り進んでます。午後はX県営ふれあい公園の特注円形ベンチの作図です。公園の記念樹を囲うベンチですね」


「さすが。余裕ありそうだね。俺定時で帰ってもいい? 早く娘ちゃん嗅ぎたいんよ」


「明日納期の図面の検図十件と、外注さんの3Dモデリング上がってきたののチェックバック終わったら帰っていいですよ。あと私の円形ベンチのデザインのチェックも」


「ち……手厳しいねえ」


「てか、何で上司の哲さんのスケジュール管理まで私がやってんすか」


「留衣ちゃんに頼んだほうが安心だからさあ〜。今日は月曜だから角のキッチンカーの売り子が俺好みの女の子なんだよね。癒やされてくるわ」


 哲は歌う様にそう言ってふらりと事務所を出て行き、留衣は溜息をついた。入社して三年立つがこの人にはスケジュールでは振り回されることが多い。デザインについて尊敬できる面が無ければ、留衣は今頃この会社に居なかったかもしれない。


 美大のプロダクトデザイン学科を出た留衣は、新卒でこの会社に就職した。卒業制作で家具をデザインした留衣は、公園のベンチを考える仕事なら勉強したことが生かせそうだと思ったのだ。

 がっかりすることもそれなりにあったが、就職したての頃は仕事は何もかもが新鮮で楽しかった。初めてデザインしたベンチが納品された時は山形までわざわざ見に行ったのだ。でも三年も働いていると見えなかったものが見えてくる。


 正直、職場に大きな不満は無い。人間関係もまあまあである。いらつく事もあるが哲のデザインは素直に好きだと思えたし、給与も多くはないが大卒としては平均的だ。残業は季節によるが、耐え難いほどではない。

 しかし、深澤直人、柴田文江、柳宗理とかに憧れて目指した道の果てに辿り着いたのがここだったとして、ふと胸がひやりとすることがある。才能が無かったと言えばそれまでだが。


(大きい不満がある訳じゃ無いけど、私は一体どこを目指してるんだろう?)


 昼休みに一人、冷食を詰めた弁当を咀嚼しながら考えるのは、最近はそんなことばかりだ。

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