第3話 血肉の演舞

 「時間をかけて巨額を投資してきた事業に、とんでもない難癖がついた」


 つねに自分の力だけでのしあがってきたと自負する男は、怪現象の現場を自身の目で確認するため、会社の部下も連れずにスクランブル交差点で信号待ちをしていた。


 信号が青になるまで待てないのか、腕をくみ足をふみ鳴らす。


 「怪現象やオカルトにハマる連中にとっては、いい炎上ネタになっただろうが、現実のビジネスで生きている我々にはすこぶるいい迷惑だ」


 信号が青になり、周りが動きだしてから経営者の男も動きだす。


 「噂をふりまいた連中は現実から逃避して、なにか得体の知れないものに依存する社会のゴミクズみたいな奴ら、そんな奴らに今回のプロジェクトを台無しにされてたまるか」


 男は肩で風をきって歩き、口では不平を鳴らしながら交差点の中央までたどりつき、通行人の邪魔をしてでも止まってから上空をみあげた。


 「見ろ、いい天気じゃないか、何もおかしなことなんかないぞ、本当にバカバカしい」


 少しだけ周りを見わたしたあと、歩き出そうとしてまた停止する。


 「?」


 白く雪のような何かが男の視界をかすめ、それを手のひらですくってみた。


 「紙切れ、いや、花びら」


 どこから舞いおりたのかそれは桜の花びらのようでもあり、不審に思った男がもういちど空を見上げると、その瞬間に景色が一変する。


 男の周囲に大量の花びらがふりそそぎ風とともに舞い上がる。


 それを美しいと感じるより異常だと認識した男に、とつぜん背後から通行人がぶつかってきた。


 「痛!」


 うめく会社経営者を置き去りにして、通行人は足早に通りすぎてゆく。


 「おい!人にぶつかっておいて謝罪もなしか!」


 抗議の呼びかけにもふり向かない通行人に、いつも社員を従わせてきた男は当然のように悪態をつく。


 「普段から忙しくないやつに限って、逃げ足だけは早い」


 面と向かって言えなかったことを残念に思っていると、次はビジネスマン風の男が肩にぶつかってくる。


 「どこ見て歩いてる!」


 今度は逃さないよう、すぐにふりかえって怒鳴ったが、ビジネスマンは歩く姿のまま、スプリンターなみのスピードで遠のいていった。


 なんだあいつは、そう言葉にしようと口を開きかけたとき、またぶつかってくる。


 「おっ!」


 今度の衝突は硬いもので殴打されたような激痛を感じ、ふりかえるより早くぶつかった場所を手でさする。


 自分の姿が見えてないのか、さすっている間も通行人は次々にぶつかり、さすがのワンマン経営者も怒りより恐怖を持ち始め、よろめきながら辺りを見てギョッとなる。


 姿がかすむほど高速で移動する通行人が男の周囲を駆けめぐり、もはやそれを現実の光景とは思えず、目に見える物しか信じない科学全能主義者も、事態の異常さに思考回路が混乱し、とにかく交差点の中央から逃げ出そうとした。


 しかし、周りと反比例して自分の体は鉛のように重く、指一本どころか言葉すら発することができず、ただ高速の通行人が続けざまに衝突するのを耐えるしかなくなり、それは次第に男の人体を削りはじめる。


 同じ生身の人間であるはずが、一方的に傷つくのは自分で、最初は着衣が、次は肉がヤスリで削られるようにぎ落とされ、そこから血がふきだし、流れ出した血が地面を染め上げていく。


 負傷を負いながらも目を閉じることができず、眼球だけは忙しく動き、しっかりと自分の体が削られてゆく様を、脳裏に焼きつけていった。


 だが不思議と痛覚はにぶく、それどころか快感へと変わり、目尻が下がり夢見ごこちでいると、革のカバンが男の左半身に激しく衝突。


 衝突した左半身を眼球で見下げたが、そこにあるはずのものは無くなり、無くなったものを視線で追いかけ男が見たものは、高速移動する人の流れに弾かれ飛ばされ削られてゆく、自分の左腕。


 もはや意識も朦朧とするなか、一瞬だけ移動する人の波がスローになると、血のつぶが宙にとどまる光景までが鮮明になり、幻想的な桜ふぶきとまじりあい、削られた肉が花となって咲き乱れた。


 血肉の演舞が視界から消え去る寸前。


 「血の色ってなんて美しいいんだ」


 ワンマン経営者はそんな言葉を自分の耳で聞いた気がする。


 直後、血だまりに誰かの携帯が落ち、数秒だけ間をおいてから交差点の中央には悲鳴と怒号が鳴りひびく。


 

 「社長の声でまちがいありませんね」


 ボイスレコーダーを再生し終えた警部補が祠の情報提供者に質問する。


 「確かに社長の声です」


 従業員が警部補の顔を問いただすように見つめるので、横の相棒が説明する。

 

 「残念ながら、交差点に残されたのは携帯だけでした、あとは・・」


 相棒の言葉を聞くと従業員は肩をおとし、部屋に陰鬱な空気がただようなか、警部補だけはお構いなく口をひらく。


 「他の被害者のときは携帯も粉々でしたが、今回だけは無傷でしかも当時の音声まで拾うことができました」


 これにより捜査が進展することを期待したい警部補だったが、肝心なことを説明していないので相棒が補足。


 「録音された音声は最初、猛獣の唸り声のように聞こえたのですが、音声解析で倍速にしてようやく正常に聞き取れました、これもやはり時神様の祟りが関係しているのですかね」


 「やめろ、こちら様には関係ないことまでベラベラしゃべるんじゃない」


 ひと睨みする警部にかるく肩をすくめる相棒。


 従業員も気落ちしている様子なため、その日はたいしたやりとりもなく、そのまま聞き取りを終了した。



 後日、祠の取り壊された敷地ではお祓いの儀がおこなわれ、警部補と相棒も参列することになった。


 「ふっ、現代の神仏習合だな、坊主と神主が一緒に並んでるぞ」


 「しっ、口がすぎますよ警部」


 興味のない自分に対し、相棒が真剣に祈っている姿をみて。


 「お前は西洋のロザリオか、私からすれば滑稽にしか映らん」


 「こう言ったことは形式が大事なんですよ、神様は祈る者には寛大なんです」


 「神様ね、本当に時神なんているのか」


 「まだそんなこと言ってるんですか、バチが当たりますよ」


 神主が祝詞のりとを唱えはじめると警部補は息をはき、今回の事象について曇った声で語りはじめた。


 「かりに猛スピードの人体がぶつかり続けて、今回の惨事につながったんだとしたら、なぜ害者だけ傷ついて通行人は無傷なんだ、物理現象としてはありえないだろ」


 「警部、何を真剣に考えているんですか、そもそも超常現象に論理的思考なんか無意味でしょ、それこそ今回に限っては祟りとして処理したほうが、僕は自然だと思います」


 「お前はお気楽でいい、私からすれば論理的思考を捨てた治安維持の公務員なんて、感情や思い込みだけで動く権力者と変わらん、居るだけで危険な存在だと思うがな」


 持論を述べたあと、手を合わせて必死に祈る相棒を無視して、警部補はゆっくりと目を閉じた。


 しばらくして目を開け、見覚えのある空間に自分がいることを知り、眉をしかめてぼうぜんとなる。


 そこは桜ふぶきの舞うスクランブル交差点の中央で、信号待ちをする通行人の姿が遠くに見え、とつぜん訪れた夢か現実かはっきりしない光景に、論理捜査で生きてきた警部補は戸惑いを隠せない。


 しかも体は硬直して動かず、それなのに視界だけが明瞭にうつり、明瞭なぶん得体の知れない戦慄にとらわれる。


 歩行者用の信号が青になり、警部補の直立する交差点の中央へと通行人がいっせいに歩きだす。


 足音とともにゆっくり迫ってくる群衆は、じょじょに速度をあげ、警部補のそばまできた頃には、人の姿が霞んで見えるほどの速さで、暴風のように通りすぎる。


 警部補の周辺をギリギリに行き交う人流のなかで、桜の花びらだけは美しく悠然と舞っていた。


 ハッと息をのんで何かを後悔した瞬間、目のまえに人の頭部がならび、僧侶が経文を唱える声が耳に流れてくる。


 椅子に座ったまま慌ただしく隣をみると、相棒はロザリオを片手に寝息をたてていた。


 警部補は長いため息をつき、着衣の下ににじむ汗を気にしながら経文を聞きつづけたあと、脱力感の残る体を奮いたたせ、おもむろにネクタイをひきしぼりイスに深く座りなおす。


 そしてかすんだ声でつぶやく。


 「わかったよ時神様、あんたの存在は認める」


 本心では今でも興味のないお祓いの儀を、とりあえず真顔で見つめつつ言葉をつないぐ。


 「寿命がちぢむ、だから脅かすのは2度と無しにしてくれ」


 交差点でのできごとが夢でないことを物語るのか、疲れて苦笑う警部補の手のひらには、ほのかに光る桜の花びらが数枚にぎられていた。


 

完。

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スクランブル・クラッシャー 枯れた梅の木 @murasaki123

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