湯気の交換
yolu(ヨル)
湯気の交換
10月21日から通い始めたこの高校で、わたしが気に入ってるのは、外にベンチがあること──
初めて見たのは、登校日の帰り。
門を過ぎて、学校の南側で見つけた。
教室の窓からは見えない場所にあったから、見つけられたのは幸運だった。
「……きれい」
思わず口に出てしまった。
あたりをみたけど、誰もいなくてホッとする。
でも、言いたくなるほど、見事な大きなイチョウの木。
鮮やかな黄金色のさざなみが、さらさらと鳴いている。
その下に、ベンチがとってつけたように置いてあった。
忘れられたように残されていて、わたしは、そのベンチに一目惚れした。
このベンチは、登校して4日目の昼休みから、お世話になっている。
今は10月も末。道東は、札幌よりも冷えこむのが早い気がする。
地面に落ちたイチョウの葉っぱを拾い、指でくるくる回しながら、ベンチに腰を下ろすが、座ったすぐに、腰を浮かせた。
「冷たぁ……」
もう一度、ガマンで座るが、じんわりと寒さがのぼってくる。
もう外で食べるのは限界かもしれない。
とはいえ、わたしには、ここしか、ない。
……いや、ここで、いい。
「……2分40秒……っと」
今日は金曜日。
金曜日は、緑のたぬきの日だ。
ちなみに木曜日は、やきそば弁当。
やきそば弁当の作るコツは、2分30秒で湯を捨てること。
そこにソースを入れて混ぜれば、30秒の残り時間でソースが麺に染み込んでくれる。
時間通りに作ると、どうもあたしは水っぽくなる。試行錯誤の末にたどり着いた作り方だ。
昨日は忘れずに紙コップを用意しておいたので、捨てるお湯は付属の粉末を入れて、スープですべていだだいた。
しっかり体があったまるし、スープがまたソースに合う!
スマホに通知が入る。
タップすると、父からだ。
『今日の夜も遅くなりそう。適当に食べてくれ。父さんは大丈夫』
父からのメッセージに、わたしは『わかったよ』と返しておく。
だけど、コレだからダメなんだよ、とも思う。
今日の夜もカップ麺の可能性に、わたしはため息をついた。
買い物が間に合ってないからだ。
だけど、家からコンビニすら歩いて行けるほど近くにはなく、スーパーまでもけっこうな距離があり、そのため買い物は父に頼るしかない。
なのに、父と並んでの買い物にはまだ慣れず、わたしは父が用意したもので、やりくりするに徹してる。
それこそ、お弁当作りたい。とも、夕飯用意するよ。とも言えないわたしもいけないんだと思う。
でも、母親とは距離があったからといって、父親と仲が良かったわけでもない。
緑のたぬきのフタの上には、天ぷらがのっている。
わたしはサクサク派だから、あとのせなのだ。
どのタイミングで乗せようかと考えるけど、膝がじんわりと熱い。
まだ2分もある。
「見つけたーっ!」
「市原っち、めっちゃ探したんだけど!」そう言いながらとなりに座った彼女は、クラスメイトの、……名前は、知らない。
「あたし、
黒いショートヘアをかき上げ、にっこり笑った銀杏さんは、人懐っこく目を細めて、わたしの保温瓶を指さした。
「お湯、まだあるよね?」
「……え、あ、うん」
「見て! これ、関西の緑のたぬき! 食べ比べしよっ」
「……え?」
「だって、今日、緑のたぬきの日でしょ?」
銀杏さんはまた屈託なく笑う。
「あたし、なんでも知ってんの」
この人も、そうか。
納得しながらも、余計なことは言わないように、わたしは心に鍵をかけた。
ただ、銀杏さんは、わたしの斜め後ろの席にいる人だ。
わたしが机にひっかけている袋の中身が見えたのは、想像に容易い。
でもふと、恥ずかしくなり、言い訳がましく言ってしまう。
「お弁当くらい作れよって思うでしょ」
わたしがお湯を渡すと、楽しそうにフタをはがしながら、首を横に振った。
「バス通だと朝早かったりするし、この町、コンビニも少ないしさ。それに、女子だから料理するって、時代錯誤だって、あのバカ兄貴が言ってて、それは正論って思った」
銀杏さんは言いながらサクサクの天ぷらをぽちゃんとのせて、割り箸で器用にフタを抑える。
「その兄貴がさ、関西の方、遊びに行ってきて、で、お土産が、これなんだよ。なくない? もっとさ、別なのがいいよね。ホント、センスねーんだよ、あいつ」
声を遮るように、わたしのスマホが震えだす。
「体感じゃないんだ」
銀杏さんの言葉が、うまく頭に入らない。
「……? 体感?」
「え?」
「え?」
「……あたしも計るか」
横に気をつかいながらも、そっとフタを取る。
いつもなら少し時間をあけてのせる天ぷらを、今日は最初からのせることに決めた。
一度つゆにしずませると、濃い醤油のつゆがにじみ、湯気が寒いベンチに広がる。
「うわー、悪魔的な香りだぁ」
「……あの、お先に、いただきます」
「どーぞぉ」
わたしの声に、銀杏さんが返事をしてくれた。
それがちょっと嬉しくなるのが、ちょっと憎い。
つい口元がゆるんだ顔をのぞきこまれる。
「そんなに、たぬき好きなの?」
「え、あ、まぁ。きつねより、好きかな……」
「あたしもー。いっしょだね」
先週も食べた緑のたぬきだが、やっぱり、美味しい。
とくに、今日は寒いから、よけいに美味しい!
時間短めなのが功を奏し、少しコシが強めの麺に感じる。
つゆを飲み、天ぷらをかじる。食感がいい。
細い麺と天ぷらのコンビネーションは、いつまでも食べつづけたくなる、素敵なコントラスト。
ほっと胃が温まったところで、銀杏さんのスマホが震えた。
「お、できたできたー」
大胆にフタをはがすと、大きな湯気が彼女の顔に直撃するが、嬉しそうな笑顔で緑のたぬきを見下ろしている。
彼女が開けたそこには、ほどよくふやけた天ぷらと、薄い色のつゆが見える。
「色がちがう」
「え、まじ?」
わたしがとなりにカップを並べると、銀杏さんは頷きつつ、驚いているが、テンションが高い。
「ほんとだ! 関西って色が薄いって聞いてたけど、カップ麺でも違うんだね!」
言いながら、カップが彼女の桃色の唇に吸いついた。
「……出汁、きいてる。あー、カツオ? 塩?」
つるつると麺を啜りながらも、わたしのカップ麺に視線が飛んでくる。
ひと口、スープを飲み込み、わたしは差し出した。
「はい……」
「ありがと! いいね、湯気の交換!」
交換で渡された緑のたぬきは、やっぱりさっきの緑のたぬきとは、色から違う。
そっと、ひと口、飲む。
「……わ、なんだろ。でも、北海道のは昆布系なんだ」
「あー、そうかも! ね、関西風って、なんかおしゃれな味に感じない?」
もう一度、汁を飲み込んだ。
本当だ。
ていねいな出汁の味が、よそいきのそばの味に感じる。
さらに、ほどけた天ぷらがコクをだしていて、『あとのせ』より、『さきのせ』のほうが、いいのかもしれない。
「ね、どっち好き?」
銀杏さんから戻されて、わたしは改めて食べ直した。
「……うーん、でも、こっちかな」
自分のそばを指さすと、銀杏さんがにひひと笑う。
「あたしも! そっちの味、ほっとするよね」
それからは、しゃべることなく、そばを啜っていた。
つゆをすべて飲みほし、はっと息を吐くと、白く滲んだ気がする。
「今日、冷えてるね」
銀杏さんの声に、わたしは「うん」とだけ、返す。
「田舎ってやでしょ」
その言葉に、わたしは首をかしげて見せた。
彼女は、あっけらかんと笑う。
「だってさ、市原っちがここに来た理由、みんな知ってるしさ」
──父は、札幌にある一軒家を、そっくり母と弟に渡した。
そして、逃げるように、こんな道東の片田舎へ仕事を決め、引っ越してきたのだ。
わたしも、というべきか、母と折り合いが悪かった。
行きたい高校も否定され、髪型も体型も馬鹿にされて、それならと、父を選んだ。
あのときは良かれと思ったのに、すべて母の罠だったのではと思う瞬間が、何度も何度も、何度も、ある。
それでも、父は一生懸命、新しい生活を始めようとしようとしている。
だからこそ、言えない。
生活での不自由な部分はもちろん、詮索する同級生たちから逃げて一人でいることも、なに一つ言えない──
「そういうのって、楽しいよね、他の人って。……で、銀杏さんは、わたしに何を聞きにきたの?」
「え? 湯気の交換、しにきただけだけど」
拍子抜けだ。
あれだけ初日から詮索を受けてきて、まさかの、湯気の交換とは……。
不思議そうに銀杏さんはわたしを見るけど、食べながらも、少しは緊張していたわたしの気持ちを返してほしい。
「でも、湯気の交換って?」
「さっき、自分で言って気に入ったから! またしようね」
銀杏さんの言葉は、心を明るくする、なにかのチカラがあるみたいだ。
久しぶりに、頬が柔らかく、温かくなる気がする。
「いやー、もっと早く話しかけたかったんだけど、きっかけなくて。兄貴に感謝だわぁ」
「……ありがと」
「なに。あたしも、元転校生なんでね。洗礼は受けててさ」
体の中から温まると、暑く感じるほど。
それでも風が吹けば、体温は下がる。
教室に戻るタイミングだ。
そう思ったとき、銀杏さんがイチョウを見上げながら立ち上がる。
「ね、市原っち、イチョウの花言葉って知ってる?」
「え、あー……しらない」
「イチョウの花言葉って、長寿なんだって。ダサくない?」
くるりと振りかえり、わたしに手を差し出した。
「あたしの花言葉は、元気! 仲良くしよ、市原っち」
思わず握ってしまった手は、ぐいっと引きあげられる。
わたしが立ちあがっても、彼女の手は離れない。
「ね、優里って呼んで。だからあたしも、市原っちのこと、名前で呼びたい」
「あたし? ……み、
「あー、だから、たぬき派なの?」
「言うと思った」
並んで歩きだした足は、昨日のように、重くない。
湯気の交換で結ばれた縁が、しっかり、つながった気がする。
「えー、ミドリかぁ……ミドリの花言葉は、『幸せ』かなぁ。……あ、うん、似合うね!」
わたしは、優里のその言葉に、俯きながら、強く手を握り返した。
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