44.権利を奪われるなら義務を放棄する

 苛々した様子で部屋を歩き回る母を横目に、パトリツィオは溜め息を吐いた。今日もまたダメだったな。愛した人を紹介したいと告げた途端、半狂乱になって奇声を発した。その叫び声は遠くにいた父アルバーノの耳にも届いたほど。


 驚いたパトリツィオが別の話に意識を逸らさなければ、まだ叫んでいたかも知れない。シモーニ公爵令嬢ジェラルディーナの名を呼びながら、彼女だけを求めた。


 母を傷つけたいのではない。ただ、僕と僕が愛した人を認めてほしいだけだ。そんなに大層なことを望んでいるとは思えなかった。王家という特殊な環境を除いても、母に結婚したい恋人を紹介することは悪いことじゃない。なのに、これほど拒絶されるなんて。


 流石に騒動が大きくなったため、父アルバーノも妻リーディアの異変に気づいた。明らかに狂人じみた目つきで睨み、暴言を吐き、泣き叫んで髪をむしる。止めた息子に叫びながら噛みつこうとした。


 父は慌てて避難したが、今頃母の実家である宰相のアナスタージ家を交えて、対応を協議している頃だろう。国王としても、父としても、一人の男としてであっても。尊敬する部分のない人だった。側室を取るなら、どうして平等に愛さなかった? それが出来ないなら、複数の妻を娶るなど許されないのに。


 表では王妃を立てて、裏で側室に溺れる。それも側室が先に王子を産むなど、御家騒動が起きるのは分かりきっていた。その結末がこれだ。王妃であるリーディアは狂った。生まれていたはずの姉は殺され、公爵家の令嬢をまるで人形のように可愛がる。その異常性は、以前から顕著だった。


 もし……少しでも国王アルバーノが王妃リーディアを愛していたら、月に数回でも寝室に渡っていたら。


「もし……は、ないけどね」


 パトリツィオは悲しそうに母を見つめる。落ち着いて花を愛でながらお茶を飲む姿は優雅で、宰相や王妃を何度も輩出したアナスタージ侯爵家に相応しい佇まいだった。愛がなくても、気にかけてもらっていたら違ったのだろうか。


 彼女を哀れに思うからこそ、パトリツィオは結婚相手に妥協しない。愛し愛される令嬢と結ばれたかった。こんな悲劇はもう御免だ。王家はさまざまな柵やしきたりが多く、愛する人と結ばれない場合もあるだろう。それならば、潔く王座を誰かに開け渡せばいい。


 僕がそう考えるように……パトリツィオは唇を噛む。少女のように微笑み、大輪の花を撫でる母から目を逸らした。王家に残る直系の王子は僕だけだ。だが、僕が辞退すればいくらでも立候補する奴はいる。


 母が認めないなら、僕も権利を放棄する――まだ口に出さない決意を秘め、パトリツィオは窓の外へ目を向けた。曇り空で薄暗いが、入ってくる風は心地よかった。

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