彼女が父の話をしていたのに、俺は乳の話だと思っていた

蹴神ミコト

彼女の乳がお詫びをしたいそうで



 俺は猿山修吾(さるやましゅうご)、高校2年生。

 

 いつものように俺は夕方のランニングをしていた。日課のランニングコースは土手の上なのだがここの土手はとても高くて景色が良い。


 広い空に遠くに見える山々、大きな川と砂利の河川敷。そんな景色を土手の上から横目に走るのが俺の日課だ。とても気分が良い。

 特に空の広さが良い。建物に邪魔をされないどこまでも広がる空を見ていると小さな悩みなんてどこかへ行ってしまいそうになる。


 ランニングをしているとすれ違う、買い物帰りの主婦さんや急斜面をダンボールで滑り降りるたくましい小学生たちはもうすっかり顔見知り。



 そんな親しんだ道で見覚えの無い女の子に出会った。


 いや、正確に言えばこの道では見覚えが無いだけで知っている。クラスメイトの小野寺薫(おのでらかおる)さんだ。顔が3つあるのかと錯覚するほどの巨乳。前世は魔界の門を守るケルベロスだったのかもしれない。


 小野寺さんはいつも茶色い髪の前髪で目を隠して俯きがちで、よくぶつからずに歩けるなと思う。目隠れ巨乳というやつだ。あんな状態で周囲がどれだけ見えているのか分からないけど、少なくとも足元の視界は悪いと思われる。大きいので。



 そんな小野寺さんはふらりふらりと土手の上を歩いていた。あれはちょっと心配だ。


 小学生たちのように最初から滑り降りるつもりならともかく、不安定な姿勢で坂に足を踏み入れれば20秒は転がって勢いがついたまま砂利の上に叩きつけられてしまうだろう。…よく考えたらとんでもないなこの土手。


 向かい側からこちらへとふらりふらり歩く小野寺さんに俺は声をかけ近づく。



「小野寺さんどうしたの?大丈夫?」



 突然の声にビクンとする小野寺さん。ビクンと揺れる大きな乳。素晴らしい。

 ぼんやりとしているのか反応が悪い。大丈夫かな?



「…猿山くん? …あっ」

「っと危なっ!」



 小野寺さんは片足が斜面を踏みそうだった。

 ふらふらした状態でそこに足をつくのは危ないので思わず俺は彼女を支えるために抱きしめてしまった!



 抱きしめるほど近づけば2頭のケルベロスも俺に当たる。

 むにゅんと沈む包容力。ぽいんと弾き返す弾力。人肌の温度が埋めつくす乳の圧。

 人助けのご褒美は極楽浄土、天国はここにあった…いかんいかん。



 思考がトリップしかけたがまた転びそうになっても困る。天国はなごり惜しいがいつまでもこうしているわけにもいかない。俺は小野寺さんを道の真ん中へ立たせ、自分が砂利や川のある方へ立ち位置を入れ替えてから体を離した。



「小野寺さん、ここでふらふらしていると危ないから腰を降ろして少し休まないか?」


 と俺は提案をし──



「コラァ離れろそこの男!!」



 突然!やってきた厳格そうなおじさんに怒鳴られてびっくりした俺は逃げようとしてしまい足を滑らせて土手を転がり落ちていった。クラスメイトのおっぱいを堪能した直後に怒鳴られたら誰だって逃げるよね!アッハッハ!!うおお止まらないぞこれ!!



 転がり落ちながら芝生が見える、空が見える、小野寺さんとおじさんが顔を青くしているのが見える、落下地点の砂利がどんどん迫ってくるのが見える。

 加速する加速する加速する、小野寺さんの乳って天国から物理的に転がり落ちて地獄がすぐそこに。やばい頭から落ちたら死ぬかも。

 マジで危なかったからか、景色がゆっくりにみえて──たぶん──ここ?



 俺が突き出した足は見事に足の裏から砂利に着地した。そこで大きく勢いが減って砂利の上をゴロンゴロン横転。


 …おお?生きてる!良かった、極楽浄土は小野寺さんの乳だけで十分だよ!


 奇跡的にケガ1つ無かったし、乳の幸福感が残っていたからか痛みも感じなかった。







「あ、あの猿山君…昨日は父が失礼しました…」

「乳のことで謝らなくていいよ」



 翌日、学校で小野寺さんに呼び出され謝罪を受けた。昨日も謝られたけどもういいのに。


 確かにちょっと死にかけたけど元はと言えば俺が悪いんだ。人を助けるときに邪念を持ってしまったのが原因だもの。乳に罪は無い、悪いのは俺の煩悩だから謝るなら俺の方だ。未だに煩悩が捨てきれずに乳の事ばかり考えてしまう。


 俺が砂利の上でゴロンゴロンした後に厳格そうなおじさんこと、小野寺さんのお父さんにもめっちゃ謝られたしね。

 小野寺さんは飼っている犬が亡くなったばかりで元気が無くてフラフラと散歩コースを歩いていたんだとか。俺は夕方走っている道だったけど、小野寺さんと愛犬は朝の散歩コースだったらしい。



「ですが父もお詫びをしたいと申しておりまして…」

「乳がお詫びを!?」



 なんだその素敵なお誘いは!??

 待って!?乳のお詫びってそれはもう熱烈なお誘いでしょ!?遠回しな告白なのかこれ!?



「猿山くんの都合がよろしければ今日の18時に我が家へいらしていただけないでしょうか?」

「行く行く!必ず行く!!」



 間違いない!告白だこれ!!かなりエッチな告白だこれ!!!


 授業が終わるのがとても遅く感じた。ああ早く放課後にならないかな!







 小野寺さんの家は立派な庭付き一軒家で高そうな車が置いてあった。

 …え、お父さんいるの?お父さんがいる家で乳のお詫びあるの?


 ははーん、小野寺さんさてはムッツリだな?



 ドキドキしながらインターホンを鳴らす。

 お父さんに会ってしまった時に鼻の下を伸ばしている訳にもいかないだろう。

 シャキッとした顔をイメージして小野寺さんの返事を待つ。



「猿山君いらっしゃい、中へ入りたまえ」

「あ、はい」



 インターホンの返事からもうお父さんだった。

 お父さんに案内されて居間でテーブルを挟んでソファーに座り、昨日の話をされる。



「昨日は本当に申し訳なかった…君が薫を助けてくれたとは知らずに…」

「いえ、まだ立ち直れていなくて心ここにあらずな小野…薫さんを見つけたら。男が抱きかかえていて手を離した所とか誤解しても仕方ないかと…」



 お父さんは申し訳なさそうに頭を下げながら言うけどマジで間が悪すぎただけだよね昨日の。

 俺は小野寺さんを助けただけだし。お父さんも小野寺さんを助けたかっただけだし。



「だがしかし、それで死にかけたのに謝罪一つで許してもらうわけにもいかない。この小野寺厳戒(おのでらげんかい)、出来る限り君の助けになろうじゃないか!」

「えーっとそう言われましても…」



 乳で幸せを感じた罪悪感で逃げて死にかけて自業自得。ケガは特になし。

 乳のお詫びで誘われて不純100%の気持ちでノコノコやってきたら厳戒さんが助けになってくれる。

 …申し訳なさ過ぎて頼れないぞ!?



「頼りづらいというなら気軽な相談相手でもいいんだぞ?何か家族にも相談しづらい男の秘密の1つや2つあるだろう?」



 ここまで言うんだ。形だけでも何か1つくらいは頼らないと今日は帰れないかもしれない。

 乳のお詫びに釣られた結果がオジサンと夜を過ごすとか嫌すぎる。なにか…なにか無かったか相談事…乳…



「相談…えーっと……薫さんに告白されたんですけどどうすればいいんでしょうか」



 空気がなんか凍った。


 なんでそれをチョイスした俺。頭が乳のお詫びしか考えてなかったせいだ。

 仕方ないよ。乳のお詫びってどんなものか考えちゃうよ。男の子だもん。



「薫から…告白を受けたと?」

「具体的な言葉は控えますが、そうとしか思えないことを言われまして…」

「心の整理をつけるから少しだけ時間をくれ」



 厳戒さんはソファーに深く腰掛けなおし。上を見上げてしばらく目を瞑る。


 何も言えない空気が流れる。外の鳥の鳴き声が妙に大きく聞こえる。どれだけ静かなんだ。



 再び目が開いたのは10分後だったのでめちゃくちゃ気まずかった。もう乳のお詫びの楽しみは完全に消えた。つらい。




「猿山君の助けになろうと言ったのは私だし、それを信じて言いづらい相談をしてくれたのは君だ。なので薫の親ということはいったん置いておいて…なんだ、冴えない男が国宝級美少女に告白されて戸惑っていると?」

「思いっきり親としてのセリフですよねそれ!?」

「ハハハこのくらいの冗談は許してくれ」



 はーっと大きなため息をついて厳戒さんは話を続ける。



「まあ冗談はこのくらいにして。 告白されたならイエスかノーか友達からのどれかだろう。いずれにしろ君自身の気持ち次第じゃないか?不必要に泣かせたら殺すが」

「泣かせたら殺すって…それはイエスって言えって意味ですか?」



 厳戒さんは軽く首を横に振りつつ話す。



「不必要に泣かせたらだ。恋だの愛だのはお互いが居て初めて成立するんだから駄目な時だってある。断るのも君の自由だろう。だけど必要以上に無駄に泣かせて傷つけるな。どんな答えでも1人の人間として尊重して考えなさい」



 一人の人間として尊重…俺は小野寺の事を……





 乳しか見てなかった。俺、失礼すぎやしないか??

 助けようと善意で動いたはずなのにその後は乳に頭が浸食されていたことに今気づいた。



 今日も小野寺の誘い方に非が無いとは言い切れないけど、小野寺の告白を乳のオマケとしか考えていなかった!…俺はなんて酷いことを…!?



 乳しか見ていなかった俺じゃイエスもノーも無い。答える資格すらない。

 だけどこんな失礼な俺に小野寺は告白してくれたんだ。俺はせめて彼女とちゃんと向き合いたい。そうじゃないと失礼すぎるし罪悪感もやばい、なにより小野寺が可哀そうじゃないか!!


 よし、小野寺さんとちゃんと向き合おう!



「厳戒さん、俺。今日は帰ります」

「覚悟を決めた男の面構えをしているな。なにかあったらすぐに頼りなさい」

「はい!」

「応援しているとは素直には言えないが…まあ、薫から告白したなら君が誠実な限りは力になろう」



 俺と厳戒さんは連絡先を交換した後、拳を合わせてまるで戦友のようにお別れした。

 厳戒さんは複雑そうに笑っていたけど娘の好きな男の恋愛相談に乗ってくれるなんて覚悟が必要だったはずだ。厳戒さんの覚悟を無駄にしないためにも俺は誠実に小野寺さんと関わるぞ!








 次の日から俺は学校で積極的に小野寺さんに話しかけてた。

 だが困ったことに目が乳へと吸い込まれる。くそうケルベロスが撫でて撫でてと幻聴を喋っている。よしよししたい。


 ダメだダメだ!顔を見ろ顔を!!

 一回味わってから乳の魔力が脳を侵食する。洗脳が強い。



 乳のお詫びなんて官能的な告白をしてきた小野寺さんは他の男子とは距離を取っているのに俺とは仲良くしてくれた。やっぱり昨日のあれは告白だったのだろう。ごめん、俺がちゃんと君と向かい合えるまで返事はもう少し待っていてくれ。


 こうして距離を縮めていくと気づいたことがある。小野寺さんは下ばかり見ていて笑うことが少ないのだ。ふらふらしていたくらいだし飼い犬を亡くした事が尾を引いているのだろうか…

 せっかくだし関わっていくならしょんぼり顔より笑顔が見たい…よし!



「小野寺さん。今度俺と遊びに行かないか?」

「えっ、えと、あの…父に聞」

「乳なんて関係ない。俺は小野寺さんと遊びに行きたいんだ」



 小野寺さんは何か言いかけたけどやはり俺が乳を見てしまっていることに気づいているのだろうか。

 ごめん、今必死に向かい合おうとしているけどまだ目が釣られるんだ許してくれ…


 少し渋っていたけど仕方ないなぁと言わんばかりの反応でOKを貰えたので一緒に遊びに行くことになった。よし、楽しい所に連れ回して必ず笑わせてやる!







 今日は小野寺さんと遊ぶ日だ!デートではない、遊ぶだけだ。



 俺は小野寺さんから告白を受けてはいるがそれに応えられるような男じゃない。

 だから今日は遊ぶ日。友達として彼女を笑わせることを目的とした日だ。


 時間になり小野寺さんがやってきた。私服!初めてケルベロスと触れ合った日と同じラフな格好だった。気合いを入れたデート服などではない。ちゃんと遊びに行くって正しい意味で伝わっていて良かった。



「小野寺さん、今日はあの日と同じ服なんだね」

「まあ…散歩でも着ていたラフな私服ですよ」


「じゃあ今日は遊ぼうか!いくつか候補を用意してあるけどどこがいい?」

「あの、猿山君ちょっといいですか」

「うん、なに?」



「…どうしてあなたは私を遊びに誘ったんですか?」



 妙に真剣に聞かれた気がするが理由はシンプルだ。


「小野寺さんの笑っているところが見たいからだけど?」



 小野寺さんは顔を真っ赤にしていつも俯きがちな顔が更に俯いてしまった。

 せっかくこうやって仲良くなれそうな人には笑っていて欲しいなって思っただけなんだけど…告白した相手から笑顔が見たいなんていわれたらこうもなるよな。


 まあでも今日は笑顔になってもらうために色々考えてきたんだ。よーし遊ぼうぜ!


 その後は色々と手を尽くしたが小野寺さんはなかなか笑ってくれなくて、俺がもっと愉快な男だったらと何度思った事か。


 結論から言うと色々手を尽くした末にやっと自然に笑ってもらえた。それは乳よりも俺の心をギュッっと掴む素敵な笑顔だった。







 小野寺さんと遊びに行ってから俺はおかしい。


 手を尽くして彼女が笑ってくれたのが嬉しくて嬉しくて、その笑顔にギュッときた。目元が隠れていてもめちゃくちゃ可愛い笑顔だった。

 手を尽くした末に笑ってもらえた達成感なのか?もっと簡単に笑ってくれたらこの感情は違ったのか?俺がもっと愉快な男だったら違ったのか?



 クラスにいる女の子を見ても可愛いとか美人だとは思うけどギュッと心は掴まれない。

 そういえばあれ以降、乳じゃなくて小野寺さんの顔というか存在そのものに目がいっているな…



 あれ、もしかして俺…小野寺さんの事が好きなんじゃ?



 …でも普通に考えたら告白してきた相手が笑ってくれたらそりゃ意識しちゃうよな…まだ小さな恋心だけど俺は小野寺さんが好きなのかもしれない。

 まさか小野寺さんをちゃんと見ようとして、ちゃんと見れたのが好きになった瞬間からとは…


 でも、だからといってこの間の告白にOKって返事をするのは何か違うと思う。大好きって告白じゃないけど『これからもっと仲良くなりたい』って意味ではもう小野寺さんの事を好きな女の子だと俺は思っている。そうと決まったら俺から告白したい。そうだ、今度の誕生日に…







★小野寺薫side



 私は人の顔が見れない。

 だってみんな私の胸ばかり見てきて誰一人顔を見ない、目を合わせない。


 次第に私は、胸への視線を感じるたびに自分が胸のオマケとして見られている気がしてきた。


 最初は男の人からの目線だけ嫌だったけど胸を見られることがもう嫌になってしまい、男女どっちも顔を見れなくなった。 元気な子だったはずの私は、心と裏腹に感情を表に出すことも減った。


 胸への視線なんてやめてほしい。私は小野寺薫だ。胸のオマケじゃない。



 ある日、家族を失った。飼い犬のケルちゃん…

 ケルちゃんを失った悲しみは何日も続き、散歩コースだった土手の上をふらふらと歩いてケルちゃんとの日々を思い出していた。

 ここの土手は景色が良い。遠くに見える山々、大きな川と砂利の河川敷。それを高い土手の上から眺めながらの散歩は楽しかったな。


 でも、そんな風景も今見ると寂しいだけ。土手からの景色が気分の良い物だったことすら忘れてしまいそうだった。



 思い出と悲しみを背負い、ふらふらと歩いていた私はクラスメイトに会った。

 猿山修吾くん。ちょっと高めの背に細く引き締まった体の人。ちなみに私は声と体格で人を判断している


 クラスメイトの登場に気を取られた私は足を滑らせて土手から落ちそうになった。毎朝散歩をしながら高い所からの風景を楽しんでいた土手だ。とても高いんだここは。足が斜面を踏みかけた瞬間、あっやばいと思った。


 でも大丈夫だった。猿山君が抱きとめてくれたから。

 びっくりしたけど落ちなくて良かった。助かった。


 でも私がありがとうって言う前にお父さんの怒鳴り声で猿山君は土手を転がり落ちていった。

 ただでさえ心配なのにそれはまるで私の身代わりに落ちたような気分で血の気がどんどん引いていった。



 けど、見事に勢いを殺して転がって猿山くんは無事だった。スタントマンになれそうだな彼は。

 怒鳴りこんだお父さんの誤解も解け無事に和解…で終わるわけにもいかず。

 翌日、猿山君を家にお呼びすることになった。


 謝る事なんてないって言いながらやたらとお詫びへの食いつきは良かった。

 何かお父さんを頼りたいことでもあったのだろうか。



 夜、猿山君の事をお父さんに聞いてみた。



「猿山君とどんな話をしたんですか?」

「…恋愛相談かな」



 複雑そうに笑うお父さん。そりゃ土手から怒声で突き落とした相手に恋愛相談をされたらこんな顔にもなるのかな。





 翌日から猿山君がよく話しかけてくるようになった。



 うん?もしかして恋愛相談って私か!?私が好きなのか!?

 しかも胸目当てだったらお父さんが怒るだろうから、お父さんが複雑そうでも笑っていたってことは…えっ、不純じゃなくてガチなの猿山君!?


 そう思うと『どうせ胸ばかりみてるんでしょ』と邪険には出来なかった。だけど意識なんてしない、意識なんてしない!


 ふと、私の事が好きな彼はどんな顔をしているのかと気になったけど…これで顔を上げてみたら『見ていたのは胸だった!』…なんて事になったら辛いから顔は見なかった。ごめんね、まだ信じられないや。


 ある日の教室で猿山くんは私の秘密に気づいた。



「あの土手景色が良いよな」

「うん、遠くに見える山も大きな川もいいよね」

「俺が一番好きなのは空なんだけど…もしかして小野寺はあまり上を見てないの?」



 やっぱりいつも俯いて髪で目を隠していたらそう思うかぁ。私の事を本当に好きなら伝えるべきか。



「…色々あって人の顔を見ないようにしていてさ…上の方もあまり見ないように髪で目を隠しているの」

「そっか…でも、あの土手で見る空は本当に良いぞ。悩みが薄れていくくらい広い空が気持ちいいんだ。いつか一緒に見たいな」



 私が上を向けるかどうかは…猿山君のことを本当に信じられたらかなぁ。家族以外でも胸じゃない、小野寺薫を見てくれる人がいたら上も向けるようになるのかもしれない。

 私の事を好きなんだろうなって会話頻度からもお父さんの態度からも伝わってくるんだけどね。信じるにはまだ難しい。





 ある日遊びに誘われた。


 私の事を好きな男子が、私を遊びに誘ったのだ。

 待て待て待て、デートじゃないと思う。だけどちょっと勇気がいるってOK出すには!



「えっ、えと、あの…父に聞」

「乳なんて関係ない。俺は小野寺さんと遊びに行きたいんだ」



 ーーーーっ! ああ、もう!仕方ないなぁ…いーよ。遊びに行こう。



 でもこれはデートでは無い。断じてデートでは無い!私は服装に悩みに悩んでラフな私服で出かけた。案の定、合流しても服は褒められない。そうだろう今日は普通の遊びだ。意識なんてしていなかったとも。


 なんで私を遊びに?



「…どうしてあなたは私を遊びに誘ったんですか?」


「小野寺さんの笑っているところがみたいからだけど?」




 あーもう…本気かー…本気かー猿山君…私の事そんなに好きか!


 私は赤くなる顔を止めることが出来なかった。


 最初はドキドキしすぎてそればかり考えてしまった。猿山君が話を振ってくれたりしてもなかなか反応が出来なかった。だけどゲームセンターでクレーンゲームに必死になる猿山君をみていたら胸どころかこの人こっち見てないなと思って緊張が解けた。



「落ちた!よしよし…じゃあ小野寺さん。今日付き合ってくれたお礼にプレゼント」



 必死になっていたの私へのプレゼントか!それは嬉しいけどセンス悪かったらどんな顔をすべきか…夕焼けが描かれた扇子ですね。くそう、地味に困らないプレゼントでなんだか悔しい。

 彼は私を笑わせたいといった。このプレゼントも下心なんてなく、ただ私を喜ばそうとしたのかな?



「小野寺さん一緒にガンゲーやってみない?」



 お父さんの関門も突破して私の事が好きで声かけてきて、なのにデートじゃなくて遊びに連れ出して!なんなのさ猿山君!あーもうなんだか変に意識しているのが馬鹿らしくなってきたから遊んでやるっ!



「ガンゲー久々だけどよろしくね!」



 男の子に胸を見られる心配をせずに一緒に遊べたのはとても久々の経験だった。いつのまにか笑っていて子供の頃のように少しだけ感情を表に出せてびっくりした。


 まだ好きまではいかないけど。まだまだだけど!猿山君はそれなりに私の心に入り込んでいた。







 誕生日の放課後に猿山君に呼び出された。場所は出会ったあの土手。ケルちゃんとの思い出の場所。



「小野寺さん。今日誕生日なんでしょ?実はプレゼントを用意してきたんだけど…」

「えっ…どうして誕生日を知っているの?」

「厳戒さんから聞いた」



 あのー…誕生日にお父さんが協力済みって本気の本気で私の事…やっぱり……好き、なのかな君は…


 でも私はまだ彼の顔を見れない。どうしよう怖い、ここまでお父さんが協力しているなら大丈夫だよね?猿山くんは私の胸を見ないよね?ゲーセンの時は勢いで気にしなかったけど冷静になると彼の顔を見る勇気が出てこない。


 彼が何を見ているのかを確かめるのが怖い…



 ビビる私の前で猿山君はプレゼントの小箱を開けた。後にして思えばこの押し切り方はお父さんと相談済みだったのだろう。



「プレゼントは…ヘアピンなんだけどさ。小野寺さんに見て欲しいんだ、土手の上からの広い空。髪をどかして見てみなよ。どこまでも広くて景色最高なんだぜ」

「ヘアピンは…私に上を、空を見せたかったから?」

「それが半分かな。後は俺が小野寺さんの顔をちゃんと見たいから」




「好きな子の顔をちゃんと見たいんだ」



 その言葉に動かされておそるおそる…だけど自然に猿山くんの顔を見てしまった。


 彼はちゃんと私の顔を見てくれていた。



 胸のオマケじゃない。猿山修吾くんは小野寺薫を見てくれている。その上で好きだと言ってくれた。


 今まで何度も、ゲーセンのあたりから私の事をちゃんと見てくれている気がしてはいたけど告白をされて顔も見て。本当に、本当に私を見てくれていたんだと実感できた。

 


「みんなが大好きな私の胸より、私の顔を見たいだなんて猿山君は馬鹿だなぁ…」



 私は赤い顔で、泣きながらヘアピンを受け取って上も見えるように前髪を止めた。そして再度猿山君の顔を見た。すっごく恥ずかしかったけれど彼の眼がちゃんと私を見てくれている事は恥ずかしさを上回るくらい嬉しかった。

 それが何より嬉しかったし、猿山君も真っ赤になっていたので引き分けだろう。


 どうしよう、私も彼を好きになってしまったかもしれない。



 私を見てくれることが嬉しくてじーっと見つめ合っていると夕日が彩り、空はすっかり茜色に。


 一緒に茜色の空を見上げて綺麗だねって、彼がプレゼントしてくれた空に吸い込まれるように、私は言葉と感情が自然と漏れた。








 これらのすれ違いが発覚したのは私たちの子に両親のなれそめを教えたときのことであったとさ。

 娘から「お父さんとお母さんは馬鹿だったんだね」って言われたのはグサリと来たけど仕方ないじゃん!切っ掛けなんていいんだよ!!



 私の世界を広げてくれた。感情も出せるようにしてくれた。お馬鹿だけど私をちゃんと見てくれた気持ちは本物だって一緒に暮らしていてよく分かるし。私も娘も夫もみんなお互いに大好きな仲良し家族なんだからお馬鹿な切っ掛けはむしろ運命とか奇跡とかって言うんだよ。


 私の名前は猿山薫。真実を知って100年の恋が醒めるどころかお馬鹿すぎて笑ってしまって「あなたらしいよ」と笑い返せた幸せな主婦だ。

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彼女が父の話をしていたのに、俺は乳の話だと思っていた 蹴神ミコト @kkkmikoto

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