第2話









立派な門を潜るとやはり中も立派であった

実家の兄弟部屋より広い玄関だ

木彫りの熊が鮭を咥えている置物が玄関棚の上から見つめている

横の花瓶にはクレマチスという可愛らしい花が生けられていた


「あら!」

女中のような淡い赤の和服を着た女性がこちらを見て驚いな顔をした

「椿さんお外にいらしたの?またお身体を崩しますよ?ああもうこんなに冷えてしまって…」

ささっと椿に寄って頬に触れ冷たいと呟き

手拭いで髪に残った雪を払う

「…お客さんです」

ポツリと椿が呟く


そこで女中のような年配の女性は俺に気づく

「….あら大きい。いや失礼しました。どちら様でしょうか?」

最初に小さく呟いた後、佇まいを直しそう尋ねられた

「突然にすみません。今日からお世話になります。真崎誠次郎という者です」

黒い学生帽を外し直角に腰を曲げ頭を下げる誠次郎

一瞬女性が驚いたようだが頭を下げた誠次郎にはわからなかった

「あっ!あなたなのね!随分と大きい人だからどこかの士官学生さんかと思ったわ。ということは確か…十…」

「十三です。今年で十四になります」

そう答えた

「あら立派に逞しくなられましたのねぇ。いつまでも玄関にいても仕方ないですよね。入ってらっしゃい」

俺の肩についた溶けかけの雪を払いながらそう言った

「はい」

答えて靴を脱ぐ

固く結んだ紐を解き端に置く

隣では雪駄を脱いだ椿が待っていた

さっき椿とあの人は呼んでいたな

知り合いの子なのかもしれない

目があって微笑むと顔を赤らめて微笑み返してくれた

玄関には二階へ続くと思われる階段と

三叉にわかれた廊下が見受けられる

その真ん中の廊下を通りついていく

自然とまた手をつなぎ合って僅かに軋む木の床を歩く

障子で隔たれた部屋がいくつもあり先程黒電話もあって裕福な家だと改めて感じた

廊下の天井にも電球がついていて夜中でも安心して歩けそうだ

実家のはすぐに電球が切れてしまい

闇市で買った品らしくすぐ悪くなる

その度に机の上に燭台を置き蝋燭の灯りで過ごす日々が多かった

あれはあれで俺は静謐な雰囲気が好きで

兄もよくわざわざ蝋燭の灯りをつけて本を読んだり

窓から夜空を見ていることがある

今は寒いから寒がりな兄はきっと窓を開けはしないだろうけど

そんなことを思い出した


「お疲れでしょうからこちらでお休みになられて。今温かいものでもお出ししますから」


「いえお構いなく…」

年配の女性は軽く頭を下げて下がっていった

まるで格式高い料亭にでもきたような気持ちになる

通された部屋は客間で光沢感のある和卓と墨で描かれた掛け軸

そして机の上の籐の籠にはみかんが重ねて入っていた

火鉢も置いてあり上には薬缶と火箸が灰に刺さっていた

置いてある座布団の上に座る

横の座布団に椿もちょこんと座る

座る所作も姿勢も凛としていた


部屋は静かでガラス戸からは雪が乗った松の木が見える

脱いだ外套を畳んで横に置いておく

部屋は暖かく寒暖差から体の血の巡りを感じた

するとちょんちょんと袖を控えめに引っ張られる

顔を向けると椿がいつのまにか卓の上にあったみかんと一つ取り皮を剥いていたらしい

そして半分に分けて俺に差し出した

手と共にみかん独特の香りがした

「貰っていいのかな?」

コクンと椿は頷く

「ありがとう。頂きます」

手のひらに受け取り、一房とって口に入れる

柑橘の香りが広がり噛むと果汁と酸味が最初に伝わり

そして甘さが感じられた

よく熟していて美味しい

「美味しい」

思わずそう呟くと隣でジッと見つめていた椿は嬉しそうに微笑み

自分も小さな手で一房とり口に入れた

口元に笑みを浮かべ美味しそうに食べる

その仕草が可愛らしく俺は暖かい気持ちになった

あっという間に一つを食べ終え、椿が二つ目を取ろうとしたので俺が先にみかんを掴んだ

不思議そうな顔をした椿に微笑み今度は俺がみかんの皮を剥いてあげた

皮を剥くたびに爽やかなみかんの香りが広がる

半分に分けて一房とって椿の口元に寄せる

キョトンしている椿に、あーんと言った

すると察したらしく頬を染めて照れながらもゆっくりと

桃色の唇が開いた

そこに優しくみかんを入れる

椿は蜜柑を口に含むともぐもぐと食べた

そして嬉しそうに笑った

つい子供扱いしてしまったが嫌ではないようだ

どうやら自分は既にこの子が気に入ってしまったらしい

自覚はないが兄によれば気にいれば気にいるほど、俺は過保護でしつこいらしい

子犬が捨てられたのを見つけた時

ずっと世話をしていて親に隠れて世話をしていたら兄に見つかり笑われてそう言われた

端材で小屋を作り自分の小遣いで暖かそうな古布を買って

毎日弁当で食べれそうなものをあげていた

暫くすると飼ってくれる人が見つかり貰われてしまった時寂寞間を感じた

後日首輪をつけて散歩している姿を見て嬉しく思った

だからせっかく出会えた椿にしつこくして嫌われないようにしないとと内心思う


「はい…」

「あっ」

唇に冷たい感触がした

ほのかにみかんの香りと、花の香り

椿が俺の真似をしてみかんを一房くれるらしい

勢い余ってか白い指先が触れてしまったようだ

少し照れを感じたが、あーんと言っている椿を真似てあーんと言って口に入れた

先程のみかんより甘く感じられた

「美味しい。ありがとう」

声音を優しく。感謝の気持ちを込めるように言った

すると花が開くように椿が微笑む

その笑顔はとても可愛くて抱きしめたくなった

だがちゃんと自制した

ポンポンと頭を撫でそして椿に向き直り両手の掌を上にして膝の上に乗せる

不思議そうな顔をした椿

「手を乗せてくれる?」

まだ意図がわからないが椿は素直に従ってくれた

俺の掌の上に重なるように柔らかく外に出ていたせいで冷たい小さな手を俺は優しく、労わるように包み込む

大きさに差があるおかげで簡単に包み込めた

椿は艶のある黒目を丸くしていた

「こんなに冷えてしまって、寒かったろう?」

親指の腹で椿の手の甲を撫でる

次第に温もりが移ったのか温度差を感じなくなった

「………あったかい」

小さく呟く椿

こんな小さくお淑やかな子が冷えてしまっているのが

俺は嫌だった




「お待たせしました。あら仲良しなのね」

おほほと笑って俺たちを見る女性

流石に照れ臭さを感じるが、構わなかった

仲良しと言われたのが嬉しかったのか椿はぎゅっと俺の手を握り返した


卓の上に湯気の立つ緑茶が置かれる

「ありがとうございます」

「いえいえ。お部屋の荷物は箱に入ってそのまま置かれていますよ。後で確認してくださいな」

「はい」

「今お風呂沸かしていますからお二人で入ってくださいな。風邪をひいては困りますかねぇ」

テキパキと茶菓子を並べていた女性が言った

「…二人で?」

「ええ。何か?」

「い、いえ」

流石に子供とはいえ異性と入ったことはなく

なぜかドキリとしてしまった自分に驚く

そのせいで断るなりずらすなりなどの言葉を紡ぐ前に次の話と変わっていた

「ええと、誠次郎さんはどちらからいらしたのかしら」

「茨城県の県北です」

「それはまぁ大変でしたね」

「いえ。幸い列車がありますので思ったより平気でした」

「今は便利になったものねぇ。このお屋敷も去年大旦那様が亡くなって旦那様が椿様の住処とするために色々と改装したのよね」

椿…様?

「あの、もしかして椿…様って」

「ええ風切家のご子息ですよ」

俺は隣に座る椿を見てしまう

椿は栗羊羹をニコニコとしながら切り分けて頬張るところで

俺の視線に気付き固まって、あーんとしてきた

催促したわけではないので大丈夫だよと告げる

まさか最初にあった人間が雇い主の子供だったとは

だから身なりが良く品があるのか

納得した誠次郎だった

「そろそろお風呂の用意ができたかしら」

そう呟いて女性は部屋から去っていった

自分の前に置かれている黄色い栗が入った羊羹を切り分けて口に入れると羊羹の素朴な甘みと栗の味が合わさって美味しかった

窓の外には薄青い暗がりの中、雪が音もなく降りしきっていた

湯呑みに入った緑茶はちょうど良い温度で苦味がよく合っていて一息つけた

湯呑みに茶柱が立っている

「お待たせしました。お風呂の準備ができましたのでお入りになって」

「あっ、はい。いただきます」

座ったまま頭を下げる

「椿様お風呂までご案内お願いできますか?」

「…うん」

羊羹を急いで食べてお茶を飲む椿

焦らなくてもいいのに

食べ終わると俺の手を掴んで案内してくれた

冷たい廊下を俺の手を引きながら進む椿

角を二回曲がると明るい色の扉がありそこが風呂場のようだった

ガラガラと音を立てて開けると広い脱衣所がある

棚と籠があってそこには体拭き用の布が並べてある

ストンと音がした

下を見ると帯を外して床に落とした音だった

黒髪から見える白いうなじに、ドキリとする

なぜ俺は動揺しているんだ

相手は子供だ

何も変なことはない

でも子供であっても異性となんて…

自分でも頬が熱くなるのを感じる

オロオロと肌襦袢のまま広げられた着物を畳んでいた

俺は手伝う

上質な生地はやはり手触りが良く

僅かに椿の香りがした

「ありがとうございます。…誠次郎お兄さん」

嬉しそうに微笑む

「この着物は端に寄せておきますね」

質の良いものだし湿気とか大丈夫かと思いそう提案して振り返った時

ちょうど椿が肌襦袢をサラリと脱いだところだった

滑らかな肩と白い肌

そして丸みのあるお尻が見えて

俺は勢いよく顔を背ける

…お、俺はここにいて良いのだろうか

相手は子供だ何もやましいことはしていない

そう叱咤し大きく呼吸をして振り返る

断じてやましい気持ちなどない

「……?」

裸のまま不思議そうに脱いでいない俺を見上げる椿

俺の視界には、幼い体系の可愛らしい男の子がいた

そう、ついていたのだ

(おっおとこ)

危うく口に出してしまいそうだった

こんな可愛い男の子もいるのだな

近所にいた童子たちはそれはそれで可愛いらしい子達だったが、椿は華族の令嬢のように可憐なのに男の子だったとは…俺は驚く


「どうか…しましたか?」


不安そうな顔をした椿

「なんでもありませんよ!体が冷えてしまいますので、先にお風呂に入ってください」

驚きを悟られぬようにそう言った

小さく頷き椿は浴室に向かった

「…ふう」

動悸がおさまるのを待つ

なぜ俺はこんなにも動揺したんだろう

そして、同性だとわかってもホッとしたどころか

何も変わらずに控えめな態度の初々しい椿のことが俺はとても可愛らしく思う

何もおかしくはないのに

俺は胸が高鳴った謎を消化できぬまま

意を決して服を脱ぎ畳んで、洗い布で股間を隠し

浴室に向かった



中は大きな檜風呂で湯船には柚が浮かべられていた

浴室全体に良い香りが充満している

椿は風呂椅子に座って泡立てた石鹸で頭をモコモコにして洗っていた

「ふふ…」

やはり、こんなことすら可愛く見える

やはり子供らしいところがきっと庇護欲を掻き立てられたんだろうと一人納得して

俺は椿の後ろに片膝を風呂床につけた

「背中洗いましょうか?」

「…え、う、うん」

驚いたようだが泡で目が開けないのかそのまま頷く

洗い布を風呂桶のお湯で濡らし石鹸で泡立てる優しく丁寧に背中を洗う

椿は緊張していたようだが、次第に慣れたのか大人しかった

そして桶のお湯でさっと流す

「もう大丈夫ですよ」

「…ありがとうございます」

顔にかかった前髪を分けてお礼を言った後椿は浴槽に浸かる

そして俺は椿が座っていた風呂椅子に座り桶のお湯を体に浴びせ

石鹸で洗う

よく泡立ち、甘い香りがした

バシャン…

湯が流れ落ちる音がした

ちょうど泡で目が開けない

「…」

「…ッ」

背中に触れられる感触

「な、なに」

「…背中、洗いたいです」

椿は自分も背中を洗ってみたくなったようだ

逡巡したのちに

「じゃあ、お願いします」

膝に乗せていた洗い布を取り後ろに手渡す

それを受け取った椿は泡立てる

その間に桶で頭の泡を流す

「……よいしょ」

小さな声を発して両手で懸命に背中を洗ってくれる

拙いながらも丁寧に洗ってくれるので

嬉しい気持ちが湧きくすぐったく思う

「…」

流石に肩付近は届かないのか爪先立ちをし始めたので止めて

あとは大丈夫、ありがとうと頭を撫でる

嬉しそうに笑い

お湯で椿についた泡を流し湯船へと促す

そして自分の体も流し、椿に対面するように湯船に浸かる

ぷかぷかと水面に浮かんでいた柚が揺れ

お湯が溢れてしまい椿が驚く

「おっと、ごめんなさい」

慌てて膝たちになるが椿は小さく笑い大丈夫だから

ちゃんとお湯に浸かろうと言った

今度はゆっくりとお湯に浸かったが

早かろうが遅かろうが、湯量はあまり変わらずに流れてしまい

椿と二人で柚が流れ落ちてしまわないように抑える

それを二人で見つめ合い笑い合う


寒い日に暖かく楽しい時間を

二人で過ごした



二人はお喋りをしながらゆっくりと湯に浸かり

椿が赤くなってきたのでそろそろ上がろうと提案して出た

湯気が立ち上る椿の体を柔らかい布で拭いてあげる

柔らかく細い絹のような黒髪から水気をとる

湯冷めしないように手早く丁寧に…


新しい肌襦袢を着せ己も素早く体を拭き下着を履いて

風呂場を後にした


部屋に戻ると長火鉢に炭が追加されており部屋は暖かかった

「体は温まりましたか?」

「はい。いいお湯でした」

お礼をした

女性は椿の着物を持ってきて着せて

また暖かいお茶を入れてくれた

香ばしい香りのほうじ茶だった

自分もまだ濡れている髪を拭く

短いからすぐに乾くだろう

その場で三人で話しながら湯上がりをゆっくり過ごす

話すと女性はこの家で雇われて働いてい藤沢亜紀子と名乗った

長く勤めているそうで十二歳のとき奉公に来てから五十年勤めているらしい大先輩だった

気さくで話好きな、小柄な年配の方だった

「お夕飯までまだ少しお時間あるから、誠次郎さんのお部屋に案内しますね」

立ち上がりそう言った

「何かお手伝いしますか?」

そう尋ねると小さく笑われる

何か変なことを言ったのだろうか

「ごめんなさいね。男性の方が女仕事を自らお手伝いしたいなんて仰るから。誠次郎さんはお優しいのね」

「そんなことはないです。男女関係なく助け合いが理想ですから」

これは兄の言葉だった

家の前で女だから勉強なんて無駄だと学友の女児が父親に言われ、その場にいた兄の誠一郎は父親に男尊女卑的な思想を兄はくだらないと一蹴していて正論で捲し立てた

時代の変化についていけず、決めつけた偏見と侮蔑的慣習

を怒涛の勢いで熱弁し珍しくたまたま仕事の手伝いで出ていた岬さんに見つかりさらに加勢され父親は荒く息を吐いて家に戻っていった

その時の勇姿は今も誠次郎の胸に残っていた

「…素敵な人ね」

そう呟いて藤沢は目を一度伏せ

元の笑顔を携えて俺には荷物も片付けてないからやる事を先にと言った

「さてお部屋に案内しますね」

「はい。お願いします」

どうやら二階のようだ

後ろからトコトコと椿がついてくる

俺の部屋となる場所に来ても荷解きもまだだからつまらないだろうし寒いから部屋にいて欲しいと言ったが

首を縦に振らなかった

仕方ないので好きにさせといた

深緑の半纏を着ているのでそこまで寒くはないだろうと判断した

手が冷えないように手を繋いでいる


二回も襖と障子に遮られていて全ては把握できないが

きっと一階とあまり変わらないだろう

そんなことを考えていると部屋についたようだ

この部屋は開閉式の引き戸で他の部屋と違っていた

「元は倉庫でしたけど中身を処分して改築しましたのよ」

カチッと音がした

すると電球色の明かりで部屋が照らされる

「…これは、立派な部屋ですね」

正直驚いてしまった

奉公人なのに一人部屋で改築したという真新しい部屋に

西洋ベッドと本棚付きの机と地球儀

そして立派な収納棚がある

豪華だった

「いいんでしょうか…」

ついそんな言葉が漏れる

「いいんですよ。誰も使っておりませんし、使っていただいた方が部屋が傷みませんもの」

笑ってそう言われた

手を繋いでいる椿も初めて入ったのか

部屋の中を物珍しそうに見ている


「私は夕食の支度がありますのでこれで。何かありましたら声をかけてくださいね」

「はい。色々とご親切にありがとうございます」

「そう畏まらなくてよくってよ。助け合いなのでしょ?」

そう言って笑う

俺は笑顔で頷く

「椿様もあまり誠次郎さんにご迷惑をお掛けしてはいけませんよ」

「………はい」

迷惑という言葉に先程まで目を輝かせていた椿が俯く

その姿に切なさを感じ

「迷惑なんてありませんよ。俺は楽しいです」

椿の黒髪を撫でながら言った

本心だ

きっと椿がいなければ俺はもっと孤独感を感じて

まだ雪の中で心が冷えていたかもしれない


「ならいいですけど。では椿様のこと、よろしくお願いしますね」

恭しく頭を下げられたので慌てて深く頭を下げる

椿も慌てながら頭を下げ

そのまま三人で顔を上げて笑った







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椿が落ちる頃 雪が吹雪く 黒月禊 @arayashiki5522

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