椿が落ちる頃 雪が吹雪く

黒月禊

【雪景色に紅】

【雪景色に紅】







 その日は酷く雪が降り積もった

空は灰色で目的の場所まで十五分ばかりの道を

倍近くこの足を阻む積もった雪に邪魔されていた




三時間ほど列車に乗りこの地まではるばる一人で奉公先まで向かっていた




 その日の早朝、列車には厚手のコートに丸眼鏡の小太りの男性や赤い口紅でふわふわとした襟巻きをした女性などと様々な人々と乗り合わせた。作業着姿で黒く汚れてくたびれた男が眠たそうに足を大きく開き前に座っている。


そして次第に田んぼと低い平家に煙を上げる工場地帯、通っていた小学校近くの川を窓辺から覗いていた景色と共に

次第に乗り合わせた人たちが小綺麗な艶のあるコートに後ろに撫で付けた髪の上に黒い帽子を被せ新聞を読んでいる男や

買い物帰りだろうか着物姿の上に鮮やかな桃色の羽織を重ね、座っている膝の上にデパートというのだろうか店名が印刷されている紙袋を乗せていて隣の自分と同じか下の少女と父への贈り物だという手袋を喜んでくれるだろうかと笑顔で話している。

景色はすっかり変わり 

立ち並ぶ西洋造りの家や建物とそこから明かりが辺りを照らし、自分は別の世界に来たような錯覚に陥った。

朝駅前にてただ一人見送りに来た兄がくれた万年筆が胸ポケットに入っているのを荷物を押さえいる反対の手で触って確認するたびになんとも言えない侘しさと現実の狭間を繋いでいた。




変わらないのは朝から降っていた無音で落ちる雪だけだった




 ……はぁ と一息つく知らぬ場所で白い息を吐きながら

一歩一歩と歩みを進める。

寒いのも雪道も自分が住んでいた田舎に比べれば楽なのに

なぜか重く感じ、思考が曖昧になる。

そんな状態でも荷物を背に乗せ着実に前には進めている。

今日から世話になる奉公先は医薬品の菓子屋の卸をしている商家らしい。二人兄弟の次男である自分は父の勤め先である取引先で人が欲しいというその家に、つてを作りたくて次男の自分をどうかと勧めたらしい。

それならばと1週間と経たずに荷物をまとめ、家を出た。

その話を知った兄はなんとも言えない顔をして片手を肩に置いてただ大丈夫かと聞いた。

なにがだと思ったが、兄の瞳を見て咄嗟に大丈夫だと、

心配しなくても俺は大丈夫ですと口に出していた。

頭の中では肩に乗った兄の手の温度と重さ、そしていつも明るくお前は真面目すぎると駄菓子屋で親には内緒だと買ってくれたら飴菓子を食べながら笑顔で笑っていた兄の顔が、その時は別人のようで

そんな顔をさせたくなくて決められていた台詞のように口から吐いていた言葉を述べていた。

そこからはあまり覚えていない。

いつも通りだったような

いつもより静かだったような

ただ確かなのはいつもは明るくよくあった出来事を面白おかしく話す兄が静かに側にいたのは覚えている。



 はぁっ…… 一息ついてこんな寒い日でも額にかいた汗を袖で拭う。

ポケットに入れていた随分と滑らかな紙に書かれていた住所と地図を頼りに歩みを進める。

まだ昼前だというのに曇り空と雪によってあたりは薄暗い

なぜだろうかふわふわと舞い落ちる雪が他より明るく見えて

遠い場所でもあの住んでいた町の山道を思い出させる。

まぁ田舎の山道にはない電灯と看板、たまにすれ違うハイカラな洋服を着た人などいないのだ。

そういえば奉公先は裕福な商家だ。

こんな田舎から出てきた十三の若造の格好など見窄らしくはないだろうか。

一応学生服に学生帽、兄が餞別でくれたお下がりの藍色のコートを羽織っている。

自分ら兄弟は発育がよく体格も似ているそうで二つ上の兄の服でも、少しだけ肩幅が大きいが問題はない。

昔気質で説教と手が出る父は酒を飲んだ際よく兄と自分を正座させ怒鳴っていた。工場で職場の人間と衝突したり

納期が迫り忙しいとよくこうなった。その際兄は澄ました顔ではいと適当に返事をしお父さんのように立派な大人になりますいつも家のためありがとうございますと言う。それに続いて自分も頭を下げありがとうございますと言う。

そうすると父は満足そうにツマミを食べ酒をあおり酌をする母を残し兄と二人の部屋へ下がる。

部屋の障子を閉めるとふぅと一息吐き、机の上に置いてあった鞄から漫画本を取り出して俺に渡して兄は学校から出された宿題をする。これがいつもの流れだった。

明るく優しいそれで世渡りが上手く弱いものに手を差し伸べる兄が自分にとって理想であり誇らしかった。


「どうした誠次郎?その漫画おもしろくないか?」

机に向かっている兄を正座して漫画を開いていた俺は兄を見ながら思い耽っていた。

「いえ、誠一郎兄さん。俺も早く兄さんみたいに立派な男になりたいです」

「ははっ、清次郎。そんなにおべっかをしても菓子はやらんぞ」

「そ、そういうつもりではありません!兄さんは皆の人気者で努力家で、尊敬しております」

漫画を閉じて正座した膝に両拳を置く

「誠次郎は本当に真面目だな!大丈夫だお前は、なんていったって俺の弟だ。しかも聞いたぞ八百屋のガキ大将から学童を守ったらしいじゃないか!半べそかいて母ちゃんに泣きついていじめがバレてさらに怒鳴られたらしいな!痛快だな」

くくくっと笑いを噛み殺し兄が朗らかに笑う

俺たち兄弟は発育に恵まれているらしく兄の一つ下というガキ大将が、学童を泣かしていたので庇ったのだ。

俺のでかさに一瞬慄いたが引けぬ性分らしく

お前はなんだ関係ないだろ!それともお前が代わりにやられてぇのか!と怒鳴られる。

後ろ手に庇った子らは涙目で、そっと振り返り逃げなと告げる。驚いたようだったが震えながらごめんなさいと言って去って行った。

ガキ大将が舌打ちしテメェ!ふざけやがって殴られてぇのか!と胸ぐらを掴まれたが、彼らをいじめるのは良くない。

年長者のする事ではないし虚しいだけだ。

そう宥めていたが、奴は顔を真っ赤にして殴りかかってきた。

「馬鹿にしやがって!!お前からぼこぼこにしてやる!」

そう言ってさらに殴りかかってきた。

その拳を受け止める。先程殴られたからか口の中に鉄臭い味がする。

兄が言っていた。弱気を守れ、暴力は恥ずべき事だと。

そして聞いたのだ

ならば、言葉で言っても手を出す輩には甘んじてやられるしかないのかと

そう聞くと兄は悪戯っ子を思い付いたような顔で

何をいう目には目を、歯には歯を暴力には倍返しの鉄拳制裁をだ!なんて胸を張って言っていた。

ぐわぁっ!?

とりあえず正拳突きをした。

相手は一撃で吹っ飛ばされお、覚えてろよー!と言って泣き腫らして去っていた。

そこには唇を切ったのと人を殴ると拳は思ったより痛いのだと思った俺だけが残されたのだった。



「誠次郎も十分立派な男だ!俺に似てな!くははっ!手も口も冷やしとけよあとで腫れるからな。親父殿は気付きもしなかったが俺は知っていたぞ!ほれ、ご褒美だ」

けらけらと笑いそれでも万年筆で書いていた筆記帳から手を離し鞄から瓶詰めの飴を取り出し一つくれた。


「はい。ありがとうございます誠一郎兄さん。でも、兄さんのように上手くできたのでしょうか。兄さんなら拳を出さずに納められたでしょう。拳を振る際にも一歩間違えば怪我をさせたかもしれませんし、あの時つい目を瞑ってしまいました」


「ふむ。だがその時助けれたのはお前だ誠次郎。最善の行動を取ったのだろう。自分から殴らなかったし守るための行為だ。何事も起きてみなければわからない。できるのはこの事を反芻し学び次に生かす事だ。お前は真面目で優しい。傷つくことも傷つけることも嫌いなはずだ。そんなお前が庇い守って立ち向かったそれ自体が誉なのだ。兄として鼻が高いぞ!」

兄がそういい飴を一つ頬張った

やはり兄は清廉で立派な人物だ

周りから自分は真面目だがでかい割に臆病で優柔不断だと、

活発で聡明な兄と違いいつも半歩遅れている。

そう思われているだろうし父も叱るのはいつも俺で兄はいつも話題巧みに逸らし守ってくれている。


「ありがとうございます兄さん。俺なんてまだまだ半人前で、はやく兄さんのような立派な男になれるよう励みます!」

そういうと

机から此方に向かい、腕組みをして片手で鼻の上を掻く


「誠次郎。お前は本当に恥ずかしげもなく告げるなぁ。流石にお前の兄さんも照れるぞ。十分立派な男だろうに、後はその自己評価の低さだな。過ぎたる謙遜も嫌味だぞ」

ガリガリと音がする。兄が口の中の飴を噛み砕いているようだ。

「そうでしょうか。兄さん飴を噛み砕いては勿体無くないですか?岬さんのところの菓子ですよね。折角岬さんが兄さんの為に鼈甲飴を仕入れていると言ってましたよ」

それを聞くとバツが悪そうに視線を逸らしながら

「そ、そんなの商売人の倅なんだ仕入れぐらい仕事だろう!売上にいつも貢献してるのだから構わんだろ!」

 兄は駄菓子屋の倅である岬蓮太郎さんの話になるの年相応の反応をする。なぜだかわからないが、親友の二人はいつも一緒で学校が終わると家の手伝いをする岬さんのところに居座りついにお前邪魔、商売ならんから帰れと言われたらしく。

それならばと瓶に量り売りの鼈甲飴を買って居座っているらしい。店先でぼりぼりガリガリと飴を食べている姿を目撃されていると同学年の子らに言われた。

いつも飄々とし卒なくこなし自信家の兄が言ってみれば子供らしく対等に付き合える人物は岬さんだけだろう。


「ったく蓮太郎のやつ。付き合いが悪いんだ。家の仕事じゃ仕方ないが、それにしたってもう少しぐらい遊んだっていいじゃないか。いつも家の仕事だ買い出しだ掃除だって言いやがる!終いには俺が手伝ってやると言ったら誠一郎、お前は暇なのか?お前さんだってやる事あるだろうに誠次郎くん見習って落ち着きでもしたらどうだい。日頃大見得切って任せろ任せろ言ってるくせに忙殺してるじゃないか。ちゃんと休まないとぶっ倒れちまうよ。お前は本当に見栄っ張りのアホなんだからってそれ商品じゃないか勝手に食うなこら!!なんて言いやがる」

万年筆を扇子がわりに手振り身振りで真似をして話す様につい笑いが込み上げる。

これをみたら岬さん引っ叩いて無視するだろうなと思う。


「ふんっ。お前はそうやって笑ってる方がいい顔だぞ誠次郎。俺に似てハンサムって奴なんだからな!」


「ハンサム?よくわかりませんが褒めてもらえて嬉しいです兄さん」


「蓮太郎が言ってたんだ。あいつの店に外国人が来てハンサムだなって言ったからなんだそれって聞いたらよ。美男とか美丈夫とかいう意味らしい。ふんっ外国人なんかよりよっっっぽど誠一郎様の方がハンサムだって言ってやったんだよ!そしたらなんて言ったと思う?」

胡座をかいたまま扇子を此方に向けて問う兄

その姿がやはりおかしくて笑いそうになるがここで笑っては尊敬してる兄のご機嫌を損ねるだろう


「えーっと、誠一郎兄さんは日本一ハンサムやろ。でしょうか?」

我ながら苦しい返答だと思う

あの岬さんなら皮肉るだろう。兄を揶揄い雑に扱えるものなど岬さんだけだと思う。


「誠次郎はほんとええ子やなー。兄さんは嬉しいぞ。あの野郎こっち見て鼻で笑いやがったんだ!!誠次郎くんの落ち着き見習って出直せとか言いやがって!ムカついたから商売人の息子のくせに見る目ないんだなこの守銭奴って言ってやったんだ!」

扇子で膝を叩き鼻息を荒く吐き出し話す

ここまで兄を翻弄できるのも岬さんだけだろう

「そしたらよー。算盤で垂直に頭叩いてきやがったんだ!スッゲェ痛いし本当に乱暴だなこれだから普段大人しいくせに俺にだけ厳しいんだまぁ仕方ないからなあいつは照れ屋だし大人の俺は許してやったんだ」

胸を張って扇子で己を扇いでいる

きっと岬さんにこの話をし聞いたらまた算盤で殴られるのであろう

いくら優秀で頑丈な兄さんでも岬さんの算盤斬を頭に叩き続けられたら今後が心配である


「はははっ、兄さんと岬さん本当に仲良しですね。夫婦漫才と言われるだけありますし、特別仲の良い人がいて羨ましいです」

そう言うと兄は珍しく顔を真っ赤にして大声をあげる

あっ、砕かれた飴が飛んできた


「なっ!、なななななな何言ってやがんだ清次郎くん!確かにと、特別なのは否定しないが誰が睦まじい夫婦だこのやろう!」

また飴を瓶から取り出しバリバリと飴を食べる兄は、

またぶつぶつと言いながら文句を言っている。

昔から岬さん関連だと兄は落ち着かないのである。

動揺してから睦まじい夫婦だなんて言ってないが指摘しないでおこう

弟だって空気は読めるのである


「それに、弟のお前だって特別だ。たった二人の兄弟だろ?気遣いができて心優しい。俺に似てハンサムだし努力家だ。それで文句言う奴や特別ってのがわからねぇなら……」

兄が珍しく真剣な剣道の試合を想起させる強い眼光が此方を伺う



「お前に嫉妬しているか、誠次郎、お前自身が己を蔑んでいるかだ。いつまでだってそうしてると見方が偏って、ずっと苦しむぞ」




いつだってこの目の時の兄の言葉は

いつも真っ直ぐに確信を突いてくる










あっ



 危なかった。目の前には電柱が聳え立っていた

雪道の中呼吸と雪を踏み仕切る音だけの静寂の中、

頭の中で思い出に浸っていたせいで危うく顔面を強打するとこであった。

顔を汚してはこの先の奉公先の人たちに心配か不信がられてしまうかもしれない。


これからは一人なのだ。迷惑はかけられない

強く逞しい人間になるのだ

胸ポケットにある万年筆をポケット外側からなぞる

朝に最後の別れをした兄の顔を思い出す。

兄も自分と離れ離れになって寂しくなるのだろうか

父は大丈夫だろうあの兄がいる。

兄は滅多に泣かない

一度目は岬さんと大喧嘩して一ヶ月無視された時


二度目は母が病で亡くなり病院からの帰り道、

夕日の中俺と手を繋いで、河川敷で静かに泣いていた。



側にいることができない

離れ離れと言うことはなんて心寂しいのだろう

どうかあの陽だまりのような兄が元気に健やかに生きてくれますように

どうな俺も



俺も


俺は








 大丈夫?いたいの?


突然正面から柔らかい声がした。

それと同時に両頬が何かに触れた


驚いて顔をあげた。いつの間にか地にしゃがみこんでいて

どこかの造園だろうか迷い入ってしまっていたようだ。

驚きに固まっているとじんわりと頬が暖かくなってくる

それは、目の前の黒髪の着物を着た白皙の少女が

小さな両の手で俺の頬に触れているからだった。

その温もりがひどく心根に触れて泣きたくなった。

この白く静かでどこまでも続く

孤独な一人ぼっちの世界を

小さなまだ幼い 寒さに頬を赤らめた少女の手が

じんわりと深く温めてくれた気がしたのだ。


「…………いたいの?泣かないで。あっ、泣きたいなら、泣いていいです、よ」

おどおどとした少女はそういうと白い手ぬぐいで俺の片頬を拭う

えっ、泣いてしまっていたのか?

思考がはっきりしてくると途端に恥ずかしくなる。

こんな可憐な少女の前に蹲って泣いているなどなかなかに度し難い

別の意味で顔が熱くなる


「だ、大丈夫です!ありがとう。綺麗な手ぬぐいを汚してしまってすまない」

あわあわと立ち上がる。咄嗟に動いたので少女は驚いた様子だった。

さらに申し訳なくなる。

何かお返ししなくては、日本男児たるもの恩には報いなければ

そういえば小包にあれがある

ごそごそと荷物から取り出す様子に少女はきょとんとして

此方を窺っている


「あった!これ、良ければどうぞお嬢さん」

瓶を軽く振り音を鳴らすカランコロン

白い世界に響く様々な色の甘い飴の音

ぼんやりとしているので手を出してとお願いする

手ぬぐいを持っていない方の手で手を開く少女は、

手のひらに乗せられた飴玉をまじまじと見つめている。


「たべて、いいの?」

「どうぞ良かったらお食べ。飴が好きだったらいいのだけど。あっためてくれたお礼と拭いてくれた感謝のお礼です」

ぽかんとした様子だったが理解したのか飴玉を口に含む

自分も一つ口にし、飴を舐める。

「……っ!これ。おいしい、です!お兄さんありがとう」

目を丸くした後笑顔で気に入ってくれた様子だった。

岬さんに挨拶しに行った際に励ましの言葉と店先には出してない綺麗なガラス瓶に値のはる様々な味が楽しめる飴を詰めてそれごと貰ったのだった。透明度が高いガラスで造形されたガラス瓶に、五色の種類の飴玉が入っている。さすが岬さん洒落ていて特別感のある品物だそして美味しい。この少女にもとても喜んでくれた様子だった。

兄にはすこし嫉妬され飴を少し寄越せと言われたが死守したのだ。噛み砕かれるには忍びない逸品だ。


「美味しい!きれい!すごいね!」

にこにこと頬を押さえながら堪能しているようだ

とても可愛らしい。こちらまで嬉しく笑顔になる


白無垢のような着物に艶のある黒髪

帯は深い緑で首元の首まきは鮮やかで艶のある赤だった

白い銀世界で 不覚にも心寂しい時に出会った少女は

とても温かく 可憐で美しかった。

その様子は冬に咲く寒椿の様だった。

家の庭に植えてあった母の好きだった椿の木を思い出させた。


「……椿」


「なぁに?」


つい花の名を呟くと少女がこちらを見上げている

先程から不審者だな自分はいけないいけない


「な、なんでもないよ。あまりにも似合っていると言うか可憐と言うか、故郷で咲いていた寒椿を思い出してね。はははっ、何を言っているんだろうね」

もう穴があったら入りたい

つい心が弱っている時に優しくされ暖かさを感じ、飴に喜ぶ姿に見惚れ花を連想するなど少女思考ではないか。

兄に知られれば高笑いされそうだ。


「えっと、これ?綺麗だから一番好きな花なの。香りもとっても好き。あと椿油と練香も椿の香りだから、かな?」

確かによく見てみればというかあたりには寒椿がたくさん植えてある。

「な、名前も椿っていうの、だから一番好き」

やはり白い雪の中に深い緑と赤い花弁の椿ぐよく映え美しかった。その様子がさらに少女も相まって一つの絵画のようであった。教科書でしか見たことしかないが

まさに名は体を表すように華やかで凛とし品のある香りがする椿という花と同じ名のこの子は椿と名乗った。

「そうか。だから君の黒髪は艶があって綺麗なんだね。練香だったかな?こんなに良い香りがするものだとは知らなかったよ。君にとても似合っているよ」


正直に本音を告げるとあれ?これなんか口説いるようではないか?

意識すると顔が熱くなるのを感じる。

兄に知られれば揶揄われるに違いない。

よくわからないが歯が浮く様な台詞だった様な気がする。これはいけない。幼気な少女に気持ち悪がられたらもう立ち直れない。

脳内で兄が高笑いしている声が響く。流石に苛立つ。


「…………そう?お兄さんにそう言ってもらえるなら、うれしい、です。あ、ありがとう」


恥ずかしいのか照れでさらに頬を赤くし瞳を潤ませ、視線を逸らしながらもチラチラとこちらを見やる姿に

顔が熱くなるどころか心臓がやけにうるさく感じ

握っていた飴入りの瓶を強く握りしめた。



「あ、ああ君は、こんなところにいたら風邪をひいてしまうよ。お家はどこかな?送っていってあげるよ」

自分の身に起きたわからないが激情と動揺を悟らせない様

そんな言葉を述べた。

まだ日が暮れる時間ではないが、空は厚い雲とまだまだ降り積もるであろう雪の中にこんな幼い子が一人でいては親御さんも心配するであろうし、風邪をひいてしまう。


「だ、大丈夫です、よ。ここお庭だし、いつも来るから平気、です」


「でもほら、お顔が寒さで赤くなっているし俺が心配なんだ。こんなにも手が手が冷えているよ」


「っ!……うん、お兄さんの手、あったかいね。ねぇ、お兄さんのお名前、教えてもらえますか?……だめ?」

こちらが思わず掴んだ手を柔い手が先程より強く握られ

互いの温度がなじみより感触が明確に伝わる。

どこか不安そうな声と瞳で問う姿に、こちらがいけないことをしている様な焦りと罪悪感、そしてこんな表情をさせたくないと強く思った。

「そういえば名乗っていなかったね。俺は真崎誠次郎というものだ。

椿ちゃんの手も温かくなったね」


「まさき、せいじろうさん?誠次郎お兄さんって、呼んでもいいですか?」


「うん、いいとも。はははっ、早速新天地で兄弟ができたみたいで嬉しいよ」

兄弟という言葉に反応したのか、誠次郎お兄さんと兄弟交と声に出している。

なんて可愛らしいのだろう


「誠次郎お兄さんは、どうしてここで蹲っていたの?寂しくて、辛いならお、お家に来てもいいよ」

さっきの醜態にはあまり触れられたくない

男として年下の子にこれ以上心配はされたくはない

「ありがとう椿ちゃん。すこし疲れていただけだよ。ほら今日は駅から歩いてきたんだけど雪道と慣れない土地で不安だったんだ。椿ちゃんを送っていったら新しいお家に向かうんだ」


「そ、そっかぁ。お家が一緒で、お兄さんが椿のお兄さんになったら、すごくすごく嬉しいのになぁ」


「ははっ、大丈夫だよ。今日から俺もこの町で働いて住むんだ。いつでも会おうとすれば会えるよ。俺も椿ちゃんのお兄さんになれて嬉しい」


お互いかなり面映い言葉を掛け合う

静謐な造園で互いの熱が心まで温める様で

世界なら隔絶されたような、ただ静かに舞い落ちる雪とこの場にいる二人を見守る様に植えてある深い緑と赤の椿や

枝に積らせた雪を重たそうにしなっている紅葉だろうか、桜も木もありまるで逢瀬の間の、秘密の場所の様に感じられた。


「そっか、……そっかぁ。また会ってくれるんだぁ。……うれしいなぁ」


噛み締める様に笑みを浮かべながら話す様子に

ひどく心が波立つ

なんなんだろうか

今までも年長者として、あの兄を見習って年下の子らを面倒を見ることもあった。

自分と同じく日に焼け冬でも半袖半ズボンで野道を駆ける子らと遊んだものだ。

女児もおり人形遊びや髪を結うこともあった。

それでよく男子と女子の子らの諍いやどちらと遊ぶかで騒がれたものだ。

だがこの椿は繊細でしおらしい様子に見受けられる。

装いも綺麗でいいとこの子だろう。

此方を恥ずかしそうに見やる姿がいじらしく可愛い。


「誠次郎お兄さんの、お家は、どこでしょうか?あの、この辺なら道、少しわかります」


「えーと、とりあえず寄宿先の家を訪ねたくてこの地図をたどってきてはいたんだけどいつの間にかここにいてね。もうすぐそこのはずだから教えてもらえるかな?この風切さんというお宅なんだが…」


「きしゅく?……?そこなら知ってるよ。こっち…」

そういういうと繋いでた手をそのままに造園の中を先導されついていく。

雪と木々に隠れていたのか石造りの池に真ん中に橋がかけてある。

ぽちゃんと音をした方を向くと立派な錦鯉が水面を立てて泳いでいる。

しかし随分立派な庭園だな。よく手入れされている。

そんなことを考えて自分の腰ぐらいの高さの椿を後ろ姿を眺めながら歩みを進める。

相変わらず静かで雪を踏みし切る音と二人を繋ぐ手の温度だけが今感じられる世界であった。




えっ?

自分の口からついそんな言葉が漏れた

数分と経たずに手を引かれついた場所は立派な屋敷であった。

日本家屋で二階建ての屋敷で、玄関先には立派な門松が鎮座してあった。

こんな立派なお屋敷だとは思わなかった。うちの家何個分だろうか。三世帯は住めそうだ。

そんなことを思っていると繋がれていた手を軽く引かれた。


「ここだよ。誠次郎お兄さん」


「あ、ありがとう連れてきてくれて。うん、本当に……ここみたいだな。」

まさかいつの間にか敷地内にいてこんな立派なところだとは思わなかった。ちゃんと表札には風切と彫ってある。

思わずたじろんでしまった









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