最終話 涙の日

 目を覚ますと、そこは見知らぬ空間だった。真っ白な美しい大理石の一室。

 自分は中央に備えられた、豪奢なベッドの中央に座っている。


 妙なのは少し狭いことではなく生活感というものが欠如していること。この部屋にはベッドの他、小さなイスとテーブル、後は花瓶ぐらいしか物が無かった。まるでモデルルームを見ているようだ。


 それ以外にも、どうも身体がおかしい。自分の意志で動かすことが出来ない。立ち上がろうと思っても自分は座ったままだ。

 さらに視線を出来るだけ下に動かした感じ、肉体的な形状そのものが異常だ。

 自分は純白の服を着ているのだが、腕がやたらと色白で細いし、華奢だ。胸には見慣れない二つのふくらみもある。さらに肩から金色の長髪が下がっていた。


 ふと、不思議な感覚に呑まれる。


 自分は──────誰だ? 俺? 私?


 ここは知らない場所のはずなのに、急に懐かしいような気持ちが湧いてくる。自分の名前が思い出せない。

 ここはどこ? 知っている。いや、知らない。おかしい。自分の中で自分以外の何かが混ざっている。


 コンコン。


 扉がノックされる。


 どこからか「入れ」と声がした。違う、これは自分だ、自分から出た声だ。


 「失礼します。内乱を起こした兵士たちが、この神殿を占拠しようと迫ってきています。どうかお逃げ下さい」


 綺麗な布のような服を着た女性が入って来る。

 その顔立ちからして、どこか遠い国の人だろう。遠い国? ああもうなんでもいいや。


 「そうか……。私はここで役目を終えるとするよ」


 聞き覚えのある声だ。そりゃそうか、毎日聞いてるもんな。

 しかし何の話をしているんだ? 自分のことなのに全く分からない。


 「キミたちは今までよく尽くしてくれた。ありがとう。巻き込まれないうちに逃げるといい」


 「ですが……! っ、はい。分かりました。」


 女性は異国流のお辞儀を深々とする。


 「失礼させていただきます。今まで我々に祝福を授けて頂き、ありがとうございました」


 お辞儀と同じぐらい深い感謝を示すと、彼女は静かに退室した。


 自分は小さなため息を一つつくとそのままベッドに横たわる。綺麗な装飾の施された天幕が見えた後、視界は暗転した。

 どうやら瞼を閉じたらしい。


 「“神”はもう要らない。長い仕事だったが、これでようやく終わる」


 暗闇の中ぽつりと呟く。誰に向けるでもなく、ただ心の内を漏らすように。


 「神のいなくなった後の世界は少し荒れるかもしれないな。しかし大丈夫だろう。人はここまで文明を築けた、たとえ一度滅びようとも途絶えはしない。これを超える文明すら生み出すのだろうな、きっと」


 意識が深い、深い闇へと吸い込まれていく。寝ているのか、自分は。

 瞼は開かない。


 もう何時間か経ったような気もするし、数分しか経ってないような気もする。時間と言う概念はあやふやなものとなり、暗黒の中ただ一人で、永遠に沈んでいく。

 声を出そうにも出せず、身体は動かないし何の音も聞こえない。ここは…………牢獄だ。


 暑さも寒気も、空腹も眩暈も感じることはない。ただ無だ。何もかもが存在しない。

 嘘だろ? 自分はずっとここにいなければならないのか? こんなの、絶対に耐えられない。


 藻掻く。たとえ無駄だと分かっていても、自分を勝ち取るために藻掻く。


 するとほんのわずかに、光が見えた──────ような。




 「はっ!」


 覚醒する。心臓の鼓動がドクドクと耳を叩く。大粒の汗を全身にかき、全く眠れた気がしない。


 現実を確認するため周囲を見回す。


 六畳の和室で布団が二つ敷いてある。隣にはいつものように金髪の少女が。本来は家族四人分四つの布団を敷いて寝たのだが、両親は既に起きて布団を畳んで行ったようだ。

 少女は自分の布団があるにも関わらず激しく俺の布団に領土侵犯している。寝相が悪いというかなんというか、実質一つの布団を二人で使っていることになり非常に熱いし狭い。

 変な悪夢を見たのは、もしかしてコイツのせいではなかろうな?


 「今は……もう十時か。おい、起きろ」


 「うー…………」


 イグニスを揺すって無理やり起こすと、渋々と起き上がり大きく伸びをする。


 あれから約一か月、連日のように怪物に襲われていた街はとんと平和になった。

 しかし犠牲は大きい。俺たちが被害を最小限に食い止めたとはいえ死者は出ているし、何より浪間市全域の建物が破壊の限りを尽くされたのだ。


 そのためしばらくは避難所生活かと思っていたら、日頃災害には慣れているからか政府の動きは割合に早かった。このように一か月ほどで仮設住宅に住めることになるとは望外だ。


 「…………よし」


 俺も起き上がり全身を軽く動かす。どこも痛まない。どうやら完全に回復できたようだ。

 自力で歩けるようになったのすらもつい最近のこと。あの決戦の翌日から数週の間、俺の全身は痛みでまともに動かせないでいた。

 避難所で寝たきりだった時間、イグニスが献身的に世話を焼いてくれるのはありがたかった。


 扉を開け隣の居間に移動する。


 この仮設住宅は大きな二つの部屋で構成されており、玄関と簡易的なキッチンなどを備えた居間、寝室となる六畳の和室に分かれている。


 「あらおはよう。でも起きてきていいの? まだ痛まない?」


 「修二、怪我をしているんだから無理するなよ。ゆっくり休むといい」


 居間には両親がいた。

 これまで朝起きて父親に会えるのは珍しいことだったが、皮肉にも出勤どころではない状況になったことで家族が一緒に居られる時間が増えた。俺としては喜ばしいことだが、これからどうなるのかは誰にも分からない。


 「おはよう。俺はもう大丈夫だよ」


 軽い朝食を採りイグニスを連れ気分転換に外へ出かける。今まで身動きが取れず満足に歩けなかったので、散歩ぐらいはしよう。


 外に出て太陽の日差しを浴びる。街はすっかり様変わりし、住宅街はプレハブ立ち並ぶ殺風景な道になってしまった。

 全てが全て崩壊したわけではなく形の残っている建造物もある。しかし耐久面の不安から、それも取り壊しが決定していた。


 駅前もまっ平になり電車の路線は完全に崩壊している。今は復興作業中で瓦礫の撤去から始めているが、ひとまずは仮設住宅の建設が優先されるだろう。


 「しかし早いものだな。もうこんなに家を建てて、物資を積んだ車が次から次へと押し寄せてくる。対応が早い、まさか前にも街が更地になったことがあったのか?」


 「この国ではな、自然災害で街ごとやられるっていうのは悲しいことにそんなに珍しいことじゃないんだよ。今回は被害範囲が浪間市だけだったから物資の輸送も特別早いけどな」


 数人の子供が路上で遊んでいた。ボール一個でもあればいくらでも遊べるのが子供のいいところだ。

 彼らも自分の家を破壊されただろうに、子供たちは無邪気に笑っている。


 街は守れなかった。だが、そこに住む大勢の人々を救うことは出来た。こうやってゆっくり過ごせる日が来たことがなにより素晴らしい。

 俺の欲しいあの日常が帰ってくるまではまだ時間が掛かりそうだが、いずれ全ては元に戻る。


 「そういや……。イグニス、今日は不思議な夢を見たな。気が付いたら変な神殿にいて、俺が俺じゃないんだ。意識は俺なんだが視点がおかしくて……」


 「神殿?」


 「ああ。どこかは分からなかったけど、間違いなく日本じゃないな。綺麗な場所だった。で、しばらくすると女の人が来て逃げるよう言うんだけど、俺じゃない誰かはそれを断って寝るんだ」


 「────────」


 「夢の中で寝るっていうのも変だけど、すごく嫌な感じだったな。何もできないんだよ、俺。…………どうしたイグニス?」


 金髪の少女は考え込む。俺の話に何か思い当たることがあったのだろうか。

 いや待てよ、そういえば夢の中の俺は金髪で…………。


 「修二、身体はだいぶ良くなったみたいだな。心臓はどうだ? 痛みはないか? おかしなところは?」


 「は? あ、いや問題はないぞ。心臓もちゃんと動いてる」


 なぜ急にそんな話を? 心臓がどうかしたのか? 心臓…………あれ?


 「俺は……」


 おかしい。


 もうこんなに経っていながらようやく思い出した。今までなんともなかったから異常を異常と認識できていなかった。なんともないこと自体が異常なんだというのに。


 俺は確かに、あの時炉心を砕いた。なのになぜ生きている────?


 「気付いたか。そうだ、キミは敵を倒すためとはいえ自分を殺すほどのエネルギーを出したんだ。馬鹿。少しは自分の身も考えろ」


 「し、仕方なかったじゃないか……! 俺がやらなきゃ地球が喰われるんだぞ!?」


 「それはそれだ。力加減を誤って死ぬまで出し切る奴がいるか。戦いには勝てばいいというものではなくて、勝った後のことを考えるのも必要なんだぞ」


 イグニスは口をとがらせて言う。俺の無茶な振る舞いで心配をかけてしまったらしい、申し訳ない。


 俺は、俺の命に代えてもあの竜を倒せればそれでいいと思った。一人の命と地球を天秤にかければ、その選択は正しいはずだ。

 だが俺は、俺の死を悲しむ人がいるということを考えていなかった。


 「それで私が修二の元へ駆けつけた時には既にアルゲンルプスのコアが破損していたからな、代わりに私の心臓を埋めておいたんだ」


 「──────はぁ?」


 言っている意味が分からない。心臓を? 俺に埋めたって……!?


 「案ずるな説明はしてやろう。心臓と言っても物理的な臓器のことではなく、私の精神的な核を指している。アルゲンルプスは修二の精神から構成されているのだから、コアを補填できるのは同じく精神的なものだけだからな」


 俺は自分の胸に手を当てる。動いている。朝と同じく、俺に生命の脈動を伝えている。


 「そ、そんなものを俺に入れてイグニスは大丈夫なのか!?」


 「平気だ。私の体内から失われようと、すぐ傍にあるのなら同じことだ。あ、だから私からあまり離れてくれるなよ? ちょっと困る」


 それはちょっとで済むのか? 精神的なものとはいえ、自分の心臓を人に差し出して生きているっていうのも凄い話だ。


 「ちゃんと代用として動いているみたいでよかった。でもそろそろコアも治っただろうし、返してもらわないとな」


 「治る……のか? 俺のコアは」


 「もちろん。肉体が破壊されれば、それはもう終いだろう。失った四肢は戻らない。しかし精神のものであれば再生が効く。普通はコアが破壊された地点で死ぬものだが、私の心臓が再生するまでの時間を稼いだということだ」


 イグニスは微笑む。俺は知らぬ間に命を救われていたようだ。


 今まで彼女には多くの物を与えられてきた。変身する力を、戦う勇気を、人を想う気持ちを。さらには命というものまで与えられ、俺はこの恩全てを返し切ることが出来るのだろうか。


 「あの時、修二は私から精神エネルギーを根こそぎ持っていった上に私の心臓まで体内に入れたんだ。だから……私の夢を見たとしても不思議ではない」


 「やっぱりあれはイグニスの…………」


 彼女はそれ以上夢について語らなかった。あれは夢、というよりは過去の記憶だ。実際に起こったことなんだとなぜか確信している。

 あんな暗い場所に、イグニスはずっといたんだ。


 何もない道を歩きながら隣にいる女の子のことを考える。戦いは終わった。彼女は帰らなければならない。

 それまでに俺が出来ることはなんなのだろう。俺は、どうすればイグニスを喜ばせられる────?



 何事もなく太陽は落ちて夜になり、そして再び日が昇った。


 翌日の昼間に彼らは来る。


 「よかったぁー緋山君元気になって」


 「緋山! いや心配したぞ。傷は癒えると分かっていても、緋山は一層重症だったからな!」


 「だ、大丈夫? 急にお邪魔してごめんね。い、いいかな?」


 俺が完全に回復したと知った三人の友人が、俺を見舞いに訪ねてきた。

 無論彼らも戦いで負傷し怪我を負ったが、俺ほどの傷ではないためにとっくに動けるようになっている。そのためこれまでにも何度か見舞いに来られた。


 「無事のようでなによりだ。あの時は本当、何もかも終わりかと覚悟した。ありがとう、あの敵を倒してくれて」


 「あいたっ! ちょっと天井低いのよね、この家……。あ、布団敷いていい? 敷くわね、あたし疲れたし」


 「これでようやく全員回復だねぇ。無事に解決して何よりさ、さあ準備しようか? ウチは見てるだけだけどね、ひっひっひ」


 おまけに二人と一匹の上位者も同伴している。子供のような男と長身のバニースーツの女、そして太り気味の猫という異色の組み合わせだ。


 全員合わせて六畳に七人と一匹、少し狭くなるが嫌ではない。


 「俺はこの通り元気だよ。……それで、何してるんだ?」


 各員が持ち寄って来た何かを取り出す。

 和室に人数分の紙皿と紙コップ、それに盛り付ける既製品のお菓子とジュースが置かれた。


 「何って、そりゃ退院祝い……もとい全快祝い! 侵略者を倒したことも一緒に祝っちゃおうって会だよ!」


 浅間が心底楽しそうな笑顔を見せる。パーティーというやつか。

 今、物資は配給制。少ないそれをなんとかやりくりして、このために用意したらしい。


 「ほ、本当はケーキとか欲しかったんだけど……。こんなになっちゃったからね……。出来合いのお菓子でささやかだけど、ごめんね」


 「謝ることないって。俺は全然気にしないし」


 「よし、ジュースは配られたな! では乾杯だ!」


 「かんぱーい!」と紙コップを掲げて小さい宴会が催される。


 橙色の液体を一気飲みすると、果実の清涼感と酸味が一気に喉を駆け下りていく。

 紙皿にはチョコ、ビスケット、飴、マシュマロなどが載せられていた。それらを適当につまみながら俺たちは他愛のない話をする。


 「それでな、緋山! これを機に浪間市は区画整理をして、道路も改めて引き直されるようだ! 学校もまた別の場所に移転して建てられるのかもしれないな!」


 「ふーん。あの学校の位置気に入ってたんだけどなぁ、家から近くて」


 「プールは、プールはいつ出来るの……? 隣の市に行こうにも電車も車も自転車もないのは不便すぎる……!」


 「緋山君、コ、コップ出して……。ジュース注いであげる」


 旅館の様にお酌をされる。

 今日の藤音はメガネをかけていてるが、その印象はやはり以前と別物だ。隠れがちだった目元が見えるだけでもこんなに違うものか。


 「ん……? 野田、お前右手に怪我してないか?」


 変身体の傷は肉体に影響しないはずだ。なのにどうして……?


 「ああこれか。これはな、瓦礫をひっくり返していたら引っ搔いてしまった! ははは、軍手はしていたのだがな、なに大事はない」


 「なんで瓦礫なんて触ってんのよー。あ、もしかして撤去作業ってやつ?」


 「うむ、俺は確かに参加している……がこの傷は少し違ってな。避難所の小さな女の子から、家のぬいぐるみを取ってきてくれと頼まれたのだ! そういうわけで瓦礫の下からそれを引っ張り出してきた!」


 「うへぇ……。体力馬鹿ね、ほんと。これ褒め言葉ね」


 相変わらずの便利屋というか正義の味方と言うか。あれだけの戦いをした後によくそんな元気が湧いてくるものだ。


 「ね、ねえ緋山君……。あ、ありがとう」


 「……どした? 急に」


 浅間と野田が話しているのを見ていると、静かだった隣の藤音が話しかけてきた。


 「私、緋山君に勇気もらえたから……。戦えたよ、私」


 「そりゃよかった。ああ、最後にアイツの右目を吹き飛ばしてくれたの助かったわ。サンキューな」


 「え、えへへへ……」


 藤音は顔を赤くしてまた黙り込んだ。


 これまで契約者同士で話していたが、隣では上位者たちの輪が出来ている。彼らは彼らで話すことがあるのだ。そこからの会話も聞こえてきた。


 「それで、いつ帰る。もう侵略者の完全な消滅は確認された。我々が残っている意味もない」


 「ま、まだ……! あと少しだけ、待ってくれ……」


 「あたしは別にいつでもいいけどさぁ、正確に日にちは決めた方がいいわよぉ。ほら、決めないといつまでも伸ばしちゃうから」


 「……じゃあ三日だ。三日後にしよう、それでいいか?」


 異論はなくそれで決定したらしい。三日、それが残された猶予か。


 話題は移り変わり、それぞれの思う所を口に出す。


 「しかし食事が美味いな、この時代は」


 「そうねぇ。特にこのましゅまろ? とかいうやつ、すっごく甘いわ。あたしたちに食事の必要なんてないんだけど、これは食べちゃう……」


 「私はアイスクリームも食べたことがあるぞ! 氷のような甘い食べ物だった。冷たい食べ物まで生み出すとは、実に素晴らしいな」


 「ほぅ、アイスクリーム。それは具体的に、どのような食べ物なのだ?」


 そんなに気に入ったのか、自分だけ食べたことのある不思議な食べ物について自慢するイグニス。だったらまた何とかして連れて行ってやろうかな。


 紫色の猫は会話に参加しない。ただニヤニヤとこちらを見ている。ただ見ているだけで満足のようだった。


 「ねえねえ九泉さん」


 「あたし? 何か聞きたいの?」


 浅間が身を乗り出し、上位者の輪に入る。


 「えーっと、なんでそんなカッコしてるの?」


 ついにそれを聞いた。イグニスもマーレも普通の服とは言い難いが、九泉のバニースーツはより一際異彩を放つ。本人の長身もあり実は街の噂にもなっていたりする。


 「……変?」


 「まあ、かなり変だと思いますけど」


 「これ、兎モチーフの衣装だって聞いたんだけど…………」


 「ぶふっ」


 浅間は口元に手を当てて顔を背けた。完全に笑っている。


 兎モチーフでバニースーツ、確かに間違ってはいないのだが、何かを大きく勘違いしている。こんなに天然な人だったのか……。


 「あ、ご、ごめんなさい、ふふふふ。わ、私は良いと思うなぁーその服。よく似合ってますよ」


 「そう? じゃあよかった」


 似合ってるかどうかというのなら、かなりいいものだとは思う。特に胸の部分の強調がすごい。脚も長く伸びているので、スタイルの良さがこれでもかと引き出されている。難点としては、目のやり場に困るというところか。


 「……チェシャ―、こっちおいで」


 藤音が名前を呼ぶと、小さな上位者は立ち上がって彼女の元へ歩いて行く。そして本物の猫のように藤音の腕の中へ納まった。


 「上位者であるのに猫の姿をしているとは、珍しいな!」


 「チェシャ―はね、猫がいいんだって」


 猫は笑いながら喋り出す。


 「ウチはね、人間を見守るだけさ。元々関わろうとかそういうことはあんまり考えてない。この身体なのは、ほら、猫であれば誰も気にしにないだろう? どんなところにいたってね」


 「ずっと……私たちを見てきたの?」


 「そうさね。ウチが元々いたのはここと違う島だけど、そこでずっと昔から笑っていたよ。その頃のあんたたちと比べれば、今はまあ立派になったもんだい」


 まるで物語の老婆のような話し方をする猫だった。どこか安心できるような声で昔話を語りだす。


 「ん、あんたさん……」


 「俺か?」


 急に猫がこちらに声をかけてきた。


 「やりたいことがまだあるんだねぇ」


 どこまでも見透かされているような、金色の瞳。猫はにやりと笑った。

 そこまで態度に出していただろうか? 隠し事はできないらしい。


 「月並みな言葉だけど、後悔の無いようにするんだね。人間、いつも通り過ぎてから分岐路に気付くものなのさ。でも一番大切なのは進み続けること。どんなに迷っていても、一本の道を歩み続ければ森から出られるんだから」


 「進み……続ける……」


 その言葉で決意を固めた。

 俺は、俺の望む未来を、俺自身の手で選び取る。俺は決めたんだ、日常を取り戻すと。


 たとえそれに────いかなる困難が伴おうとも。



 夜が来た。宴会はとうに終わり、友は帰っていった。


 特にすることもないので今後のことを考えていると、いつの間にか就寝時間になり家族と共に床に就く。


 「………………イグニス」


 「なんだ?」


 俺の腕に抱き着いたまま、彼女は返事をする。

 くっつかれると暑いし寝にくいのだが、もう拒否しようという気も起きない。


 「明日、隣の市まで出かけてさ、アイスクリームでも喰いに行くか。好きだろ?」


 「おぉー! それはいい考えだ! うんうん、そうしようそうしよう」


 まるで子供のようににっこりと笑う彼女は、とても眩く美しい。


 「でも……修二、その、な」


 「分かってる。三日だろ? お前、帰らなきゃいけないもんな」


 「修二…………」


 三日なんてあっという間だ。この世界を彼女に見せるにはあまりにも短く、儚い時間。


 俺はこれまで、今ほどに時間が足りないと思ったことも、いつまでも隣のぬくもりが欲しいと思ったこともなかった。



 時間は全てにおいて平等だ。約束の時は必ず訪れる。


 三日後の夜、俺たちは浪間市の北へ歩き出していた。

 北部はまだ人の手が入っていない。崩れ落ちた建物は放置され、深夜ともなれば辺りには誰もおらず静かだ。別れを告げるには最適な場所だろう。


 「よし、この辺りでいいだろう」


 マーレがそう言うと、契約者と上位者はそれぞれが向かい合った。


 「行っちゃう、んだねマーレ……」


 浅間とマーレは固い握手を交わす。

 自分が契約した上位者とはやはり別れ難いものだ。なかなか手を離さない。


 「正直ね、初めのうちはあんたのこと嫌いだった。口うるさいし、親でもないのに礼儀がどうとか言ってくるし。でも…………今はあんたのこと、嫌いじゃないよ」


 「ふ。まあ嫌われるとは分かっていたが、つい口出ししてしまうのはクセでな。次までには直しておくとするよ、湊」


 二人は握手を終え、それ以上言うことはないというように離れていく。


 「……九泉! また何かあれば俺を頼れ! 俺にできることなら、何でもしよう!」


 「また何かあってたまるもんじゃないわ、面倒くさい。でも、弘人と過ごす日々は退屈しなくてよかった。いつも忙しなく動いてるし、あたしの世話してくれるし」


 野田と九泉もそれぞれの挨拶を済ませた。


 「ちょっとだけだったけど……。あなたのお陰で私は自分に自信が持てたから。だから、感謝してる。チェシャ―」


 「あんたさんはね、自分に自信さえあれば実は結構すごいんだよ。美人だしねぇ。だからほら、しゃきっとしな」


 藤音はメガネを少し外すと、目を拭う。


 「ね、ねぇ……! 今度また、遊びに来たりしてよ……。私……」


 「華」


 呼び止められた猫は契約者の元へ帰ることはない。


 「もうウチは、あんたさんに必要ないよ。人生ってのは別れが付きまとうものだ、慣れときな。猫のウチが言うのもおかしな話だけどね」


 俺はただ立ち尽くしているだけで、別れの準備なぞなにも出来ていない。すると、イグニスが俺の右手を取り両手で握ってくる。


 「これで、本当にお別れだ」


 「……………………」


 「約束通り心臓は返してもらうぞ」


 イグニスは自分の右手を俺の胸へ当てる。俺はその腕を左手で掴むと、思い切り引き寄せた。


 「きゃう! な、なんだいきなり────」


 「お前は行かせない。お前は、俺とずっと一緒にいるんだ」


 皆が俺を驚いた顔で注視する。俺がこんな大胆なことをするなんて予想外だったんだろう。

 これは冗談でもなんでもない。俺は決めたんだ、この腕を絶対に離さないと。


 「残念なことだが、それは無理だ」


 鋭い、刃のような声がする。


 「もう星が君たち人類に力を貸すことはない。我々の役目はとうに終わった。ゆえに我らは、存在するだけで人間社会の異物となる。いずれは我らが星へ帰ること、君はとうに知っていたはずだ」


 青髪の子供のような背丈の男は、駄々をこねる俺を非難するような視線を向け、ただ真実のみを述べる。

 彼は正しい。正しいが、生憎俺は正しさだけで生きていけるほど善人でもない。


 「星へ帰る、ね。それってつまり、死ぬってことだろ? 俺は認めない。認められない。イグニスを見殺しになんて、できやしない」


 「なぜそうなる。我らはただ眠り、今回のような異常事態に備えるのだ。ただ会えなくなるからといって、それを死と呼ぶのは些か逸りすぎだ」


 「暗闇の中、もう目覚めないかもしれない眠りに身を任せるなんて、それはもう死となんら変わらない。俺は少しだけ体験した。あんな身動きの一つも取れない牢獄、俺はごめんだね。イグニスにもそれを、もう二度と味合わせたくない」


 言い合いで解決するものではない。俺には俺の、マーレにはマーレの主張がある。ならばと俺は腕の中の彼女に訊く。


 「イグニス。お前の、上位者としての役割は果たされた。じゃあ、お前という一人の望みはなんだ?」


 「な、なにを…………」


 「お前が望むことなら、俺がなんでも叶えてやるよ。アイスクリームだって、いくらでも奢ってやる。お前だって帰りたくない、そうだろ!?」


 「私は……私は…………」


 イグニスに本心を問い詰めると、困った様子で言葉を詰まらせる。

 迷っているのだ。自分の願いを口にするか、それとも上位者として俺の誘いを拒否するのか。


 これは対価だ。地球を守る為に契約して戦ったんだから、少しは俺も好きにする権利があるはずだ。これが俺の、唯一の望みなんだ。


 「イグニス! 君は上位者だ、それを忘れるな!」


 「…………駄目よ、イグニス。帰りましょう」


 珍しく声を荒げるマーレと九泉はイグニスを連れ戻そうと説得する。猫はただ笑って見ているだけ。どちらの味方もしないようだ。

 浅間や野田たちはどうすればよいのか分からず、ただ事の成り行きを見守っている。


 「まさか人間について行くなどと言わないだろうな! もしそんなことを言ったら、私は────」


 「マーレ! 俺はイグニスと話しているんだ。外野は少し静かにしていてくれ」


 「なっ……!?」


 俺は別に、この男のことが嫌いなわけではない。だから心の中ですまないと思いつつ、イグニスと顔を向き合わせる。


 彼女は何と答えればいいのか未だ決断がつかず震えていた。


 「修二、キミの気持ちは分かるが……でもな。私は帰らなくてはいけない。ずっと一緒に居たくても、それは許されないんだよ」


 「他人の許しなんているものか。俺とイグニスの邪魔をするものなんて、全部俺が壊してやる。だから行くな」


 「駄目なんだ、決まりなんだ。これはもう……どうしようもないことで」


 少女は声を絞り出す。地球からの命を放棄することに、大きな罪悪感があるらしい。なんとか理由をつけ、自分自身を納得させようとしている。


 「わ、私は人間じゃない。キミからすれば怪物とそう変わりはないんだぞ」


 「今更だな。だから何だって言うんだ?」


 「……別に、私がいなくてもいいだろう! 元々キミは、そうして生きてきたじゃないか」


 「駄目だ。俺はもう、お前のいない生活を想像できない。お前はその責任を取るんだ。だから、ずっと一緒に居てくれ」


 「頑固な奴……だな! いいのか!? 私と一緒だと、毎日アイスクリームを奢らせるぞ!?」


 「はっ! 余裕だ、何ならアイスケーキもつけてやる!」


 泣きそうになっているイグニスはその顔を俺の胸に押し付ける。そして両手を優しく、俺の背中に回す。


 人と神との間で板挟みになり悶える彼女の顎を触り、もう一度こちらに向ける。


 「イグニス、いいな」


 「へ?」


 こちらと視線がぶつかる涙ぐんだ少女の、優艶な唇を思い切り奪う。

 柔らかい感触を感じながら鼻をなでる薔薇の香りを堪能する。


 「んんっ────!?」


 少し乱暴なのは許してくれ。俺にも余裕がないんだ。


 ちらりと周りの様子を窺うと、浅間は驚愕して固まって、藤音も衝撃のあまりかメガネがズレている。野田は何か納得したような顔だ。


 「い、い、いつも急な奴だな、キミは……!!」


 「今までハッキリとは口にしなかったな。だからここで言う。俺はイグニスのことが好きだ」


 意地を張ろうとしていた少女の顔が崩れ、赤くなっていく。


 「俺と一緒に来い。幸せにしてやる」


 「…………ずるいぞ、そんなの。キスなんてされたら、断れないじゃないか」


  彼女の深紅の瞳が、溜まった涙に反射する月明かりによりさらに凛と輝く。俺の一番好きな宝石だ。


 あの日見た時からこれが忘れられなかった。


 「私も、修二のことが好きだ。長年人間を見てきたが、こんなに一人の人間とずっと一緒に居たのも、恋をしたのも生まれて初めてだよ」


 少女は照れながら笑った。普段は白い肌が、薄桃色に色づく。本当は今すぐに何度もキスをしてやりたいが、その気持ちはぐっと堪えなければ。


 「………………信じるぞ」


 「ああ!」


 イグニスは迷いを振り切ったようだ。俺と同様、全ての覚悟を決めた。


 「そういうわけだから、すまん。私は帰れそうもない」


 後ろを振り向き、仲間に対して決別の言葉を告げる。


 マーレの表情は怒り、というかそれを通り越して呆れ顔に近くなっていた。


 「……それは地球の意志に反することだ。使命より己の願いを優先する、裏切りだぞそれは」


 「承知の上だ」


 はぁ、とマーレは大きくため息をつく。

 九泉はいつものように不機嫌そうな顔だが、今回ばかりは本当に機嫌が悪そうだ。


 「我が友であり、かつてはヘファイストス、いやウルカヌスとも呼ばれ崇められた人類愛の端末よ。その愛に狂ったというのならば仕方あるまい」


 「────エラーは排除される。命令の破棄は許されない。これでいいのね? はぁ面倒くさい」


 俺は抱いていたイグニスをそっと離し、彼女を庇うように前に進む。


 「力づくで来るなら来い。俺は、決して道を変えたりしない」



 「──この身、この血を我が神に捧ぐ」


 「鋼を纏い、爪を磨き、炉心に火を灯そう」


 「我が祈りを以て今、敵を討つ牙を得ん」


 「変身──── アルゲンルプス!」



 人間の肉体が金属へと変換される。火の神の心臓を宿したままの炉心は、いつになく熱され調子がいい。


 「では、こちらも相応しい姿をとろうか」


 「何?」


 目の前の青髪の子供は片手を真上に突き出すと、聞いたことのある口上を唱え始めた。



 「──速く、速く、より速く、さらに向こうへ」


 「我は水を識る者、泉の守護者」


 「渦を巻くこの一撃が、あらゆる敵を穿ち貫く」


 「変身──── ラピドゥスグラディウス!」



 光と共に剣の異形が立ちはだかる。一瞬目を疑ったが、変身したのは確かにマーレだ。上位者というのはこんなことも出来るのか。


 「驚いたか。これは契約者の変身した姿を借りただけだ。この状態は長くは持たないから、早く終わらせるとしよう。九泉、チェシャ―」


 「あーそういうこと? あたしもやれって? はぁ……」


 「ひひひひ、じゃウチも合わせてあげようかね。頑張りな、若いの」



 「──殉ずるは我が使命、我が責務」


 「振るうは刀、掲ぐは正義、救うは衆生」


 「仇名す悪一切彼岸へ送らん」


 「変身──── 月断!」



 「──道は選んだ、迷いはなく」


 「闇を抜け我が望むは革新の芽吹き」


 「なれば今こそ、この身を咲かせ!」


 「変身──── オペィクブロッサム!」



 武者と巨大な花も、俺たちを止めようと戦闘態勢をとる。

 話し合いの先は殴り合い、強い者こそが最後に残った正義だ。これだけはどれほど時が経とうと変わらない真実の一つだろう。


 「だ、駄目だよ戦いなんて! 敵はもういないんだよ!?」


 「案ずるな、我々が人間を殺しはしない。ただおかしくなった同胞を処分するだけだ。尤も、その過程で契約者に後遺症のあるような傷ができないとも限らんが」


 藤音の仲裁も無意味だ。もう誰にも俺たちを止めることはできない。


 「いくらなんでも無謀だよ緋山君……。無茶する奴だとは知ってるけどさ、酷い怪我をしてからじゃ遅いって」


 「俺の心配は不要だ、負けるつもりはない。それよりもお前たちは下がっていろ。巻き込まれるぞ」


 浅間は不安げに俺を見つめるも、何を言っても無駄だと判断したのかこの場から離れていく。


 「緋山、それがお前の選んだ正義か? なら俺は何も言うまい。助けも不要だな?」


 「ああ。これは俺がケリをつけることだ。ありがとよ」


 野田はただ頷いて、同じく俺たちから距離を取る。まったく、見た目も行動も性格もイケメンという欠点のなさよ。流石浪間高校一モテる男だ。


 「修二、アイスクリームの件は覚えて──────」


 「はいはいまた後でな、ほら行った行った」


 今言うことかそれは。

 考えようによっては、イグニスは俺の勝ちを確信しているからかける言葉はないともとれる。そういう意味合いなんだろう、たぶん。……だよな?



 「さて、我らが友をたぶらかした人間。この小石を真上に投げ、それが地に付いた時、それを戦いの始まりとする」


 「たぶらかしたって……。まあいい。俺はいつでも構わない」


 石は空高く放られ、やがて重力に負け同じ軌跡をなぞって落ちていく。


 ────着弾。石と地面が音もなくぶつかる。


 「はあっ!」


 「うおおおおおおお!」


 それと同時にラピドゥスグラディウスが最高速で突っ込んでくる。

 見てからでは反応できない絶対的な速度。もし当たれば俺は一撃で仕留められかねないほどの威力を持った、神速の一突きだ。


 だが、それは既に読んでいた。以前に一度ラピドゥスグラディウスとは戦っている。

 思案した対策は、相手の突撃に合わせての下からのアッパー。


 「ぐおっ……!?」


 右肘のブースターを用いた加速する拳は相手の顎を捉え、後方まで殴り飛ばした。手ごたえはあるが、これで終わりではないだろう。


 「────厄払い!」


 「っと!」


 真一文字に払われる刀をしゃがんで避け、迫りくる武者の脚を引っかけた。だがその踏み込みは深く、転ばせることには失敗する。

 すぐさま起き上がり次々と振るわれる剣閃を躱していく。


 「ビーム・クロー!」


 光の爪と武者の刀が火花を散らしてぶつかり合う。静かな世界を包む夜の闇が、途端に明るく照らされ始める。

 本来、熱で構成されたビーム・クローと金属で構成された刀が打ち合える道理はない。実体のないものとあるものでは触れ合うことはできない。

 しかし、月断は自らの刀にエネルギーを通しているのだろうか、その不可能を可能としている。


 「馬鹿な真似は止めなさい。今なら痛くしないから」


 「俺は…………いつだって本気だ!」


 とはいえ一対の爪と四本の刀、手数の違いで至近距離での競り合いはこちらが不利。俺は防戦一方で月断に攻撃を入れることができない。

 防ぎきれなかった攻撃が、俺の金属の身体を裂いていく。


 「ちいっ……!」


 「甘いねぇ」


 一旦仕切り直そうと武者から距離を取るが、それは悪手だったと知ることになった。

 光の砲撃がいくつも俺の足元に着弾し、爆風で体表を炙られる。オベィクブロッサムの支援だ。


 白煙の中、月断が俺の背後を取り奇襲を仕掛けてくる。音で察知し間一髪迎撃するも、もう一度刃のぶつけ合いに持ち込まれた。


 「大人しく、なさいっ!」


 「負けるかああああぁっ!」


 身体がどれほど傷ついたって構わない。重要なのは、戦闘に関わる致命的な部分を損傷しないことだ。

 だからそう、例えば腹を刀で貫かれようとそれは問題ない。


 「な────!」


 月断の突きが俺の腹部に命中し、ぴったり真ん中を差し込む。

 が、それだけでは動けなくなるようなダメージではない。俺はその刀を動かされて斬られる前に、刀を持つ腕を爪で溶断した。


 相手に一瞬の隙が出来る。まさか己の身体を犠牲にしたカウンターを仕掛けられるとは想定していなかったのだろう。

 腕を一本失いよろめく武者に対し、狙うはその首。光の爪を滑り込ませどうやって断ち切るかの軌道を計算する。


 「させん!」


 死角から振り下ろされた剣に左腕の手甲を破壊される。これは月断のものではない、異形の頭部から取り外された剣だ。


 ラピドゥスグラディウスは戦場に戻って来ていた。剣を分離させたのは取り回しをよくして突進で味方を巻き込まないようにしたのだろう。


 月断にトドメを刺す機会を失い、両側から攻め立てられる最悪の展開だ。


 翼を使えばこの場から飛び立つこともできる。だがそれはオベィクブロッサムの的になるだけだ。

 逆にこの二人と戦っている間は、味方にも命中する可能性がある支援攻撃を挟むことができない。それがせめてもの救いか。


 「三対一は蛮勇が過ぎたな、契約者!」


 「ぐあっ……!」


 左からはラピドゥスグラディウス、右からは月断。双方向からの剣戟を、それぞれの片手で捌き続けるのは無理がある。


 異形の剣は光の爪とかち合うことはないのだが、肝心の左腕の手甲が破壊されビームを出力できない。これでは素手で剣を捌くしかない。


 まるで毒を喰らったように、戦力差は少しずつ現れ俺が不利になっていく。俺は二人と切り結ぶうちに脚を斬られ損傷し、体勢を崩した。


 「終わりよ! ────黄泉落とし!」


 甲冑の武者が三本の腕を構え大技が繰り出される。これを喰らえば終わる。あの刀は俺の装甲を容易く切り裂き、その斬撃は四肢をもぐだろう。

 だが防御も回避も出来ない。間に合わない。残酷な未来を否定しようとすると────。


 『いや違う、必要な選択肢はその二つではないぞ』


 声が聞こえ、胸の炎が燃え上がる。

 これは通信ではない。俺の心で脈打つものの声だ。


 離れていても彼女の熱を感じる。この場に居るのは、アルゲンルプスは俺一人ではない。火を飲み込んだ狼に後退はなく、ただ突き進むのみ。


 「っらああああぁぁぁあ!!」


 「これ、は…………!」


 尖った尾を武者の脇腹に突き刺し電流を流し込む。選んだのは前進、攻撃をし続けることだ。俺には四本も腕がないが、尾はある。


 「やらせるか!」


 武者の動きを止めても異形のカバーが入る。

 多対一の場合、まずは敵の数を減らすことが重要だ。つまり、今この異形を構っている暇はない。こちらも素手で迎えようとする。


 「はあっ!」


 そして俺は素手────ではなく蹴りをラピドゥスグラディウスの身体に叩き込んだ。

 普通に素手で応戦しても向こうに合わされ、時間を稼がれる。だから左手を使うと見せかけ意識外の攻撃で決める必要があった。


 「馬鹿なっ……!?」


 わずかな攻防の末に両者共に隙ができる。一瞬、それさえあれば十分だ。


 「せい!」


 右腕の光の五本線が残りの武者の腕を落とし、最後にその腹に貫手を入れる。

 上位者は死なないという前提がなければこんな攻撃はできないだろう。とにかくこれで月断は戦闘能力を失い、敵は残り二人になった。


 「嘘……。こっちが絶対的に有利なのに…………」


 「勝敗を決めるのは相手との戦力差じゃない。勝利への意志の強さだ」


 血に濡れた腕を引き抜き、俺は異形の剣士と相対する。

 向こうには巨大な花もこちらを見据えている。どちらも警戒すべき敵だが、特にオベィクブロッサムに本領を発揮されては勝ち目が薄くなる。


 この戦いは早急に、互いの持ち味を殺しながら一気に決めなければならない。


 「チェシャ―、私に構わず援護しろ! 私ごと吹き飛ばしても構わん!」


 「そいつは面倒なんでな、封じさせてもらう! ミサイル発射!」


 左右から五発ずつ、弧を描いて飛翔体を飛ばす。

 オベィクブロッサムが出来るのは、それらを迎撃するか花弁を閉じ防御するかの二択。どちらでも支援の手が止むという結果に変わりはない。


 「おぉ怖いねぇ」


 選ばれたのは後者。誘導弾は花の花柱を狙うも、それは色鮮やかな花弁により防がれる。


 防御と同時に攻撃はできない。遠距離からの一方的な攻撃を抑えたらすかさず目の前の異形に近づく。

 異形も剣を頭に付け直し、力を溜めてこちらを迎え撃つ。


 勝負はこの一度の斬り合いで決着する。花がもう一度咲き、支援攻撃を喰らえばこちらの負けだ。

 十秒、計算にしてそれほどの時間でマーレを下さなければ支援攻撃を避けられない。


 「はあああああああぁぁあ!!」


 「やああああああああぁっ!!」


 右肘のブースターを展開、腕そのものを杭にするように指先を尖らせる。エネルギーを集中させ爆発的な推力で腕を打ち出す。

 対して向こうは、最大限の力で地面を蹴りだし衝撃波と共に全身を槍とした。全力を込めた怒涛の大技が俺を穿ちに飛んでくる。


 「────フルク・ルクス!!」


 「────ランケア・ウェルテクス!!」


 渦巻く一撃が俺の杭打ちとぶつかり合い、回転する剣先と加速し続ける指先とが火花を散らす。これはもう純粋な出力勝負、小細工の入る余地はどこにもない。


 身体が軋み、徐々に押され始める。体感だが、浅間が使う同じランケア・ウェルテクスよりも威力が高い。


 これは自分の負荷を考えていない捨て身の攻撃だからだろう。上位者は不死であるなら、技の反動のことなど欠片も考える必要は無いということか。


 「イグニスは諦めろ、緋山修二! 人は人と番うべきであり、君は彼女とは釣り合わない! 互いに不幸になるだけだ!」


 「何を、知ったような口を! 俺は決めたんだ! 与えられてばっかの俺がイグニスに、幸せを少しでも返してやろうと! 誰が、何と言おうと、これが俺の────答えなんだああああぁ!!」


 背部の翼を後方へ広げ、スラスターを吹かす。同時に地面を踏ん張る脚部からも輝く炎を吐き出した。

 押されていた腕が、再び均衡状態に戻り、今度はこちらが押し始める。


 「頑固な奴だ、全く…………」


 指先から集中させたエネルギーが一度に放たれ、眩い閃光が夜を朝だと錯覚させる。信念の杭は確かに敵の、ラピドゥスグラディウスの剣を砕き、そして爆発を引き起こした。



 黒煙の中飛び出し、次の敵を探す。

 オベィクブロッサムが最後に残っている。あの火力は危険だがラピドゥスグラディウスと月断が守っていた都合、先に潰すことはできなかった。

 攻撃に注意しながら当たりの様子を窺うも、反応がない。


 すると猫が一匹、こちらに歩いて来る。


 「負けだよ。降参。一対一じゃ勝てないしねぇ」


 「降……参…………」


 つまり俺が勝った、ということか?


 振り返ると九泉はもう変身を解いていて、マーレも倒れたままの上半身を起こしていた。


 「修二ー!」


 「緋山!」


 「緋山君!」


 皆が俺に向って駈け寄って来て、俺もようやく勝負が終わったことに実感が湧き、変身を解除する。


 すると途端に少女に抱き着かれ地面に引き倒された。


 「痛あっ!?」


 「おおすまんすまん! つい嬉しくなって、な!」


 な! ではない。…………まあ、可愛いし許そう。たまにイグニスが元気な犬かなにかに見える。


 「無事でよかったよ緋山君、本当に……。怪我は酷い? 動ける? 私が介抱してあげよっか」


 「いや、大丈夫だ……。自分で立てる。また心配かけちまったな」


 野田と藤音も俺のことを案じてくれている。その気持ちだけで、本当に嬉しい。

 これが友情というやつなのか。俺は今初めて、その意味を知ったのかもしれない。


 「マーレ、私たちの勝ちだ! どうする、仲間でも呼んでもう一度戦うか?」


 「……いや、そんなことはしないさ。無粋だ」


 青髪の子供は立ち上がり、身体に付いた土を払う。俺の渾身の一撃をまともに喰らっても、九泉ともどもピンピンしている。

 人間とは段違いの、生命としてのスケールの違いを感じる余裕だ。


 「イグニス、君には新しい任務を与えよう」


 「任務?」


 「そうだ。引き続きこの地に残り、契約者たちに対する保護観察と侵略者の残滓がないか確認をするんだ。だからしばらく帰ってこなくて構わん」


 それは、つまり──────。


 「んー? 侵略者ってもう完全に消えたんじゃ……」


 「あ、浅間さん、これはきっと……そういうことですよ」


 マーレの遠回しな言い方が面白かったのだろう、イグニスは微笑んだ。


 「なんだ、何事にも厳格なお前にしては話が分かるじゃないか。どうしたんだ一体?」


 「ふん、いいものを見させてもらったから、かもしれん。人間の揺るがぬ意志というのをな。確かにお前が愛すだけある男だ。その覚悟の強さ、まさしく鉄心と言う他あるまい」


 鉄の心……。俺が初めは気づいていなかった、しかし俺の本質だったもの。

 これが本当の俺なのだと、今なら分かる。自分でもこんなに意固地なやつだったとは驚きだ。


 「しかしマーレ。なぜ変身して戦った? 上位者ならば、もっと違う戦い方だってできたんじゃないか」


 「対上位者であれば、それは違う戦い方にもなろう。だが相手は君だった。我々は人間と戦うことはできないが、契約者である君は変身が出来る。だから君の変身に合わせこちらも同じ形態を取って戦ったまでだよ」


 「そうか……。だがどうにも腑に落ちないな」


 「ほぅ? 何が言いたい」


 いくつか根拠がある。わざわざ変身して戦ったというのもそうだが、なぜ変身体が殺されたからといって戦いを止めるのだろう。

 死なないのだから負けもなにもない。こちらが倒れるまでいくらで戦うことが出来るはずだ。なのにそれをしない。


 行き着く答えは一つだ。


 「お前、わざと負けたんじゃないのか?」


 「──────は、ははははははは!」


 え、これ笑う所? もしかして全然的外れだったのか? なんだか急に恥ずかしくなってきた。


 「さあ、どうだろうな。ただ私は本気で戦った。君の覚悟が、決意が神をも殺した────それだけのことさ。さ、我々はそろそろ行こうか」


 マーレは手を上げて合図をすると、九泉と猫も察して彼について行く。


 「ああそうそう、湊」


 「なによ」


 「君ならきっと、世界一のスイマーになれるさ」


 「…………ありがと」


 そう言い残し、マーレは一人夜の闇に消えていく。

 急に、そして最後に自分のことを応援してくれた上位者に、浅間は少し顔を赤くした。


 「はぁ……。最後にすっごい疲れちゃった。変身体とはいえ私を殺したのはあんたが初めてよ。あんた、本当に強い」


 バニーガールは大きく伸びをする。耳がぴょこんと動いたように見えたが、多分気のせいだろう。

 そして彼女は自分の契約者を見やる。


 「じゃあね弘人。あたししみったれた空気は嫌いだから、とっとと帰るわ。弘人、あんたならきっと夢も叶うわ」


 「うむ! ではまたな!」


 相変わらず爽やかな奴だ。別れにこれっぽっちの寂しさも感じさせない。

 いつでも会える、というように互いに多くは語らず九泉も闇に溶けていった。


 「じゃあウチもおさらばだ。藤音、あんたさんは出会った最初っから、十分いい女だったよ。この星を頼んだからね」


 猫は相手の返答も待たずにこちらに背を向け歩いて行った。


 「チェ、チェシャ―……! ありがとう…………」


 藤音の言葉は暗闇に吸い込まれていく。向こうに聞こえたかは定かではないが、その気持ちは既に伝わっているはずだ。


 月が遠くの、無人の廃墟を照らす。もうそこには誰もいない。

 ただ冷たい夜風だけが頬を撫でる。だが寒くはない。


 隣には温かい、俺の勝ち取った火がいたからだ。



 「じゃーね緋山君、また明日!」


 「おう。皆もまた明日、な」


 浅間たちを先に帰らせ、俺は星が輝く空を見上げる。

 イグニスと二人きりで話したいことがあった。


 「……友との別れというものは、いつでも悲しいものだ」


 二人で手ごろな瓦礫の上に座ると、彼女は俺の肩に頭を乗せてきた。俺はそっと手を彼女の手の上に重ねる。

 戦闘で傷ついた箇所が痛んでいたが、そこはなんでもないと見栄を張る。


 「でも、私には修二がいる。これからずっと一緒だと思うと嬉しくて堪らない」


 イグニスは笑顔のまま目を閉じる。ただ隣に愛する人がいることを、それだけを感じている顔だ。


 「そうだ、イグニス。俺、お前の心臓を返さなきゃいけないんだった」


 「あぁ、心臓か。別にいいさ」


 「いいって、お前……心臓だぞ!?」


 金髪の少女は頭を起こし、俺の胸に右手を当てる。互いの顔が近づく。人形のように端正な顔立ちに深紅の瞳。


 永遠に輝く、俺の神だ。


 「私の身体はキミの隣に、そして心はキミの中に。私なりの愛の証明だ」


 「イグニス…………」


 彼女は俺の手を引き立ち上がる。


 「休憩はもういいか? 星空の下で愛を囁くのも悪くはないが、瓦礫の上というのは風情に欠ける。家に帰ろう修二」


 …………怪我を強がっていたことは既にお見通しらしい。そもそも隠し事なんて出来るはずもない、か。


 「ああ。行こう、イグニス」


 二人で手を繋ぎ歩き始める。行き先はどこか、幸福な未来と日常へ。


 浪間市の奇妙な事件は本当にこれで全て終わった。

 後に残ったのは崩れ落ちた街と友たちとの新しい絆、そして一人の女の子。以前の日常の中では決して手に入らなかったかけがいのないもの。


 いつになく気分がいい。俺は仮の住宅街で、自分の家の扉を開けた。


 ────もう消えることのない、魂の熱情を想いながら。

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惑星の守護者 アルゲンルプス 白ノ光 @ShironoHikari

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